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「と、いう訳でですね。ファクターXは営業部門の横流しだと、私はそう思うんです。――って先輩、聞いてますか?」
倉庫での在庫確認作業を進めながら、〈哀愁〉高騰に関する持論を説明した。が、残念ながら陸からの反応は薄く、逆に声が大きい、とたしなめられた。
「でもそれで価格高騰を全て説明するのは難しいんじゃないか?」
念のため周囲を確認してから、小声で会話を続ける。
「この前裏価格表のこと、言いましたよね。あれだけの値段で買ってくれる人がいるなら、魔が差す人も出てきますって。実際、毎月の棚卸しでも数は合ってないわけだし」
「数の不整合を不審がられた時点で終わりなんだよ。出来心で冒すにはリスクが大きすぎる」
裏価格表について調べを進めると、〈哀愁〉の取り扱いを認可されていない個人もしくは団体の摘発例がここ数年に集中していることが分かった。価格高騰の推移とも、時期は一致する。
調達部門が〈回収員〉から買い取った〈哀愁〉は、営業部門に引き渡され、メーカーの方に販売されることになる。これは会社が違っても共通のシステムのはずだ。この流通経緯でうやむやにされる〈哀愁〉もあるはずだ。
「そうだとすると、我々調達部門も疑われるんじゃないか?」
「それは‥‥そうなんですけどね。でも、私やってないですもん」
おかしなことを言っていることは承知している。
「まずは仮説ですよう。虎穴に入らずんば虎子を得ず、です」
とにかく言い切る亜沙香に、いずれにしても、と陸が繋いだ。
「営業部門は調達部門に棚卸しの形で監視されている。調達部門は管理部門にお金の流れの形で見られている。組織での仕事の流れにはそういうチェック機構が働くようになってるんだ」
ぐうの音も出ない、身も蓋もない、とはこのことだ。
一旦忘れて無心に棚卸し作業に没頭することとする。在庫数量が極端に少ない〈松〉の棚に差しかかった。その瞬間、昨日のライブ会場でカナが見つけた〈哀愁〉が脳裏にフラッシュバックしてきた。
やっぱりそうだ、と思わず声に出してしまっていた。
「突然、なに?」
「いえ、実はですね。昨日カナさんと会ってまして」
こちらの様子を探るような上目使いには若干のやりにくさを感じながらも、ことの顛末を説明する。
カナとは飲み友達になっていること、一緒にライブに行ったこと、そこで回収した哀愁のある〈哀愁〉のこと。
「あれ、多分〈松〉ですよ。それも〈上〉以上の」
「なんでそう思った? 判定するまで分からないだろう」
「なんていうんでしょう‥‥色合いですかね。前見た時より深みがあったというか。あれは絶対いいやつです」
〈松〉の棚にある現物の色合いと記憶にある〈哀愁〉を比べながらカウントを続ける。と、陸が手を止めて一点を見つめていることに気づく。その視線を追うが、特に目ぼしいものはない。
「どうしました? 〈哀愁〉でもあります?」
自分には見えないものが、その先にあるのかもしれない。一応見てみよう、という好奇心で陸の側まで顔を寄せ、あ、と声を上げてしまう。
課長の川島だ。倉庫内に自分たち以外の人が居ることに全く気づかなかった。すぐに会話を反芻し、幸いにも聞かれて問題になりそうな内容がないことに安堵した。
この倉庫には〈哀愁〉のほか、〈回収員〉に引き渡す前の〈安定化薬〉も保管されている。課長が見に来てもなんら不思議ではない。川島の方もこちらに気づいたようだ。ゆっくりと歩み寄ってくる。
「〈安定化薬〉の在庫確認ですか?」
先に陸の方が声をかけた。一瞬だけ言葉に詰まった川島は、それでもいつも通りの作り物めいた笑顔で応じる。
「ああ、最近来なくなる在野が多くて困ってるんだよ」
〈回収員〉は〈哀愁〉を回収して販売する権利はあるがその義務はない。なんとなく認可は受けて初回だけ数個納品し、そのままフェードアウトする人もいる。一方で商社側は〈安定化薬〉の在庫を一定期間は残しておかなければならない。
「大変ですね。この倉庫も在庫が増える一方ですし、もう少し広いスペース借りた方が良いかもしれませんね」
当たり障りのない雑談だ。ただ、確かに〈哀愁〉の棚にも空きはなく、隙間を狭くしてどうにか詰め込んでいる状態になっている。
「ところで、来月の報告会はいけそうか? もし難しければ少し延期しても良いが‥‥」
〈哀愁〉の価格高騰に関する部長への報告会の話だ。前回からの上積みが無ければ意味がない。ここは課長の言葉に甘えるのが正解だろう、と反射的に思ってしまう亜沙香を尻目に、陸の口からは、問題ありません、の言葉。
えっ、ファクターX、分かったの? と思わず口に出しかけて、どうにか息を吐き出すだけで済んだ。
川島にとってもその答えは意外だったのだろう。また少し言葉に詰まった様子で、それでも近日中に事前打ち合わせをすることだけ決めると、すぐに倉庫から出て行った。
と、すぐに定時が来たことを伝えるベルが鳴るが、陸は淡々と作業を続けている。どうやら彼の口から説明するつもりは無いようだ。
それならば、と亜沙香の方から、
「先輩今日、時間ありますか? このあとご飯でもいかがでしょう?」
少し不自然な言い方になってしまった自覚はある。
手を止めて、ああ、と声を漏らした陸が振り返る。
「ごめん、今日はちょっと。あと少しだし、ここはやっとくから先帰って」
こちらはこちらで、川島とは違う種類の作り物の笑顔だった。
この居酒屋にカナと訪れるのも、もう何度目かになる。カウンター席で日本酒を何杯か空け、赤ワインのグラスに手をかけながら、亜沙香は話し続ける。
「と、いうわけで、ですね。最近先輩が怪しいんです」
視線を隣のカナの方に向けていて、危うくグラスをひっくり返しそうになるが、なんとかやり過ごす。中身を一気に半分ほど干してから、チーズをひとかけら口に放り込む。
「リクがファクターXに関わっている、と、そう言いたいわけね? まあ、こんなに可愛らしい後輩の誘いを断るんだから、よっぽど差し迫ってるのかもね」
「まったくですよう。こんな可愛い後輩の誘いを」
営業部門の横流し説はあっさりと却下された。自説があるならそこで言うのが礼儀だろう。ただ一歩引いてみると、別の考え方もできる。
ここ2週間ほど、ヒアリングにも陸ひとりで行くようになった。表向きはその間に滞っている事務作業を亜沙香が処理するため、ということになっている。だが、行き先も言わない理由にはならない。
「あいつ、昔からよく分からないところはあったけどね。なんだろう、個人主義っていうのかな?」
「それは、なんとなく分かりますけど‥‥」
怪しいとは言ったものの、彼がファクターXにどう関わっているのかは説明できない。何かを隠ぺいしようとしている、程度のことしか今は言えない。
「でも、楽しかったな。あの頃」
「えっ? あ、学生時代ですか」
唐突な話題転換に、一瞬、頭がついていかない。
カナが昔の話をするのは珍しいことだ。
「そう‥‥ですよね。大学生ですし」
言いながらも、亜沙香にはあまりピンと来ていない。
音楽活動に身も心も捧げるというのは、いったいどういう気分なのか。
「なのに、なんでだろう。私だけ、取り残されちゃった」
独り言のように呟くカナ。
「もっと早く諦めた方が良かったのかな、なんて。色々と」
言いながら赤ワインを飲み干したカナは、すぐに店員を呼んで追加注文を入れた。合わせて亜沙香も同じものを頼み、手元に半分ほど残っていたワインを一気にあおった。
「そんなことないです。きっと」
理屈などは何もなく、ただ純粋に思ったことを口にした。それだけだったが、振り返りじっとこちらを見つめるカナに、なぜだか少し責められているように感じた。
曖昧に首を振ることしかできない亜沙香に対し、
「ごめんごめん。困るよね、そんなこと言われても」
と、唇を笑みの形にしてようやく『今』に戻ってきたカナが、
「そう言えば今度〈モンスターロック〉で、私イチオシのバンドが出るんだ。一緒に見る?」
「是非是非!」
「そんなにメジャーでもないから、人を選ぶかもしれないけどね。そういえば、この前貸したCDのバンドに近いかも。あのイギリスの」
「あれ私、割と好きでしたよ。なんというか、哀愁があって、聴けば聴くほど好きになっていく不思議な感じです」
「そうそう。一聴した時のインパクトは無いんだけど、どんどん味が出てくるよね。あれこそが哀愁だと思う。あれを邦楽でアレンジした感じのバンドだと思ってもらえれば」
饒舌に語るカナの唇は、いつもより少しだけ鮮やかに色付いて見えた。
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