第13話 雨の日の約束

旅を続けるケンジは、冷たい雨が降りしきる小さな町にたどり着いた。普段は活気のある町も、今日は雨のせいでひっそりとしている。ケンジは雨宿りをしようと、古びた喫茶店に足を踏み入れた。店内は暖かく、コーヒーの香りが漂っていたが、客はほとんどおらず、落ち着いた雰囲気が広がっていた。


ケンジは窓際の席に座り、ギターを足元に置いた。雨が窓を叩く音が、静かな店内に響いている。カウンターにいた店主がゆっくりと歩み寄り、ケンジに声をかけた。


「今日は雨がひどいね。ここでゆっくりしていくといい」


ケンジは微笑みながら「ありがとうございます」と礼を言った。店主は控えめに頷き、カウンターに戻っていった。


しばらくして、店の扉が開き、一人の女性が傘を畳みながら入ってきた。彼女はケンジと同じように雨宿りをするために入ってきたようで、少し濡れた髪を拭きながら、カウンターに座った。ケンジは彼女に気づきつつも、特に声をかけることはせず、ただ窓の外の雨音を聞いていた。


しばらくして、彼女がカウンター越しに「ギターを弾くんですか?」と声をかけてきた。ケンジは驚いて顔を上げ、微笑んで答えた。


「はい、旅をしながら流しをやっているんです。いろんな町で音楽を奏でています」


「そうなんですね。素敵なお仕事ですね。私も昔、ギターを少しだけ弾いていました。でも、今はもうずいぶん触っていないです」


彼女の声には、どこか懐かしさと少しの寂しさが混ざっていた。ケンジはその言葉に興味を抱き、「どうしてギターをやめちゃったんですか?」と尋ねた。


彼女は少し考え込んでから、静かに答えた。「実は、私は昔、音楽の道を目指していたんです。でも、途中で諦めてしまったんです。挫折したというか、自分には向いていないんじゃないかって思うようになって…」


その言葉に、ケンジは彼女が何か大切なものを手放してしまったことに気づいた。彼女の目には、まだ音楽への情熱が少しだけ残っているように見えた。


「もしよかったら、ここで一曲聴かせてくれませんか? あなたのギターの音を」


彼女はその提案に驚いたが、しばらく考えた後、静かに首を振った。「今はもう自信がないんです。昔みたいには弾けないと思います」


ケンジは少し考えてから、穏やかに言った。「じゃあ、僕が代わりに弾きますよ。あなたが好きだった曲を教えてくれませんか? それを僕が演奏します」


彼女はケンジの提案に一瞬戸惑ったが、やがて微笑み、少しのためらいを見せながらも「昔、よく弾いていた曲があります」と言って、タイトルを教えた。それは、懐かしいフォークソングだった。


ケンジはギターを手に取り、弦を軽く弾き始めた。彼が奏でるメロディーは、どこか郷愁を誘うもので、彼女の心の中に眠っていた記憶を呼び覚ますように、静かに店内に響き渡った。彼女はじっとその音楽に耳を傾け、目を閉じていた。曲が進むにつれて、彼女の表情が少しずつ和らぎ、微笑みが浮かんだ。


曲が終わると、彼女は小さく拍手をし、目を開けた。「ありがとう。本当に懐かしい気持ちになりました。やっぱり、音楽って素晴らしいですね」


「そうですね。音楽はどんな時でも心に寄り添ってくれます。あなたがまたギターを弾きたくなったら、いつでもその気持ちを信じてください」


彼女は静かに頷き、「そうかもしれません。今、少しだけまたギターを弾いてみたくなりました」と言った。


ケンジは微笑みながら、「それが一番大事なことですよ」と励ました。


彼女は感謝の言葉を述べ、雨が少し弱まったのを見計らって、店を出て行った。その後ろ姿を見送りながら、ケンジはふと、雨がもたらしたこの小さな出会いが、彼女にとって何か新しい一歩を踏み出すきっかけになるのではないかと感じた。


雨が止み始め、町は再び静かさを取り戻していた。ケンジはギターを片付け、次の町へ向かう準備を整えた。


「雨の日も、悪くないな」


ケンジは小さく呟き、また歩き始めた。彼の旅はまだ続く。どんな出会いが待っているかはわからないが、音楽がある限り、彼は新しい場所へと進んでいける。


この第13話では、ケンジが雨の中で出会った女性との交流を通じて、彼女が失った音楽への情熱を再び呼び覚ます姿を描きました。音楽が過去の記憶を呼び覚まし、人々の心に新たな希望を与える力を再確認するエピソードです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る