第18話
「実はね、ヨダカさん。こんなのがあるんです」
太陽がオレンジ色に滲みだした頃、休憩のために立ち寄ったツタヤのスタバで、ヒカリは二枚のチケットをリュックの中から取り出した。
『ハイスクール・ロックンロール』────ヒカリがオーディションで落ちたミュージカルのチケットだ。
「キラちゃんがチケットをくれたんです。あの友達と見に来てねって」
「なんだそれ。嫌味ったらしい」
私が思わず吐き捨てた言葉に、ヒカリは苦笑する。
「キラちゃん以外だったらそうかもなんですけどね。なんか許せちゃうんですよね」
「ええ……天然でそれ言ってるってこと? マジ?」
「マジなんです。で、こっから歩いて十五分くらいの劇場で初演なんですけど、行きませんか?」
「私はいいけど……」
対面の表情を伺った。自分が落ちた舞台を見ることは辛くないのだろうか。私の心情を察したのか、ヒカリは「大丈夫です」と言った。
「わたしに何が足りなかったのか勉強したいなって。それに、普通に舞台も面白そうだし」
だけど、とヒカリは一拍置く。
「一人だとちょっと不安だからヨダカさんに傍にいてほしいんです。ごめんなさい、自分本位な理由で」
「ううん、いいよ。それでいいと思う。付き合うよ」
ほっとしたような顔をされた。断られるとでも思ったんだろうか。
そうと決まれば早く移動だ。開演時間は三十分後。徒歩で十五分ほどの距離を、二人の足取りはなぜか重かった。二十分かけて私たちはゆっくり歩いた。
開演場所は渋谷パルコ劇場────若者向けの舞台を多くやる印象がある大きく立派な劇場だ。エントランスでチケットを見せて入場した。会場は満員だった。
私たちは前から五列目の真ん中、一番見やすい特等席だった。「本当に嫌味だな……」と呟いたら、「キラちゃんって純粋なんです」とフォローされた。ただ、良い席で自分の舞台を見てもらいたいだけのようだ。これが天然だとしたらよっぽどの大物なのかもしれない。
ブー……とブザーが鳴り、いよいよ舞台が始まった。私は椅子に座り直した。気を抜いて観劇したら失礼にあたるような気がした。
「……そこ、私の、席……」
「えー? なに? 聞こえないんだけど。喋るならちゃんと喋ってくれない?」
最初のシーンはネクラっぽいヒロインが教室に入り、クラスメートのギャルたちに自分の席が占拠されているところから始まる。
「あれ、キラちゃんですよ」
「マジで?」
あのオドオドしたちょっとイラついちゃうような陰キャが、あの? 憑依しているようにしか思えなかった。めちゃくちゃ俳優さんだ。
この舞台は、ネクラだが頭はすこぶる良い数学部のヒロインとバスケ部のエースの主人公が、バンド活動を通して友情や恋心を深めていくストーリーだ。他にも女王様気質の軽音部のエース、主人公とヒロインの仲を引き裂こうと協力する数学部やバスケ部員も魅力的に描かれる群像劇でもある。
音楽でなら自分を表現できる。それに気づいたヒロインはロックの虜になっていく。ミュージカルらしく途中途中で挟まれる楽曲はどれも高クオリティーで耳に残るものだった。
「私……今、生きてる!」
ヤジを飛ばしてくる生徒やライブを止めようとしてくる教師たちを音楽で黙らせる。路上ライブやライブハウスも経験し、ヒロインはどんどん明るくなっていき、主人公とのラブストーリーも加速していく。
しかし、二人の行く先には様々な障害が立ちはだかる。イジワルな教頭や主人公を横恋慕する女子生徒の妨害……果てには、数学のコンテストとバンドのコンテスト、どちらを取るのか。ヒロインは選択を迫られる。
「私は、あなたが好き。好きなの。自分じゃどうしようもできない気持ちなの」
隣を見るとヒカリが声を押し殺し泣いている。自分が不合格の理由を勉強するとか、そんなことすっかり忘れている。物語に没入している。
「私はこれからも迷い続けるんだ。でもそれが間違いとは思わない!」
舞台上でヒロイン────キラが声高に叫ぶ。演技ではなく本当に想っていることのように、彼女の熱い感情が空気を震わせた。
「考え続けて、迷い続けて────」
「答えの出ない問いだとしても、ゼッタイに目を逸らしちゃダメなんだ」
キラと同じセリフを、小声でヒカリが諳んじた。
ヒロインは数学部のコンテストを終わらせた後、採点を待つことなくライブ会場に向かう。主人公が待つステージへ上がる。いつしか彼女は芯の通った声で、超満員の聴衆の前で歌っていた。
「私は、私だ!」
自分自身に胸を張って、精いっぱい今を生きる。愛する人と、情熱を持って……。
あっという間の二時間半だった。喜劇の中に人間賛歌が溢れていた。私も気づいたら泣いていた。感動した気持ちを表現するのに、私は泣く以外の方法を持ち合わせていなかった。
「ありがとうございました!」
出演者が一列になって同時に礼をする。万雷の拍手とスタンディングオベーションが送られた。このまましばらく余韻に浸っていたかったけれど、すぐ席を後にしなければならなかった。私たちは来た時とは違う意味で、重い身体を引きずりながら会場を出た。
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