第30話


 「悪いね、急に呼び出したりして」

 「……要件は?」

 「相変わらず不愛想だね。ますます屈服させたくなる」

 平日の夕方。宮益坂を上がり、松屋から一本小道に入ったところにあるのが、私がキラに呼び出されたバーだ。営業しているのに看板はクローズになっていて、世を忍ぶように佇んでいる。今日はキラの芸能人パワーで貸し切りらしい。私たち以外にはバーテンダーが一人いるだけだ。

 店内は薄暗くて、まともな光源はテーブルの上のキャンドルだけだ。火が揺らぐたびにキラの顔が淡く瞬き、蠱惑的な笑みが際立つ。そのままカクテルに口を付けるキラは嫌になるほど美しかった。もはや芸術品だ。そのままCMに出られそうなくらい────そういえば出まくっていた。

 「ワタシの言った通りになったね。世界がピーちゃんを放っておかなくなる、きっかけ」

 「何の話?」

 「あの曲を作ったのはミカゲちゃんでしょ? 業界の裏側では話題よ。なんとかして引退を撤回させて仕事させようって、アナタの事務所に電話が殺到しているみたい」

 私は「はんっ」と鼻を鳴らした。

 「どうでもいい。もう戻る気ないし。でもそれヒカリに言ってないよね?」

 「原作者の意向は守られているよ。ワタシたちがいるのは契約が全ての世界。文書には義理堅い人が多いの」

 「人間にはそうじゃないくせに」

 「ふふ。厳しい」

 私は背もたれに身体を預け、ミルク入りコーヒーを啜る。

 「それで? 何の用って聞いてんだけど」

 「ピーちゃんも有名になったことだし、そろそろミカゲちゃんがワタシのものになってくれないかと思って」

 「まだ続いてたの、その話? 断ったよね」

 「忘れた」

 「都合の良い頭だな……」

 大袈裟なため息を吐くと、キラは妖しく色っぽく笑う。

 「アナタを呼び出した理由は、ピーちゃんの話が聞きたいんじゃないかと思って。最近会えていないって彼女から聞いたよ。心配でしょう、ピーちゃんのことが」

 「……それは……うん……」

 私はソファに座り直した。合皮がキシキシと音を立てた。図らずもキラの顔色をうかがうような形になってしまった。

 「ヒカリは……どう? 今はあんたの方が一緒にいる時間、多いでしょ」

 「人気者の洗礼を浴びている状況だね。休憩時間は死にそ

うな顔しているし、先輩からの嫉妬も辛そう。選抜メンバーで話し相手はワタシだけ」

 キラはからかうような視線を向けてくる。

 「いつかピーちゃんもワタシのものになるかもね」

 「うるさい……うう……心配だなぁ……」

 「こうなっても良いと思ったから曲を送ったのではないの? まるで差出人不明のラブレターだね。いじらしくて一途で可愛い」

 「……分かんない。私はただ、ヒカリのためになるって思ってたから……」

 私は髪をもみくちゃにして項垂れた。キラが手を伸ばして、私の頬に触れ、顔を上げさせてきた。

 「アイドルとしてのピーちゃんの成功には一役買っているのは確かだよ。それに有名になったピーちゃんのおかげでアンダーメンバーにも注目が行くようになったから、グループ全体が人気を盛り返している。グループはミカゲちゃんに感謝しないとね」

 「……そう」

 「ワタシも試される時が来た。ピーちゃんの勢いに飲み込まれてしまえば、ワタシの天下は遠くなる。あるいは二度と手に入らなくなるかもしれない」

 キラは瞳をギラつかせた。全てを食らい尽くす猛獣のような輝きだ。

 「この波を乗り越えることができればワタシは大きく前進する。ワタシはもっと大きくなることができる。今から天下の景色が楽しみだ。ゾクゾクする」

 「……コネ使ってヒカリに何かしたりしないよな。そんなことしたら、あんたのこと死んでも恨むから」

 「汚い真似はしないけど正面から潰してしまうかも。ワタシはあらゆるものを使って正々堂々と叩きのめすタイプ。ピーちゃんは果たしてワタシに耐えられるかな」

 足を組んで、背もたれに身体を預け、顎を上げ、キラは私を見下すように薄ら笑いを浮かべる。キラが見下しているのは私ではなくこの世界だ。いや、キラが上に立っているからたまたま世界が下になっているだけだ。

 私はゾクゾクした。特別な人類であるキラに見下されていることに優越感を覚えそうだった。慌てて頭を振って自我を取り戻した。キラはそんな私を見て「はぁーあ」と嘆息した。

 「ミカゲちゃんがワタシのものになってくれれば、もっと

上に行けるのに」

 「私はヒカリ単推しだっつってんでしょうが」

 「そう、残念」

 微塵もそうは思ってなさそうな口調だった。キラは「そろそろ次の仕事の時間だ」と黒いカードをひらひらさせながら立ち上がった。

 「いつでも連絡してきて構わないよ。ワタシのものになってくれるという話なら大歓迎だけど、それ以外の話題でもいい。ワタシはピーちゃんより融通を利かせられるから」

 「……親切すぎ。なんか企んでんの?」

 疑う私へ、キラは色っぽい流し目を送ってきた

 「なにも? ただ、ワタシは才能があって足掻いている人が好きなタイプ。ピーちゃんとかミカゲちゃんとか、ね」

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