没落した元人気歌手が売れないアイドルと大人気アイドルに奪い合われる話（タイトル：ヨダカの夜明け）

第5話

　センター街のツルハドラッグで必要なものを買い、そのまま店先で処置をして、包帯までしっかり巻いた。「流石に大袈裟ですって」とヒカリは笑っていた。

　そこでじゃあねバイバイ……とはならず、「せっかく会えたのでお茶しましょうよ」と誘われてしまった。命を救われた相手の誘いを断るワケにはいかずに、結局ツタヤに併設されているスタバに入ることになってしまった。

　二人で期間限定のフラペチーノを頼み、対面の席で座っている。ヒカリはアイドルなので、万が一のことも考えて店の奥にある席にした。

　「せっかくだし期間限定のやつにしちゃいました。いいですよね？　ライブ前だけど！　ヨダカさんとのお茶だし！」

　「う、うん。いいんじゃない？」

　「やったぁ！　へへ、今日はヨダカさんのライブも見れたし、良い日です！」

　「あんな酷いライブだったのに……？」

　ライブ、と聞いて私はブルーになった。

　今日は最悪だった。曲も歌も良くなかったし、途中でライブを止めたからオーナーにしこたま怒られたし、アスカさんに会ってしまうし。

　「酷いなんて、そんな。でも、うーん、ヨダカさんがテレビとかで歌ってた頃の曲とはだいぶ違かったですよね。なんか初期っぽいというか」

　「初期？」

　「はい。『白色矮星』の時くらいの」

　「あれ知ってんの！？」

　私は思わず立ち上がって大声を出した。周囲の視線が突き刺さる。ヒカリのために目立たない席にしたのに、これでは意味がない。私はすごすごと座り直し、小声で話す。

　「ほ、ホントに知ってんの？　世界で五百枚しかないんだよ、あのＣＤ。最初のライブの物販で売ってて……」

　「だって私そのライブ行きましたもん」

　簡単に頷くヒカリに、私は驚愕した。白色矮星は世に出ているヨダカの曲のうち、唯一自分で作詞作曲したものだ。それを手に入れて曲調まで覚えているなんて、自分で言うのもなんだが相当なファンだ。

　「もちろんその後の、ちょっと幻想的で世界観ある曲も好きですけど、白色矮星はなんか心の叫び！　みたいな感じでめっちゃ刺さってるんですよね。今もスマホに取り込んで聞いてますよ、ほら」

　ヒカリはプレイリストを見せてくれた。本当にある。覚えてる人いるんだ。すごいな。

　しかし、私はもう一つのことに引っかかってしまった。

　「そっか、後のやつも好きなんだ……」

　私に釣られてヒカリも落ち込んだような表情を浮かべる。

　「ご、ごめんなさい。あの、アスカさん？　との話も聞いちゃって。もちろん、盗み聞きするつもりなんて無かったんですけど！」

　「いいよ別に……あそこで喧嘩した私も悪いから……」

　私はカップの表面に浮いた水滴が落ちていく様をじっと見つめた。

　「まぁ、聞いてた通りだよ。私の曲、私が書いてないんだ。がっかりしたでしょ」

　「そ、そんなこと！　歌ってるのはヨダカさんですから！　わたし、ヨダカさんの声も好きです！　なんていうか、心に残る特徴的な声をされているな、って思ってて」

　「……フォローしてくれなくてもいいよ。あんがと」

　「ほ、本気ですってぇ！　わたしの語彙力が無いだけですからぁ！」

　はは、と私は乾いた笑い声をあげて、間を取り持つみたいにフラペチーノを啜った。すっかり溶けていた。

　「でも、安心しました。ちゃんとまだ曲を書いてくれてたんですね。今日のライブでやってくれた曲、みんな知らない曲でした」

　「ぶふっ」

　フラペチーノでむせた。鼻がツンと痛んで冷たくなった。嫌な予感がした。

　「だからうちのグループに曲を提供してください！」

　「あの、話聞いてた？　全部ゴーストライターなんだって。私がバズった曲も私が書いたものじゃ……」

　「でも、わたしは白色矮星も好きです。わたしが好きなら世界にあと五百人は好きな人がいるってことなんじゃないんですか？」

　「だ、だからなに？　曲を提供するって話はもう終わってるし、私はもう曲なんか書きたくないし……」

　「じゃあわたしのソロ曲でいいので！　わたしが運営に直談判します！」

　「だからぁ、そういう問題じゃないでしょって……私は音楽もう辞めたんだよ」

　話が全く通じない。私が首を縦に振るまで解放してくれなさそうだ。「やる」って嘘吐いて逃げようかな……。

　「え、辞めてないじゃないですか」

　そんな最低なことを考えていると、ヒカリが純粋は疑問符を投げつけてきて、私は口をぽかんと開けてしまった。

　「音楽、続けてるじゃないですか。路上とかライブハウスで。あれは違うんですか？」

　あの目だ。透き通ったあの目で見つめられた。自分の浅はかさを底まで見透かされているようで、私は呼吸が止まった。

　「や、やりたくてやってるわけじゃない。バイト上手くいかなかったから仕方なくやってるだけ、だし……」

　「それでも音楽には変わりないじゃないですか？　やりたくてやってるのと、やらざるを得ないからやってるって違うんですか？」

　「ち、違うに決まってる！　自分のやりたいことをやって認められてるのと、音楽にみっともなく縋ってるのは……全然……ミクロとマクロっていうか……」

　無意識に強くなった語気で反論すると、ヒカリは「うーん」と首を捻った。

　「外から見たら分かんないかもです。ヨダカさんはまだ音楽を続けてる。それが全てじゃないかなって思ったり」

　「な、なんだよそれ。私が違うって言ったら違うんだよ」

　「そうなんですか。てっきり、もう聞きたくない、歌いたくもないっていうのが『音楽を辞めた』だと思ってました。でもヨダカさんの中じゃ違うんですね」

　きっと、ヒカリに私を暴こうとする意図は無い。けれど私は勝手に揺らいだ。

　そうだ。私はなんでまだ音楽を続けているんだろう。裏切られて、傷ついて、もう嫌だって、これ以上やったら死ぬってところまで追い詰められて、ここまで逃げてきたのに。なのになんでまだ私は音楽を続けているんだろう。

　────お前はただ縋っているだけだ。

　そう、背後霊が囁いてきた。

　私が俯いて視線を彷徨わせていると、ヒカリは「でも、そっか」と吐息交りに独り言ちた。

　「生きるために音楽をやってるんじゃなくて、音楽をやるために生きるんだ、って言ってたヨダカさんは、もういないってことなんですね」

　「……なにそれ。私が言ってたの？」

　「はい。インタビューで。『ミュージック・レボリューション』の」

　ああ、そういえば。思い出した。そんな希望を胸に抱いて生きていた時期があった。

　……なんで私のインタビューなんて覚えてるんだ、この子。

　『ミュージック・レボリューション』とは、私が十四歳の時に優勝したコンテストだ。優勝特典は賞金とメジャーデビューであり、一年後、私はアスカさんのいるレーベルに拾われたわけだ。

　あの時の私は世界への復讐を果たした達成感に満ち溢れていた。ようやく自分の意思で呼吸ができた気がしていた。

　結局、それはまやかしだったけれど。

　「もう、いないよ……そんな私は殺した……いや、四年前からとっくに死んでたんだ……」

　流れ出た言葉はまるで吐瀉物だ。私の中で燻ぶっていた感情が綯い交ぜになって醜い色をしていた。

　「本当に？　本当にそうなんですか？」

　私が頷くと、ヒカリは悲しそうに目を伏せた。睫毛の長さが際立った。私は吐きそうになった。反射的に歯を食いばって生唾を飲み込んだ。

　どうして？　私はもう諦めたはずなのに、どうして拒否反応が起こるんだ？

　「分かりました。わがまま言って、ごめんなさい、ヨダカ

さんを苦しめたいわけじゃなかったんです」

　ヒカリは深々と頭を下げた。私はその姿に深く傷ついた。なぜ？　私はただ、ずっと抱いていた意思をそのまま他人に伝えただけなのに。

　「……謝んないで。ヒカリちゃんは何も悪くないじゃん。悪いのは全部……私だ」

　視界がぼやけた。瞼を下ろすと、熱い雫が二つ零れた。

　「ごめん、私もう訳分かんなくて……苦しい想いしたくないのに……なんでまだ縋ってんだ、マジでキモい……でも私、何もない……これ以外、何も……」

　私はテーブルに突っ伏した。すると、頬に温いものが当てられた。そして優しく撫でられた。

　「ヨダカさん」

　ヒカリの声だった。太陽の光のような彼女の声は、私の強

張った身体をじわりと解すような温かなものだった。

　私は顔を上げた。ヒカリも泣きそうな顔をしていた。泣き顔も様になるなんて、アイドルは本当にズルいな、と思った。

　「泣かないで。ヨダカさんがそんな顔してたら、わたしも悲しくなります」

　そう言われて、私は慌てて袖で顔を拭った。

　「……別に。勝手に私が泣いただけだし。ヒカリちゃんのせいじゃないし……」

　「ほ、本当ですか！？　文句あったら何でも言ってください！　ちょっと病むくらいで収まるので！」

　「そんなこと言われて言えると思う……？　文句も無いよ、ありがとう」

　「そ、そうですか。なら良かったです」

　ヒカリは「あの」とモジモジしながらも、意を決したように切り出した。

　「わたし、ちっぽけなアイドルだけど、でも、アイドルは笑顔を届けるのが仕事なんです」

　「う、うん。そうなんじゃないの……？」

　「ヨダカさんにも笑ってほしい。ヨダカさんを笑顔にするのがわたしであってほしいんです」

　だから、とヒカリは身を乗り出して、私に何かを握らせた。見ると、それは九段フォーセブン・アンダーメンバーのライブチケットだった。日付は今週末だ。

　「来てくれたら嬉しいです。席の場所、分かってるから、いっぱいファンサします！」

　「……お金、払ってないのに？」

　「いらないですよ。お金よりヨダカさんが笑ってくれる方が嬉しいし、そもそも落ち込ませちゃったの、わたしが原因だから」

　笑顔を浮かべながら首を横に振るヒカリに、私は目が眩みそうだった。

　「……なんでキミはそこまでして────」

　「あーっ、やばい！　門限！」

　ヒカリはスマホを見て驚愕する。そして慌てて荷物を纏め出した。

　「ごめんなさい、寮の門限やばくて！　このままじゃ運営さんに怒られちゃう！」

　「え、え？　ちょっと」

　「じゃあ、またライブで！　ゼッタイ来てくださいね！　約束ですからね！」

　そう言い残すと、ヒカリは嵐のように去ってしまった。私はスタバにぽつんと取り残された。

　「……なんなんだよ、あの子……」

　手の中にあるチケットにもう一度視線を落とした。思わず握りつぶしてしまいそうだった。

　惨めだった。人前であんな風に泣いて、慰められて。しかも年下の女の子に。

　私はもう、遠くへ行ってしまいたかった。あらゆるものから離れて、どこまでもどこまでも行ってしまいたかった。

　どうして捨てたはずのモノがまだここに在って、私はずっと苦しんでいるんだ。今の道が正しくないとでも言うつもりなのか。たとえ正しくなくても、裏切ったものの大きさが私の背中を押し続けていた。

　私はもう、空の遠くへ、たった一人で飛んでしまいたかった。