第29話
旭ヒカリは瞬く間にスターの階段を上り始めた。
彼女の出るMVは公開して三日で五百万回再生、一週間で一千万回再生を記録した。今や九段フォーセブンはヒカリとキラの二枚看板だ。
十一月が終わる頃には私はヒカリと会えなくなっていた。最後に顔を合わせたのは十一月中旬あたりだろうか。それでも三十分くらいだった。
『寂しいです、ヨダカさん。あんなに毎日会ってたのがウソみたいですね』
二週間ぶりに電話で話したヒカリの声は、あからさまに疲れが滲み出ていた。
「……私も寂しい。でもヒカリ、忙しいから。しょうがないよ。それより私が言ったことちゃんと守ってる?」
『はい。移動時間は寝る時間、怪しい誘いとか集まりには行かない、特に男の人とは仕事以外で話さない、ですね』
「後はマスクね。変装も大事だけど、喉は大切にしなきゃいけないから労わること。のど飴も常に舐めて。少しでも異変を感じたらすぐに病院に行くのも忘れずに」
『流石ヨダカさんです。バズりのお師匠さまですね』
「大変なのは今だけだから。テレビ・ラジオを一周したら楽になるから踏ん張って。色々落ち着いたらまたご飯行こう」
『はい。今度はわたしに奢らせてくださいね? 今までのお礼です。お金使う暇無くて、増えちゃうし余っちゃうし、もう腐りそうなんです』
「あはは。分かった。楽しみにしてる」
『はい』
一拍の沈黙の後に、泣きそうな声がした。
『会いたいなぁ』
あまりに真に迫った感傷的な声だったから、私は一歩出遅れた。ズルい。あの感応させる声をこんな風に使うなんて。
『寂しいです。寂しい。ヨダカさんの顔が見たい。会いたい。励ましてほしいです。頑張ったねって頭を撫でてほしいです。ヨダカさん』
「今だけだよ。もうちょっとだから」
『ホントですか? わたしのスマホの待ち受け、ヨダカさんの写真なんですよ。ウソだったらわたし泣きますからね? 週刊誌にヨダカさんの正体を売りますからね?』
「こ、怖いこと言わないで。ホントだってば」
『ふーん、なんか気持ちが籠ってないなぁ。わたしばっかりって感じ』
「あはは……」
『もう。あっ、そうだ。わたしがいなくても、ちゃんと生きてくださいね? コンビニ弁当とかで済ませちゃダメですからね? 部屋も掃除してくださいね?』
「分かってるよ。そろそろ寝な。明日も早いんでしょ?」
『そうですけどぉ。もうちょっとだけ、ダメ?』
「ダメ。ヒカリは売れっ子アイドルなんだから。そんなヒカリをこんなに独占したら、ヒカリのファンに殺されちゃうかもしんない。私まだ死ねないなぁ」
冗談めかして言うと『はぁい、分かりました』とくすぐったい笑い声が返ってきた。かと思うと、ちゅっ、と電話越しにキスされた。
『おやすみ、ヨダカさん。大好きです』
「おやすみ。頑張ってね」
電話を切り、私はふぅ、と息を吐いた。ヒカリが売れてよかったと思うと同時に彼女の身体が心配だった。今は忙しさでそれどころではないだろう。しかし、ふと冷静になった時に凄まじいスピードで消費され始めている現状を自覚したら、ヒカリは何を思うのだろう。
きっかけは私とはいえ、ここまでの事態になるとは予想していなかった。ヒカリの実力が真っ当に評価されたのは嬉しい。しかし私と同じような道を辿ってしまうかもしれないと思うと────選んだ道は正しかったのか、疑ってしまう。
私は頭を振って疑念を吹き飛ばした。それはそれ、これはこれ、だ。商業的に見ればこれ以上の成功は無い。
とりあえず初バズりは果たした。この後に人気が続くかどうかは、私にどうにかできる問題ではない。『大人』の売り方と、ヒカリがそれに追従するかどうかだ。上手くいけば人気は確立されるだろう。
テレビを点ければヒカリがバラエティに出ていて、元気な笑顔を画面の向こうに届けていた。それを見て、少し胸が軽くなった。
────わたしは幸せになりたいです。
考えてしまう。果たしてヒカリは幸せなのだろうか。画面の中は虚飾の世界だ。人間らしい感情などない。偶像は偶像らしく、フィクションとして存在するだけだ。
「ヒカリ……私は……」
その時、スマホが震えた。
寂しがりなヒカリがまたかけてきたのかな? と思ったが、違った。液晶に表示された名前を見て、私は信じられず、勢いのまま通話に出た。
「な、なんで私の番号知ってんだっ?」
『ピーちゃんから聞いた。元気?』
通話の相手は、真帆路キラだった。
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