第4話 最初の町
ケンジは父との別れを胸に、ギターを背負い歩き続けた。旅の目的は、流しとして自分の音楽を多くの人に届けること。しかし、彼の旅はまだ始まったばかりで、最初の町にたどり着いた時、彼は自分がどこまでやれるのか少し不安になっていた。
やがて、小さな田舎町が目の前に広がった。煙草屋や八百屋が軒を連ね、どこか懐かしい昭和の風景がケンジを包み込む。通りを行き交う人々はゆっくりとしたペースで歩き、都会の喧騒とは違う穏やかな空気が流れていた。
「この町で、やってみようか」
ケンジは小さく呟き、町の中を歩き始めた。彼が訪れたのは、小さな商店街の一角。古びた看板が目印の居酒屋や、家庭的な雰囲気の喫茶店が並んでいる。昼間のため、まだ賑わいはないが、夜になるときっと人々が集まる場所だろうと思えた。
そのまま歩いていると、ふと一軒の喫茶店が目に留まった。「珈琲のやまぐち」と書かれた看板が掲げられ、ガラス窓から店内が少し見える。ケンジは、ここで一息つこうと決め、ドアを開けて入った。
店内は、木のぬくもりを感じさせるインテリアで、カウンターには中年の女性が一人座っている。ケンジはギターを背負ったまま、少し恐縮しつつもカウンターに座った。マスターと思しき男性が、新聞を読みながらチラッと彼を見た。
「何にする?」
「コーヒーをお願いします」
マスターは無言でうなずき、コーヒーを淹れ始めた。店内は静かで、時折カウンター越しに流れるラジオの音だけが響いている。ケンジは、父の言葉を思い出しながら、ギターケースに軽く触れた。音楽が人に寄り添うものであること、それを忘れてはいけないという教えが、今も彼の心に響いている。
「ギター弾けるのか?」マスターが突然声をかけてきた。
ケンジは少し驚きながらも、「はい、少し…」と答えた。
「旅の途中か?」
「そうです。いろんな町で流しをやろうと思って…」
マスターは興味深そうにケンジを見つめ、コーヒーカップを前に置いた。「珍しいな、若いのに。今時、流しなんて滅多にいないもんな」
ケンジは微笑み、ギターケースを少し持ち上げて見せた。「ここで、少しだけ弾かせてもらえますか?」
マスターはしばし考えたが、やがて無言で頷いた。ケンジは店内の静けさの中でギターを取り出し、弦に軽く触れた。店内に響く最初の音が、何かを切り開くような感覚があった。
ケンジは静かにギターを弾き始めた。歌謡曲の懐かしいメロディーが、喫茶店の木の壁に反響し、柔らかく店内を包み込む。マスターやカウンターの女性が、その音に耳を傾けているのがわかった。ケンジは一曲、また一曲と、ギターの音を響かせ続けた。
演奏が終わると、店内は一瞬静まり返った。しかし、次の瞬間、カウンターの女性がゆっくりと拍手を始めた。それに続いて、マスターも無言で軽く手を叩いた。
「いいじゃねえか」マスターが笑顔を見せた。「久しぶりにこういうのを聴いたよ」
「ありがとうございます」
ケンジは頭を下げ、ギターを片付けた。彼にとって、初めて町の喫茶店で歌ったこの瞬間が、流しとしての新たな一歩になった。自分の音楽が、確かに誰かに届いた。その実感が、少しずつケンジに自信を与えてくれた。
「どこに泊まるんだ?」マスターが尋ねた。
「まだ決めてないんですけど、適当に見つけます」
マスターは少し考え込んだ後、「ここの近くに小さな旅館がある。俺の名前を出せば少し安くしてくれるかもしれない」と、紙に住所を書いてケンジに渡した。
「ありがとうございます」
ケンジは紙を受け取り、再び頭を下げた。コーヒーを飲み干し、ギターを背負って店を出る。外に出ると、夕方の柔らかい光が町を包み込んでいた。
「いい町だな…」
ケンジは微笑みながら、自分の足で一歩ずつ進んでいく。この町は、まだほんの始まりに過ぎない。しかし、どの町にも自分の音楽を届ける場があることを、彼は確信していた。
町の通りを歩きながら、ケンジの心は少しずつ軽くなっていった。父の言葉が胸に響き、音楽の力を信じて旅を続ける彼の心には、希望が満ちていた。
この第4話では、ケンジが最初の町にたどり着き、喫茶店で初めての流しの演奏をする姿を描きます。音楽が少しずつ人々に届く瞬間と、ケンジが自信を持ち始める様子を中心に描きました。
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