没落した元人気歌手が売れないアイドルと大人気アイドルに奪い合われる話（タイトル：ヨダカの夜明け）

第3話

　「くっそ……」

　ライブハウス横の路地裏で、私は飲み干した缶コーヒーをゴミ箱へ投げ捨てた。缶はゴミ箱の淵に当たって耳障りな音を立て、コロコロと地面を転がった。自動販売機の無機質な光に照らされ、所在なさげに横たわり、恨めしそうに私を見つめた。

　なんであんな歌を歌ってしまったんだろう。今までは、心地いい音を鳴らすだけの歌詞なんてどうでもいいような歌ばかりだったのに。活動休止したばかりの頃に書いた曲を、一生表に出すつもりの無かった最悪な曲を披露してしまったんだろう。

　ヒカリの笑顔が瞼の裏に焼き付いている。今の私には、あの光は眩しすぎる。

　「ヨダカ」

　聞き覚えのある声がして、私は反射的に肩を震わせた。凛とした声が、雷のように高速で伝わって私を感電させたようだった。

　「あ、アスカ、さん！？」

　「ここにいたの？　一年間連絡を返さなかったのはどういうつもり？　事故に遭ったり悪質なファンに何かされたかも、って当時どれだけ心配したと思ってるの？」

　彼女はつかつかと私に迫って早口でまくし立ててくる。眉間に皺が寄っている。明らかに怒っている。

　「う……な、なんでここに……」

　「発掘。原石を探しに来たら、たまたまライブにあなたが出てたの。話を逸らさないで私の質問に答えなさい」

　「ひ、ひぃ」

　私はあっという間に壁際まで追い詰められてしまった。

この人の淡々とした理詰め口調は反論を許さない。下手に言い返してしまうとボロを指摘されて完膚なきまで論破されてしまう。

彼女は富士アスカさん。私がメジャー・レーベルに所属していた時のマネージャーだ。

　「ち、ちゃんとメールしたじゃないですか。私辞めますって……」

　「その一言で辞められると本気で思ってるの？　社会人を舐めすぎてる。うちの会社で所定の数の曲をリリースするまで辞めることは許されないって契約書にサインしたよね？　自分で読んで、自分で決めたことでしょ」

　「でも、でもぉ……」

　「最悪、損害によっては訴訟沙汰になるけど、いいの？」

　「そ、訴訟！？」

　訴訟が起きたら何がどうなるかイマイチ分からなかったけれど、それでも言葉の響きだけで危ない、と直感した。

　はぁ、とアスカさんはため息を吐く。

　「学校まで辞めちゃって……どうするの？　最終学歴が中卒でいいの？　人生は歌手活動だけじゃないんだから、せめて高校だけでも────」

　「わ、私の勝手じゃないですか！　立て替えてくれたお金だって返したし！」

　「そういう問題じゃない。いい？　あなたがやってることはただの『逃げ』なの」

　呆れたように頭を振ったアスカさんにバッサリ切り捨てられてしまった。切れ味がやたら鋭かった。

　「契約してたマンションにだって帰ってないみたいだし。まさか危ない商売に手を出してないでしょうね？　悪い大人に捕まったり、身体を────」

　「し、してないですよ！　ここにいるってことは私のライブ見てたんでしょ！？　これと路上ライブでお金稼いでるんですよ！」

　「歌ってる曲の権利を持ってるのはうちでしょ。勝手な活動が契約違反ってことは分かってる？」

　「路上ライブなんて、ほとんどが他人の曲を勝手に歌ってるじゃないですか……」

　「立場が違う。あなたはプロで、その他はアマチュアなんだから。そんなことも分からないの？」

　もう一度ため息を吐かれた。見放したような、見下したような吐息だ。私の小さくなった尊厳の灯が揺れた。

　「……るさい」

　私はアスカさんを突き放した。「ヨダカ？」と面食らったような表情をされた。私は歯を食いしばって視線を落とした。

　「契約とか権利とか立場とか何言ってんのか分かんない。私の言語で話してよ」

　「……何を言ってるの？　最初に全部説明したはずでしょ、契約書の段階で────」

　「私が書いた曲を歌うって約束だったじゃん！」

　私は俯きながら叫んだ。痛いくらいに拳を握った。アスカさんの息を飲む声が聞こえた。

　「それは……」

　「契約っていうなら、初めから私が作詞作曲するって話だったじゃん！　でもそれ没にしてゴーストライター雇って私に歌わせてたのはどうなんだよ！　それは契約違反じゃねぇのかよ！」

　「……契約書にはそう書いてない。あくまで『ヨダカ』名義の曲を────」

　「詭弁だ！　そんなの、アスカさんたちこそ『悪い大人』なんじゃないの！？　私は悪い大人に騙されたんだ！　それともなに、騙された私が悪いって言いたいわけ！？」

　路地裏に私の叫び声が反響する。通りを歩く人々がこちらを覗いている視線を肌で感じる。アスカさんは表通りにちらりと視線を向け、子どもを宥めすかすような口調になる。

　「ねぇ、飛躍しすぎ。勝手に一人で盛り上がらないで話を聞きなさい」

　「はぁ！？　なにそれ、それが『大人』の態度！？　人を騙しといて────」

　「ヨダカ、さん……？」

　またもや聞いたことのある声が耳に届く。沸騰していた頭が一瞬冷静になる。私は振り返る。通りと路地裏の境界、そこに立っていたのは────ヒカリだった。

　「ご、ごめんなさい！　今の話、聞いちゃって────」

　私は次の瞬間には駆け出していた。ヒカリを押しのけて私は表通りに飛び出していた。

　誰にも知られたくなかった。私の人生最大の汚点を、ファンだと言ってくれた人に聞かれてしまった。恥ずかしくてたまらなかった。