第17話
「……あれ」
「ヨダカさん?」
かき氷専門店を出て、センター街からスクランブル交差点まで戻る。
私はそこで足を止めた。
センター街側にある渋谷駅の出口前でミュージシャンが路上ライブをやっている。結構上手い。そこそこの人数が足を止めている。
ヒカリがひそひそ声で話しかけてきた。
「イケメンですね、あの人。タイプです?」
きしし、とヒカリはいたずらっぽい笑みを浮かべている。
「はぁ? そんなんじゃねーし。顔とか興味ねーし」
「じゃあ内面派ですか? 意外かも。ヨダカさんって面食いかと思ってました」
「え、どこでそう思ったの……?」
「ヨダカさんみたいな世界観がありそうな見た目の人って外面で人を判断しそうじゃないですか?」
「へ、偏見すぎんだけど……てかいいの? アイドルがこういう話して」
んー、とヒカリは顎に人差し指を当てる。
「話だけだったらいいんじゃないですか? 暗黙の了解で恋愛禁止ってなってるけど、公に禁止されてるわけじゃないんですよ。実は彼氏がいる子、何人かいますよ」
「うわ……聞きたくなかった」
「わたしたちだってフツーの女の子ですから。イケメン見たらキャーキャーくらい言いますよ。でもあの人、わたしのタイプじゃないかなー」
「……いちおう聞くけど、ヒカリは彼氏いんの?」
「んふふー、どうでしょう? いるのかなー? いないのかなー? 推しに彼氏がいたらショックですか? ねぇねぇ」
わざとらしく上目遣いで瞼をパチパチしてきた。私はうんざりしてため息を吐いた。
「彼氏がいたらせっかくの休日に私と出かけないか」
「もうちょっと動揺とかしてくださいよぉ。からかい甲斐がないなぁ」
ぶーぶー言いながらヒカリがお尻を私にぶつけてきた。体幹がしっかりしていて筋肉がついているから痛かった。
「そもそも中二からアイドルやってて彼氏なんて作れるわけないじゃないですか。恋とか愛とか知る前にそういう歌を歌ってたから、それが現実かフィクションかなんて分かんないですよ」
「まぁねぇ、そうかもねぇ」
「ヨダカさんは? 彼氏いたことあります?」
「ない。作る暇も無かった」
きっぱりと言う。ピリオドみたいな言い方をした。「え、それだけ?」とヒカリはつまらなさそうに返してくる。
「もうちょっとこう、華やかな芸能界のアレコレとかないんですか」
「無いよ。そういうのやるヤツは暇なだけ」
「うわぁ、辛辣」
恋人を作るだの恋愛をするだの、そんな精神的な余裕はこれっぽっちも無かった。目まぐるしく変わる自分の状況に付いていくことで精いっぱいだった。
自分が作った曲を歌わせてもらえず、次々に曲が勝手に作られ、歌って、レコーディングをして、CDを出して、ライブをして……。
あっという間の四年だった。酸欠になるのも無理はない。身体が耐えられなくなって燃え尽きてしまうのは必然だったのかもしれない。
引退のつもりだった活動休止をして、半年間引きこもって、やっと通常の人間と同じように呼吸ができるようになった。本当に怖い世界だった。
ヒカリが私に腕を絡ませて駄々をこねてくる。
「つまんないなぁ。恋バナしましょうよぉ。どんな人がタイプですか? わたしのタイプはねぇ、いっつも傍にいてくれて、厳しくても時々やさしくて、励ましてくれて、褒めてくれて、サプライズでプレゼントをくれるような人!」
「そんな人フィクションにしか居ねーよ。てかなんで、こんなクソ暑いなかで恋バナしなかんの」
「ヨダカさんが立ち止まったからじゃないですかぁ!」
「私は曲を聴いてんだよ……」
話を中断して耳を澄ませる。さっきより人が集まってきて、信号を待っている人なのか音楽を聴いている人なのか、もう私には分からない。
やがて警察がやってきて、ライブが中止になる。
「すみません! これ以上人が集まると危険になっちゃうみたいなんで、今日はもう終わります! CDあるんでよかったら買ってってください! インスタのフォローもお願いします!」
パチパチパチ、と拍手が起こる。QRコードを読み込む人やCDを購入する人で、まだまだ人の滞りは続きそうだ。
「どうでしたか? プロとしての評価は」
交差点を渡りながらヒカリがそんなことを尋ねてきた。
「女々しくてとても聴けたもんじゃなかったね」
「厳しっ」
「ルックスも良いし歌も上手いし、続けてればいつかは売れるんだろうけど……メジャーに行ったらゴリ押しされて、売れ線になったら用無しだろーな」
「売れるんだったらいいんじゃないですか?」
「そうかもね。そうなのかも……」
でも、と私は目を細めた。光が正面から直撃してきて目がチカチカした。
すれ違う人々は誰もがうんざりした表情を浮かべている。熱気がアスファルトの上で踊っている。遠くの景色が揺らいでいる。今日は本当に気温が高くて、普段なら考えないようなことに思いを巡らせてしまうのは、脳が沸騰しているからだろうか。
「売れることがゴールじゃない。売れすぎて人生が破滅する人もいるし、ずっとライブハウスで演奏することが幸せな人もいる。バンド組んでるだけで幸せな人もいれば、金が入ればなんでもいいって思う人もいる。分かんないよ、こればっかりは」
ビルに吊るされ、液晶に映され、色んな広告が飛び込んでくる。スクランブル交差点は世界で一番混む交差点だから、広告効果が高くなる。
動画配信、携帯料金。音楽チャート、サブスクリプション。選ばれた人はPRADAやGUCCI。旅行に行くなら今は海。
チカチカ瞬く広告は、それぞれ別のコマーシャルだ。けれど共通して伝わってくる言語外のメッセージがあった。
お金をたくさん消費して面白おかしく生きましょう。いっぱいお金を稼いだ人はきっと幸せになれますよ。
かつての私や今のヒカリは、そのメッセージを伝える歯車だった。私たちはお金を消費させる。その分『大人』は儲かって、私たちは道具として消費されるだけ。それでもいいと思ったから、私はあるはずのない夢を見た。音楽にはそれだけの価値があると心から信じていたから。
本当はどうだったんだろう。彗星のようにシーンに現れて、あっという間に消費され尽くして、また彗星のように、気づいたら私は消えていた。あの瞬間は幸せだったのか。夢にまで見た、音楽で飯を食えている状況に身を置いている……あの瞬間は。
「ヒカリは?」
「え?」
私は足を止めて、ヒカリを見つめる。
「ヒカリはアイドルになったのは夢だからって言ってたけど、どんなアイドルになるのがゴールなの?」
「わ、わたしですか」
どんな答えが出てきたって私は肯定してあげたい。
「わたしは────」
私の手を握る力が強くなった。本当に温かい手だった。
夏のせいだろうか。いや────
「わたしは幸せになりたいです」
「良いと思う。やっぱり私のイチ推しアイドルだな」
漠然とした、答えにもなっていない答えだった。でも本当に良いと思った。紛うことなき本心だ。
けれども、本当の幸いは一体何だろう。人間は幸せになるために死に損なっている。その幸せはどんな形で、どんな匂いで、どんな感触なんだろう。それを誰も知らないということは、誰も幸せではないのではないか。
幸いを初めて掴み取る人間がヒカリだったらいいと、私は願った。
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