3

 半田はいったいどこに行ったのか。

 課長の川島が少し苛立ちを含んだ口調で訊いてくる。


「どうなんでしょう。ちょっと分からないですが‥‥」


「最近事務所に居ないな。どこで何をしてるんだろうな」


 それをこちらに言われても、という正直な気持ちを、ぐっと押し殺す。


「たぶん、価格高騰の件でヒアリングに行ってるんだと思います。ほら、回る場所増えましたし。演劇ホールとか」


 最後の一言はさりげなく皮肉を込めた。

 気づいたのか、それとも気が済んだだけなのかは分からない。それはそうと、と、話題が変わる。


「代わりに同席してもらえるか? 契約〈回収員〉から、急な判定依頼が入ってね。どうしても今日しか都合がつかないらしい」


「それはまた急ですね。分かりました」


 〈回収員〉が持ち込んできた〈哀愁〉は、商社の担当者の立ち合いのもと個別にクラス判定がされる。その判定を担うのが〈株式会社AISYU〉から資格を与えられた〈鑑定員〉だ。同時に水没試験により体積も測定され、それらの掛け算により買取価格が決定する。

 急なアポで査定に来たのは、陸の担当する〈回収員〉のようだ。半田陸がどこをほっつき歩いているのか、逆に課長に聞きたいくらいだが、居ないものは仕方がない。

 頼んだぞ、と軽く右手だけ上げて去っていく川島の背中を一瞬だけ睨みつけ、亜沙香も席を立った。



「今朝のニュース見ました?」


 黙々と作業する〈鑑定員〉に、手持ち無沙汰になったのか、〈回収員〉の男が話しかける。見たところふたりは同年代らしく、面識もありそうな雰囲気だ。


「〈哀愁〉の違法開発の件ですか?」


 手持ちのデバイスで素早く判定作業をこなしながらも、即座に返答する〈鑑定員〉。


「お察しの通り。まあ、前々から噂にはなっていたので驚きはないですが」


「氷山の一角ですよ。こっちの立場からすると、もっと厳しく取り締まってもらわないと困るんですよね。商売にならない」


 〈哀愁の自由化宣言〉が出されたとは言え、〈英久〉のように流通を担う商社だけでなく〈哀愁〉を購入して使用するメーカーも〈株式会社AISYU〉の認可が必要だ。日本の産業保護の一環として法制化されており、今回はその法に触れたというニュースだったはずだ。


「大方、中華系企業が絡んでるんでしょうけどね。空港での〈哀愁〉の不法所持からの発覚だというし」


「将来的には、認可の制度は撤廃せざるを得ないという話ですよね。これだけ大きな産業になってしまった以上、いつまでも日本国内に囲い込んでおけないでしょう」


「まあでも〈安定化薬〉がありますから」


「ああ、それね」


 〈安定化薬〉のレシピは〈株式会社AISYU〉が門外不出にしている。日本政府が強気の姿勢でいられる理由は、この事実につきる。従わないなら〈安定化薬〉の供給はしませんよ、という理屈だ。


 クラス判定と体積測定まで完了して、査定額の報告書を〈回収員〉に手渡す。亜沙香からするとただの事務的な流れ作業だった。が、予想に反して、男がその報告書へのサインをためらう仕草を見せる。

 買取価格は公式な決まりがあるわけではないが、インターネットの有名3サイトに掲載されている価格の平均値を採用している。他の大手商社も概ねその決め方だと聞いている。そんないまさらの説明をしていると、男が亜沙香の話を遮る。


「裏価格表って、ご存知ないですか?」


 首をかしげて知らない旨を伝えると、そうですか、と少し笑みを漏らした男が続けて言う。


「いえまあ、今回はこれでサインさせて頂きますが。〈哀愁〉の価格設定も最近は事情が変わってましてね。もっと高額で引き取ってくれる会社さんがあるなら、私もそちらに乗り換えざるを得ないかな、と。いや、御社との付き合いも長いのでね。出来ればこのまま継続したい気持ちはあるんです。とは言え、ね」


 〈回収員〉の男は、最後は曖昧に言葉を濁しながら、複写式の報告用紙にサインを記入した。このあと〈哀愁〉の引取りと次回分の〈安定化薬〉の受け渡し作業となる。


「ありがとうございます。では、川島を呼びますので少々お待ちいただけますか」


 〈安定化薬〉は〈株式会社AISYU〉との取引だ。その関係で、ここからは課長の管轄になる。

 亜沙香がほっと息をついた矢先に、男は今思い出したかのようにわざとらしく手を打ちながら、


「ああ、そうだそうだ。どっちにしても〈安定化薬〉だけは頂かないとね」


 買取価格に関して何らかのアクションがないと次回は無いよ、というメッセージなのだろう。

 あとで担当である先輩には伝えることとして、軽く受け流した。



 2度目のアンコールが始まった。いよいよ本当に終わってしまう。そんな当たり前のことに理不尽を感じるほど、自分にとっては良いライブだった。

 普段それほど音楽を聴かない亜沙香が、ゆいいつ聴き続けているガールズロックバンドだ。5年ほど前に、ある動画サイトで見かけて一目惚れして以来、近くでライブがあれば必ず行くようにしている。

 300人ほどのキャパの会場だ。オールスタンディングの客席は、ほぼ満席という状況。ほぼ、というのがポイントで、ファンとしては複雑なのだが、毎回チケットの確保には困らない知名度のままで居てくれている。

 今まで人を誘ったことはない。このライブだけは人目を気にせず自分の世界に浸りたい。そう思っていた。

 今回はひとりではなく、カナと一緒に参加している。カナとは家にまでお邪魔して以来、飲み友達のような関係になっている。ライブに誘ったことにははっきりとした理由はなく、酒の勢いだった。後から考えると、カナには共感して欲しいという気持ちがあったようにも思う。

 バンドメンバーが手を振りながらはけていく。大半の観客が名残を惜しんでその場に留まるなか、ちらほら会場を後にする人も出てきていた。

 

「まあ、良いライブだったね」


 言葉とは裏腹に、カナにはそれほど刺さらなかったような印象だ。人それぞれ好みがある。一抹の寂しさはあるが、それはそれとして受け取るしかない。

 

「特にギターボーカルの子は、もしかすると化けるかもしれない。上手く言えないけど‥‥なんだろう、もっと売れてても良いのに、っていう違和感?」


「そうなんですよ。あれだけ声も良くて可愛くて。なのにギターも上手いっていうギャップが絶妙で」


 頷きながらも会場内の隅々に視線を這わすカナ。その手には〈安定化薬〉が握られている。半分以上の観客はもう帰っていて、比較的自由に動けるスペースはある。

 と、人の流れに逆らってカナが足を進め始めた。迷いなく一直線に壁際に向かっている。そこにあると目星がついているのだろう。その背中を追いながらも周りの様子に注意を向けてみると、会場内に留まってきょろきょろと視線を這わせている人が数名いるのが分かった。おそらく在野の〈回収員〉だ。

 立ち止まるカナ。もうひとり、同じ場所を目指していたと思われる男は、諦めたらしく方向を変えた。早い者勝ち、というのが業界のルールだ。

 〈安定化薬〉で実体化した〈哀愁〉に、少し魅入ってしまった。ホワイトシルバーに奥行きがあり、色合いに哀愁が感じられる〈哀愁〉だ。


「これって、いいヤツなんじゃないですか? うまく言えないですけど、なんかそんな気がします。ひょっとしたら〈松〉クラス、とか」


 もちろん、判定するまでは分からない。ただ、分かる人には分かる、という。

 恭しく両手で掲げたまま〈哀愁〉を凝視するカナ。

 亜沙香の問いかけに振り向くこともなく、ええ、そうね、と曖昧に応じただけだった。

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