第21話

 キラはトイレの傍にあった自販機に向かった。

 「ねぇ、何か飲む? ずっと喋っていたから喉がカラカラなんだ」

 「ヒカリは……?」

 「さっき解散したよ。今はアナタを待っていると思う」

 それを聞いて、私はすぐにその場を逃げ出そうとしたが、キラに行く手を阻まれた。彼女はヒカリより背が高いから、私からすればキリンに見下ろされているような気分だった。

 「少しお喋りしようよ。ワタシ、アナタに興味あるんだ」

 「私は興味ねーよ」

 「興味を出させてみせる。アナタみたいな人まで虜にできるのがアイドルなんだよ」

 頬に人差し指をくっつけて、にぃっ、と蠱惑的な笑顔を向けてくる。

 純粋で光源のようなヒカリの笑顔に比べると、少し暗くて妖しげで、目を背けたら魂を抜き取られそうな笑顔だった。

 「随分ツレないね。ワタシはアナタに何かした?」

 「あんたはヒカリの敵だろ。私はヒカリの味方だから」

 「敵? アハハ。それは正しくない。ワタシたちはライバル。ワタシとピーちゃんは同じアイドルグループの仲間であり、切磋琢磨するライバル」

 自販機で炭酸水を買ったキラは廊下に並ぶベンチに座って優雅に足を組んだ。イチイチ動作が様になっていた。このままCMに出れそうなくらいだ。そういえばアホみたいに出てたんだった。

 キラは自分の隣をぽんぽん、と叩く。

 「お喋りしよう。うんって言うまで逃がさない」

 「束縛する女は嫌われるぞ」

 「関係ない。ワタシは欲しいものがあれば何が何でも手に入れるタイプ。地位も名誉も人間も、ね」

 それに、とキラはスマホを見せびらかした。

 「男子トイレで何やってたんだろうね、ヘンタイさん」

 私は唸って、髪をもみくちゃにしながら彼女の隣に座った。座高が同じくらいだった。どれだけ足が長いんだろう。

 キラのことを少し調べたことがあった。真帆路キラ、二十三歳。三年前に突如現れたアイドルだ。ヒカリの同期であるにもかかわらずデビューしてから瞬く間に業界から注目され、彼女がセンターになったCDはグループ歴代一位の大ヒットを記録し、レコード大賞にも選ばれた。キラが表紙を飾った雑誌は発売前に売り切れた。キラがバラエティに出れば視聴率が二倍に跳ね上がった。まさに金の成る女、時代に

選ばれ時代を掴んだアイドルだ。

 「言っとくけど間違えて入っただけだから。普通にお手洗いしてただけ。他は何もしてない」

 「ふぅん? ワタシの言葉とアナタの言葉、どちらを皆は信じるのかな」

 「だ、だからぁ!」

 「アハハ。ごめんごめん、アナタがそういう人じゃないってことは分かっているよ。夜鷹ミカゲちゃん」

 私は驚いて、キラを睨むのを一瞬忘れてしまった。

 「なんで私の名前知ってんの?」

 「当時とは少し印象が違っていたけれど、すぐに分かったよ。そのタトゥー。ワタシはアナタのファンだから」

 キラは鎖骨の辺りを指で示した。そういえば、あの時はおしゃれ重視で首元が緩い服を着ていたんだった。

 こうも私のファンを名乗るアイドルが出てくるなんて。ヨダカはアイドルにしか刺さらなかったんだろうか。

 「当時はかっこよかった。世界の全部が敵のような顔をして、噛みつくようにラブソングを歌っていた。ワタシにはあんなことできない。年下だから余計に嫉妬したよ。ワタシより生きてきた時間が短いのに、どうしてそうなることができたのって」

 「……嫌味かよ」

 「なんで? 褒めているのに」

 まったくもって不思議、と言うように首を傾げられた。やっぱり天然のようだ。大物なのかもしれない。

 キラが流し目を送ってくる。寒気がするほど色っぽい。

 「今は腑抜けたね。あの時のギラギラが無い」

 「大人になったんだよ。昔が子供だっただけ」

 「ふぅん。それ、本当に良いことなのかな?」

 私は舌打ちした。なんでわざわざこっちの神経を逆なでするようなことを言うんだ?

 「なに? 煽ってんの? 喧嘩なら買うけど」

 「怒るということは、腑抜けたのが図星だったということ? 自分を曲げて大人になったのが良いことではないと思ってるということ? だとしたら、ふふ、かっこ悪いね」

 「んだよ、かっこ悪いのはそっちだろ! お偉いさんの娘だからって『大人』に使われてるコネやろーのくせに!」

 いけない、口が滑った。今さら遅いけれど私は口を手で覆った。

 「そうだよ」

 なんでもないように、当たり前のようにキラは頷いた。

 「だからなに? 子は親を選べない。ワタシは好きであの男の遺伝子を受け継いだわけじゃない」

 「で、でも現にそれを利用してるだろ!」

 「ワタシは使えるものはなんでも使うタイプ。血でもコネでも、ね、自分は安売りしないけど」

 キラは私の手を掴み、自分の頬に手を添えさせた。

 「なっ」

 「ワタシ、綺麗でしょ?」

 ひぐっ、と私は息を飲んだ。有無を言わさぬ口裂け女だ。しかし目の前の現実はその逆で、ただただめちゃくちゃ綺麗だった。

 「でも、この世界はただ綺麗なだけじゃ生きていけない。そんな人はごまんといるし、ワタシより綺麗な人はいくらでもいる」

 「だからコネを使うって? ズルだろ、そんなの!」

 「だってワタシは天下を獲りたいから。そのためなら、いくら汚れようとなんだってする」

 天下? 何を言ってるんだろう。私は漠然とキラへ視線を返した。

 「ワタシはこの世界で一番高い所に昇って、そこから世界を見下ろしたい。世界中から褒められて、崇められて、讃えられて、認められる女になる。この先、百年後の未来になっても誰からも忘れられない女になる」

 ずい、とキラは迫ってくる。互いの息がかかるくらい近い距離まで近づいてくる。気を失いそうなほど良い匂いがする。

 「ワタシのことを見たら二度と忘れさせてやらない。人生を狂わせてやる」

 指と指を絡ませてきた。奈落の底のような、ブラックホールのような、まったく光が届かない闇を湛えた瞳に飲み込まれそうになった。私は根源的な恐怖を感じた。

 「素敵な夢だと思わない?」

 「だっ」

 私は渾身の力を振り絞ってキラを突き飛ばした。それでも私たちの間の距離を少しばかり広げる程度にしかならなかった。

 「っから、なんなんだよ……」

 「あれ、何の話をしてたんだっけ。少し熱くなっちゃったかな。アハハ」

 キラは無邪気にケラケラ笑った。先ほどの身の毛もよだつような欲望を渦巻かせていた姿を今は微塵も感じられなった。纏う空気の変わりようが恐ろしかった。

 今がチャンスだ、と私はベンチから立ち上がる。

 「もういい? ヒカリ待ってんだよね?」

 「待って。ここからが本題。ピーちゃんのこと」

 「……ヒカリのこと?」

 「ワタシがあのオーディションで負けるとしたらピーちゃんだけだった。あの子から聞いた。アナタがピーちゃんの先生なんでしょう?」

 蛇が舌なめずりするような、絡めとられるような視線が身体中に突き刺さった。

 「最近のピーちゃんはすごい。どんどん成長している。あともう少し、何かのきっかけがあれば世界があの子を放っておかなくなる」

 そして、とキラは私の胸元に人差し指を、とん、と突きつけた。

 「そしてそのきっかけは、きっとミカゲちゃんが与える。だから、あの子は世界のスタートラインに立っている」

 時代を掴んでいるスターからの最上級の褒め言葉だった。それが癪に障った。

 「きっかけェ?」

 「それが何かは分からないよ。どう転ぶにしても、ピーちゃんのことは大好きだから、これからも挫けないで頑張ってほしい。ワタシのライバルとして」

 「……ずいぶん上から目線だな。自分のこと主人公かなんかだと思ってんの?」

 「ワタシの人生でワタシが主役なのは当たり前。ワタシは輝かしい道へ進んでいく。その道のりを時には阻んで、時には一緒に壁を乗り越えるライバルがピーちゃん。そして最後には必ずワタシが勝つ」

 「あ、あんたなんかにヒカリは負けたりしない」

 「ミカゲちゃんがいるから?」

 その言い草は、ヒカリだけならキラに勝てないとでも言っているようだった。そうだ、と言わんばかりにキラは頷いた。

 「天下を獲るために、ワタシは誰にも負けるわけにはいかないの」

 だから、とキラに顎を掴まれ、くいっと持ち上げられる。

 「ミカゲちゃん、ワタシについてよ。ワタシがもっと上に行くために。ピーちゃんをあそこまで押し上げた手腕があれば、ワタシはもっと天下に近づける」

 「……は?」

 「ミカゲちゃんがワタシのものになってくれるなら何でもしてあげる。毎日高級な服を着て、美味しいご馳走を食べて、欲しい物はなんでも買えて、イケメンをとっかえひっかえできるよ。そっちのケが無ければ、ワタシを好き放題にしても構わない」

 欲望の粋を集めたようなキラの提案に、私の心臓は嫌な跳ね方をした。そして冷や汗が噴き出た。

 「き、興味ない、そんなの! それにさっきは自分を安売りしないって……」

 「高く売れるならいくらでも。どう? 悪くないと思わない? ワタシ、身体と顔には自信がある」

 「だから興味ないって! やめて!」

 私はキラの手を振り払った。

 「ていうか、そ、そんなことしなくても……あんたは充分、手に入れてるでしょ。地位とか名声とか、お金も……」

 「そう? ありがとう。でも、まだ足りない。ワタシは一番じゃないでしょう?」

 「に、日本で……?」

 「世界で」

 荒唐無稽なことを言ってのける。あながち無謀だと思えないところが厄介だった。

 キラならきっと、コネなんかなくても芸能界を生き延びられる。その美貌とユーモアセンスと演技力と歌唱力があれば一生トップ芸能人として活動できる。けれど、それでも足りないんだろう。

 なぜなら天下を獲りたいから。

 何かを手に入れるためには、何かを差し出さなければならない。キラは潔白さを差し出したんだ。

 「……私がいれば……世界で一番になれる?」

 「少なくともワタシは今、そういうつもりで誘っているよ」

 ふん、と私はそっぽを向いた。

 「やだね。ぜったい嫌」

 「そう、残念」

 全くそうは思ってなさそうな口調だった。

 「ちなみに、フラれた理由を聞いてもいい?」

 「私の推しはヒカリだけだから。推し変はしねー主義なんだよ」

 キラは一瞬ぽかんとして、それから吹き出して笑い出した。

 「アハハハ! 推しか! じゃあしょうがない! アハハハハ!」

 くっ、くっ、とお腹を抱えながら涙を浮かべて大笑いしている。初めて真帆路キラの人間らしい一面を見た気がする。

 ……何がそんなに面白いんだろう?

 「悔しい! フラれたのなんて初めてだ!」

 そして、スコープを覗くスナイパーのような瞳で私を射抜いてくる。

 「いつか振り向かせてあげるね。まず、ミカゲちゃんの人生を狂わせてやる」

 そして耳元で囁いてきた。

 「今に見てて」

 思わず腹が立ってしまって、私はキラの胸倉を掴み上げ、即座に言い返した。

 「お前の相手は私じゃなくてヒカリだ」

 「どうだろうね。最後にワタシが勝つ未来しか見えない。今、この世界はそういう風にできている」

 ────ヒカリちゃんは生まれる時代を間違えた。

 サクマの言葉が脳内で反芻された。

 『大人』の手の上にある世界はきっとどうやったって崩せない。なぜなら、初めからそういう風に設計されているから。

 けれどだからと言って、それを唯々諾々と承服してもいいのか? ヒカリの涙はそんなモノのために流されたのか?

 私たちの悔し涙は、掴み取るべき理想の重さと等価であるべきだ。私はキラの胸倉から手を離し、言い放った。

 「未来は誰にも分からない。だからこそ未来は誰にだって変えられるんだ」

 「それ相応の力を持っている人間だけが、そう言える。果たしてミカゲちゃんやピーちゃんはその力を持っているのかな」

 私たちは睨み合う。私は歯を食いしばり、キラはどこか愉快そうに。

 「楽しみにしているよ。アナタたちのこれからを。がんばってね」

 そう言ってキラは踵を返した。私は心の中でこう繰り返した。拳を強く握りしめながら。

 終わってたまるか。終わってたまるか。

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