第11話
「おつかれ」
「おつかれさまです!」
ある日の夕方、私はヒカリの待つスタジオにやってきた。大きな鏡や楽器が一通り揃っている、よくあるスタジオだ。
ヒカリは先に入ってダンスの振り付けを確認していたらしく、額に汗を滲ませていた。靴もボロボロで、もうすぐ穴が空きそうなほど使い潰していた。アイドルになって十五足目と言っていた。
「見てください、これ!」
私が荷物を降ろしていると、ヒカリが嬉しそうにスマホの画面を見せてくれた。そこには『グループ内オーディションのお知らせ』という文言が書かれていた。
「これ私に見せていいの? 守秘義務とかあるんじゃ」
「ヨダカさんは他の人に言ったりしないですよね?」
「そ、そりゃもちろん」
「じゃあ大丈夫! それにヨダカさんはわたしの先生なので知っておいてもらわなきゃ困ります!」
んふふー、とヒカリは含み笑いを浮かべる。
「これはねぇ、なんと! グループの中でも歌が上手いメンバーしか招待されない、新作ミュージカルのオーディションなんです!」
「へぇ、ミュージカル」
「しかもねぇ、なんと! 選抜メンバー以外で呼ばれてるの、わたしだけなんですよ! ヨダカさんのレッスンで、わたしの歌が上手くなってきたから! えへへへ!」
たしかに、それはすごい。確実にヒカリが認められ始めているということだ。私はニヤニヤしながら肘でヒカリを脇腹を突ついた。
「やるじゃん。ヒカリの努力の成果だな」
「ヨダカさんの教え方が上手いからですよぉ」
満更でもなさそうなヒカリだった。これなら私が曲を作るまでもないかもしれない。それはそれで良いことだと思った。ヒカリが一人で輝けるなら、それで。
それでね、とスマホを弄りながら彼女は続ける。
「台本と歌詞と楽譜が送られてきたんですけど、今日はそれの練習もしたいんです。いいですか?」
「もちろん。演技の方は分かんないけど歌の方なら協力できると思う。ちょい、見せて」
ヒカリからデータを送ってもらって確認する。
タイトルは『ハイスクール・ロックンロール』。アメリカのミュージカル映画を翻案したものだ。高校生活をベースにした王道青春ストーリーで、その名の通り歌われる楽曲はロックやポップ調のものが多い。
うん、これならできそう。
私はスコアを見ながら持ってきたギターを構える。「え、弾いてくれるんですか!?」とヒカリが今さら驚く。
「え、練習ってそういうことだろ」
「ナマ演奏じゃないですか! めっちゃ貴重!」
「軽く弾くだけだってば……」
大げさなリアクションに少し照れつつ、譜面台にスマホを置いてからギターを構え弦を弾いた。
「ふぅ、こんなもん?」
一通り弾き終えてヒカリを見ると、彼女はぽかんと口を開けていた。
「うわ、すご。初見で? 流石『ヨダカ』」
「ち、ちょーし狂うなぁ! いーから早く歌えよ!」
「はい! よろしくおねがいします!」
私は肘でボディを叩き、「ワン、ツー」と合図を出す。ヒカリはスマホを真剣に見つめながら歌う。しっかりと予習してきたようで、音程はちゃんと取れている。
しかし……。
「ヒカリ、画面見すぎ。歌詞覚えてないの?」
演奏を止めて言うと、ヒカリは顔にバレた、という文字を浮かび上がらせた。
「き、昨日、資料が届いたばっかりなので」
「じゃあしょうがないけど、これはカラオケと違ってミュージカルだから。単に上手いだけじゃダメだ」
自覚があったのか、ヒカリは「はぁい」と唇を尖らせる。
「今まで一緒に練習してきた曲は持ち歌だっただろ? だから歌詞も頭に入ってたし解釈も出来てた。今はただ音程を取ってるだけ。ミュージカルの内容を知らない私でも分かる。言ってる意味、分かる?」
「はい」
「オーディションはいつ?」
「一か月後です」
「じゃあ一か月の間に自分の解釈をちゃんと確立させて、胸を張って歌えるようにしなきゃな」
ヒカリは背筋を伸ばして「はい!」とお腹から声を出した。生意気な後輩モードではなく、真摯にレッスンを受けるアイドルモードだ。
「解釈の方向性は任せる。正解不正解がある問題じゃないから。私にどういうつもりで歌ってるか伝われば良い」
「分かりました!」
ヒカリは歌詞を見つめながら、スタジオの床にノートとペンを広げて四つん這いになり、ぶつぶつ呟き始めた。
ヒカリは『努力の人』だ。アイドルに足る要素は全て揃っているにもかかわらず、私の注意事項を守り、驕ることなく着実に成長している。そうやって頑張る姿は他人にまで元気を与えられる。旭ヒカリと書いてアイドルと読む。
しかし、そんなヒカリでも解釈に苦労している。スマホの画面とノートを見比べながらうんうん唸っている。
「大丈夫だよ、ヒカリ」
私はヒカリの肩に手を置いた。
「落ち着いて。いつもヒカリが自然にできてることをやればいいんだよ」
「わたしが自然に……?」
「ヒカリは自分の温かい気持ちを人に伝える力がある。誰にでも出来ることじゃない。ヒカリは特別なんだよ」
「わたしが、特別……!?」
浮足立ったヒカリに、私は力強く頷いた。
「だからヒカリとキャラクターの共通点を探せばいいんじゃない? キャラが伝えたい気持ちをヒカリの伝えたい気持ちにしちゃえばいいんだよ」
ヒカリに対するアドバイスは、自分でも驚く程スラスラと出る。いつもヒカリのことを考えているから、彼女への解像度が上がっているのだろうか。
我ながら彼女に狂わされている。
「ありがとうございます! やってみます! あとぉ」
ヒカリはポニーテールをくるくる指で巻きながら、もじもじしていた。
「ってことは、ヨダカさんはわたしのこと特別だって、思ってくれてるって、こと、ですか……?」
「へ? うん、まぁ。推しだし?」
「きゃー! ず、ずるいです! ヨダカさんはそうやってすーぐ調子に乗らせるんだからぁ!」
「は? 思ったこと言っただけだけど……」
「そういうとこ! そういうとこだから! もう!」
きゃいきゃい喜んだと思えばプリプリ怒っている忙しいヒカリに、私はただ困惑した。しかしヒカリはすぐに切り替えて、真剣な表情でノートに向かった。
その横顔を見て、夢を叶えてほしいなぁ、と思った。
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