④取引とやら
「ブフォッ!!、」
突然、いや必然。ソレが耳に入ってすぐ、私は口の中のモノを全て吹き出してしまった。
「なっ、ななッ!、何言い出すのさイキナリ!! 部下帰らせてやることが権力濫用でセクハラなの!?」
「はぁ!なんでそうなるんだ! ボクは本気であ、キミと取引の話を――」
「なお悪いよ! 昼ドラやりたいならせめて相棒でも作る方にしてよね!」
「何の話だ! グレイツェルンに行きたいんじゃ無いのか!?」
「おろ?」
突然ひっくり返った被害者と加害者の立場に、必死で手と首を横に振り弁明する彼。どうやら私の身体が目的では無いらしい。正直これだけでは弱かったが、不可抗力とはいえブチまけてしまったスープとチーズとオニオンを、文句一つ言わずにハンカチで必死に拭う姿に、たちまち疑う気持ちは失せてしまった。
「。ゴホン、」
わざとらしい咳払いを一回。ハンカチをしまいながら、少し照れた表情でコチラをじっと見る瞳。思わずスプーンが止まる。
「グレイツェルンに、行きたいんだろう?」
先ほど取り乱して投げつけてきたその問いを、今度は冷静に、落ち着いてこちらに投げかけてきた。
「え、爆弾でしょ?、さすがに運ぶ気おきないよ」
「あぁスマン、言い方が悪かったなアレは。ただ爆弾並みの魔力が込められてる中身が開けれん封印された荷物というだけだ」
「余計怖いわ!!――ッ
思わず叫び声をあげて立ち上がったその瞬間だった。[ごっ、] と低く鈍い音が足元から響いたかと思うと、音はじわじわとスネとふくらはぎを侵略し始めた。
まるでピアノ線で引っ張ったかのように、立ち上がった背中も、飛び上がるかのように広がった翼もまとめて膝近くまで縮こまった。
あぁクソっ!、脚が鎖で繋がれてたんだった! 太さ合ってないから完全に忘れてた!
「大丈夫か?、少し待ってなさい……」
赤くなった脚を抑えて
ガラスの靴を履かされてるようで少しばかり恥じらいだ頭上のうら若さになど目もくれず、ポケットから藍色のハンカチを出すと、患部を包み込むように巻き、優しく、いたわるようにふんわりと縛った。
「ねぇ、大丈夫?」
「何がだ?」
「スネとふくらはぎからしちゃいけない感触がするよ、コレ知ってる。シルクってやつだ。ディナーが一週間我慢できちゃう」
「せんでいい、あと心配より感謝を優先したまへ、君」
「ど、どうも……アリガトゴザイマス、」
「ん。ヨシ」
人のチョット拗ねたような小さな感謝に、目の前の彼は微笑んだ。下手すれば私よりも年下に見えそうなその童顔からは想像もつかない、まるで反抗期の娘に対する父親のような顔だった。
くそ、なんか腹立つな、
「──で、どうやって行くのさ」
口を尖らせながらそう、つぶやく。我ながら逃げるような話題逸らしだった。
「おお!乗ってくれるか!」
「べ、別に。どうせコレから予定ないし?、お金無いし?、住むトコも追い出されるし?」
「ハッハッハッ散々だな!」
「笑うな〜クッソ公務員め。人サマの税金で安定してるクセに偉そーに!」
「払っとらんヤツに言われたくないがな」
「なっ!、なんで知って──!!
「分かるわ流石に! 隠すの下手すきるだろキミ。というかやっぱチョロマカしてたな……」
人の不幸を豪快に笑い飛ばした男に、私はワナワナと震えながら半泣きで中指を立てる。怒りたいよ、怒りたいけど怒れないよ。どっちが悪いか 100で言えばこっちが 230 くらい悪いんだもん。未申告どころじゃないし、
でもこのヤロ。チョットいいじゃんと思えばカマかけやがって!何さ!やっぱお代官サマなワケ?
特に口出そうにも口籠るしかない前科4犯、未申告戦果多数の元浮浪児は、恨めしい目をしながらギリリと鉤爪を噛む。
その様子をしばらく楽しげに見ながら笑っていた男だったが、やがて笑い疲れて顔を片手で軽く覆ったかと思うと、強く目を瞑った。
「さて、最後の確認だ。行きたいか?……グレイツェルン」
もう一度開かれた時、その目に先ほどの和やかさすら感じた色は無かった。鋭くこちらを突き刺してくさびを打つかのような、そんな真剣なまなざしがあった。
弱く、ゆっくりと一度だけ首が縦に動いた後、伝播したかのように前の女の目もそうなったのを確認して、彼はようやく口を開くのだった。
「――我らヘンデルスと向こうのグレイツェルンの国境には、現在魔法による障壁が張られている。ある一ヶ所をのぞいてな」
「しょうへき?」
「キミが頭ぶつけたヤツだ」
「ああナルホド。で?、ようはソレが無いトコから侵入しようって魂胆なワケだ」
「そういうことだ」
「大丈夫なの?、侵入防ぐために作る軍事境界線の穴なんて、ワナとしか思えないケド」
「ないさ、そもそもヒトが入れんのだから」
「えっ――何ソレ!?」
今度は自由になった脚でちゃんと飛び上がった私を見て、彼は少しだけ考え込むそぶりを見せた。そしてその後で、一度だけ深く深呼吸をした。
「"未踏領域" ――ここから北上し続けた先、ハーデルト山脈中部から西部に存在する地帯。そこには魔法障壁はおろか、国境を警備する我らのような存在すら独りもいない」
「いないってアナタそれ――
口を開けたまま押し黙る。あちこち飛び回る職業柄、とてもスルーはできなかった。"未踏領域" その言葉の意味を知っていたから。
この世界のそこら中に存在する、文字通り人類の足が……だけじゃ無い。爪も、翅も、牙も、翼も、鰭も、何も届かない。昼間のワイバーンがガガンボと化す、そんなバケモノどもがひしめく魔境。今日も今日とてハンターや冒険家とかいう変態達が挑んでは、その命をパラパラ散らしている。
ポーチに眠る地図にも依然として点在する虫食いが、私たち人類の居場所があくまでも食物連鎖の外であって、頂点では無いことを証明していた。
「あ~~、ハイ、」
気付いた頃には両手をそろえて突き出していた。そりゃそうだよ、ブタじゃないけどブタ箱の方がフライパンよりは快適だろうから。
「なんでだ、連れんヤツだな! あとキミ、捕まりたいなら足出しなさい」
と言いつつも手錠をしまう目の前の男。なんだこいつめ、逃すつもりゼロじゃないか。
「守るから安心してくれ」
「え~~、でも魔境はチョット……」
「敵国越境、公務執行妨害、不審物輸送、テロリズム、スパイ――いくらでも盛れるぞ? どうする?、死ぬかも知れない遠足か、死ぬ以外無いギロチンか。まさかコレだけやって四肢が残ると思ってるわけじゃないよな、」
「なっ!?、それズルじゃん! てか羅列するのやめてくんない。なんかほんとに逮捕された感じ出るから」
「逮捕されてんだよ、」
「どぅ、ど、で、でもでもだって――
[ぴっ、ぴっ、ツートントン]
「ウソウソウソ!! ぜ、ぜひお供させていただきますぅご主人様! この卑しいニワトリめの翼、雑巾にでも箒にでもおつかいください!!」
「はっはっはっ!……ヨシ、決まりだな」
何の躊躇も無く回り始めた通報用の信号機に、情けなくも跪き、という擦りよりしがみつき、必死に命乞いを始めた鳥女。その家畜のような惨めったらしい姿に男はしばらく高笑いをした後、公務員がしちゃいけない不敵な笑みを浮かべてコチラに向けて手を差し出した。
「ラスタフ――ガラン・ラスタフだ」
「あ……アンヌ・レヴァンナです。ヨロシク」
少しふてくしながら出した右手を強引にたぐり寄せられ、立ち上がる。強く堅く重い握手は、明日からの不安がのしかかっていたようだった。
翌日、早朝、月明かりはいよいよその役目を失って、山むらを掛け分けて太陽が顔を出す。そんな時間。ヒトの喧噪は無く、ただ数人ばかりせかせかと、下を向き朝を行く広場にて。
足と脚、並び立った。
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