第20話

 「あれぇ、トイレどこぉ……?」

 それから五分後、私はすこぶる迷い尽くしていた。探しても探してもトイレが見つからない。「地図とか見なくても分かるでしょ」と高を括っていたことが仇となった。

 女の子(自分で言う?)が言うことでもないけれど、アレがやばい。

 「ぐおぉおおお……」

 股の間に手を入れて、意味があるかは分からないけれど、なんとかアレを押しとどめようとする。既に女を捨てている気がするが、何を、とは言えない。

 耐えろ、私! ここでアレしたら終わりだ! ソレが何かは言えないけれど!

 堪え切れず、そこら辺にあったドアを開けた。真っ白で綺麗な空間に出た。

 「あっ、あったぁ!」

 トイレっぽいドアだ! ここでダメならムリ! もうアレする! 何かは言えない!

 「ここだぁ!」

 覚悟を決めてドアを開ける。トイレがあった。瞬間、私は走り出した。ここがオアシス! エデンなんだ!

 「うおおおお!」

 私史上一番の速度でズボンを降ろした。

 「おあぁ……」

 やばい、めっちゃ気持ちいい。我慢して我慢した先の快感だ。これはハマったらダメなやつだ……。

 「ふぃー、すっきりすっきり」

 下腹部のつかえがすっかり取れた私は、満足しながらズボンを上げてトイレのドアを開ける。

 それと同時に、背広を着た男の人が二人、入ってきた。

 「ッ!?!?!?!?!!?!?!?!」

 バタン(扉を閉める音)! ガチャッ(鍵をかける音)。

 「ん?」

 「どうしました? サクマさん」

 「女の子がいたような気が……」

 「なに言ってるんですか。ここ男子トイレですよ? 売れなくて自殺した幽霊かなんかじゃないですか?」

 「君、怖いこと言うね……まぁ、最近忙しかったから疲れているのかも」

 シャッ(チャックを下げる音)。ジャー……じょぼぼぼぼぼ……(……)。

 きったねぇ……。

 私は便座に腰かけながら頭を抱えた。そう言えば小便器っぽいのがあった気がした。やってしまった。大変なことになった。これではヘンタイ扱いされてしまう。

 「いやぁ、凄かったですね。流石の演技力でしたよ、真帆路キラちゃん。アイドルを卒業した後も女優として充分やっていけそうですね」

 「そうだねぇ」

 「『先生』も、きっと天国で鼻が高いですよ」

 もしかして、あの二人は九段フォーセブン関係者なのだろうか。私は扉に聞き耳を立てた。

 「自分の娘が日本で一番のアイドルになろうとしてるんですからね」

 「そうだねぇ」

 私は自分の耳を疑った。真帆路キラは『先生』の娘?

 「この勢いが続けば海外進出も決まりそうだ。まさに破竹の勢い、だね」

 「サクマさんのプロデュース力の賜物ですね!」

 「そうかなぁ、あの子は選ばれるべくして選ばれている気がするよ。色々な意味で。ボクは道を用意しただけだ」

 おじさんと若者がふたり同時にチャックを上げる音が聞こえた。

 「同時に、かわいそうなことをしているよ。ボクは……」

 手を洗いながらサクマが零した。水がバシャバシャ跳ねる音に混ざってあまりよく聞こえない。私はドアに耳を押し付けた。

 「ヒカリちゃんは生まれる時代を間違えた。彼女の生まれる時期が少しでもズレていれば。と思わざるを得ない」

 「ああ、オーディションの最終まで行った子ですね。でも元々決まってたじゃないですか、主役はキラちゃんだって」

 「……そういう意味でも、だよ」

 若者の「ですね」と苦笑する声がする。

 「でもキラちゃんに比べちゃあ、ちょっと……まだ若いし、キラちゃんが海外に行った後でも大丈夫ですよ」

 気付けば、私は拳を固く握りしめていた。

 「ボクは地獄に堕ちるだろうね。あの子や他のアイドルたちは、きっとボクを恨んでるに違いない」

 「そんなことないですよ。芸能界ってそういうもんじゃないですか」

 「……女の子の泣く姿は辛いよ。いくつになっても慣れない。『先生』はアイドルにとっての鬼になれた。ボクもそうならなきゃいけないなぁ……」

 そして二人は出ていった。私はしばらく放心状態だった。

 今の話はまるで、オーディションが出来レースだった、と言っているようなものではないか? もしそうなら、ヒカリの努力はなんだったんだ?

 「……ざっけんな……っ!」

 ────芸能界ってそういうものじゃないですか。

 若者の言葉が反芻する。たしかにそうだ。私たちは『大人』の決定には逆らえない。全て彼らの掌の上なのだから。

 「……出よ」

 ここは男子トイレだ。いつまでも籠っていては問題になる。私は恐る恐るドアを開き、周囲に誰もいないことを確認する。よし、と覚悟を決めて外へ出た。

 パシャッ、とフラッシュが焚かれて、私は反射的に目を瞑った。

 「なんでアナタが男子トイレから出てくるのかな?」

 かつ、かつ、と私に足音が近づいてきて私は目を開けた。

そして見開いた。

 「あんたは、オーディションの時の……」

 「アハハ、覚えていてくれたんだ。嬉しい」

 スマホを細い指でとんとん叩いて、キラは意味深な笑みを浮かべながら私を見つめていた。

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