第8話
「ま、まずいって。流石に怒られるって」
「大丈夫ですって。前もここでヨダカさんライブしてたじゃないですか。警察が来たら逃げればいいんです。二人で逃げれば楽勝ですよ」
「私じゃなくってヒカリちゃんが! アイドルでしょ!?
しかもさっきライブしたばっかの! まだライブ帰りのファンがいるかもしれないだろ!」
ヒカリに引っ張られてやってきたのは、まさかのライブ会場の最寄り駅だった。しかもここは私がヒカリと出会った、あの路上だ。まさかそんな巡り合わせがあるなんて、流石に運命とか、そういうものを感じてしまった。
「バレなきゃ平気ですよ。それに変装カンペキです」
ヒカリはバケットハットを目深に被って、顎マスクに眼鏡までしていた。芸能人のお忍びモードだ。
「それに、ぶっちゃけバレても大丈夫です! バズって話題になるチャンスじゃないですか!」
凄まじいハングリー精神だった。流石、勝手に私に曲提供を依頼してきたアイドルだ。
曲を作ることは断れても路上ライブを断る理由が思いつかず、ヒカリにずるずる引き摺られてここまで来てしまった。ギターもケースから出されてしまった。
「しょうがないな……なにやんの? ヒカリちゃんとこの曲やるわけにはいかないし、最近のヒット曲とか?」
「そこはヨダカさんのでしょ! わたし全部歌えます!」
今日はギター一本と肉声しかなく、誤魔化しは効かない。しかしヒカリに恐怖や緊張は感じなかった。自分の積み重ねてきたものに自信があるんだろう。それは今日のライブで充分伝わった。
「あ、じゃあ白色矮星やりましょうよ!」
「いいね。それなら誰も知らないしバレる確率が減る」
「そ、そういう意味で言ったわけじゃないんですけど」
ヒカリは苦笑し、駅から出てくる人々に向き直った。私はあぐらをかいてギターを構えた。いつものスタイルだ。
「すぅ……」
息を深く吸って、吐いて、指をギターに乗せた。人前で披露できない悔しさを抱えながら何百回も弾いたフレーズだから、指が完璧に覚えていた。
道行く人々は様々だ。早歩きのサラリーマンや、カップルや、冴えないおじさんの横に並ぶびっくりするくらいの美人や、男子学生の集団や、みんなバラバラだ。人間性も趣味嗜好も違う人たちの視線をクギ付けにすることができるのか? いつもは考えないようなことを、なぜか今考えてしまった。
────やりたくてやってるのと、やらざるを得ないからやってるってそんなに違うんですか?
同じ音楽なのに、そこに違いはあるのだろうか。隣に立っているのがヒカリだから、こんなことを……。
────お前は目を背けているだけだ。
背後霊が囁いた。
雑念が混じってしまった。イントロが雑になってしまったけど、きっと私以外気づかれないから大丈夫だ────
「ヨダカさん」
ヒカリが息を吸った。私を見つめていた。間違いなく気づかれた。すぐ分かるようなミスに私は簡単に目を瞑ってしまったのだ。途端に恥ずかしくなった。
恒星の最期の姿を白色矮星という。自分で光り輝くエネルギーを失ってしまい、恒星なのに望遠鏡を使っても見えなくなってしまう。しかし見えないだけで、そこにある。エネルギーはまだ燻ぶっている。だから、たとえ地球からは見えなくても白色矮星は────私はそこにいる。まだ燻ぶっている。諦めない。私の声が届かないとしても歌い続ける。歌い続けてみせる。
この曲はそんな私の理想を歌った曲だ。そのはずだった。
今の私はどうだ。この曲を歌っていた頃の私が望む私なのか。私に胸を張れる私になれているのか。随分遠くまで来てしまったものだ。
私がメイン、ヒカリがハモリ。初めて一緒に歌ったのにヒカリの音程は完璧だった。
ヒカリが私を見つめている。
────私がメインに行きたいです。
そう目が語っていたから、私は素直に譲った。
すぐさま変化が起こった。
空気が、震えた。
どんどん人が集まってくる。マイクを通さない、ミックスもしていない肉声が人々を惹き付けている。スマホも向けていない、ただ聞き惚れている人がいる。
私に目を向けている人なんて一人もいなかった。
食われた。
完全に負けた。
「ありがとうございましたぁ!」
歌い切って、ヒカリが大きく手を振る。おおおお……というどよめきと拍手が広がった。
「ヨダカさん! 次、何にします!?」
私はただただ茫然とヒカリを見ていた。
「ヨダカさん?」
「ぁ、えっと、そ、そうだな、えっと────」
「あのー! すみません!」
私が迷っている間に厳しい声が割り込んできた。やばい、警察だ。
「路上ライブ禁止です! 今すぐ止めてください!」
慌ててギターを仕舞ってヒカリの手を取った。
「行くぞ、ヒカリちゃんっ」
「え、あっ、ご、ごめんなさい! 今日はこれで終わりです! ありがとうございました!」
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