第2話 初めての酒場
町を離れて数日が経った。ケンジはギターを背負い、黙々と歩き続けていた。旅の始まりは新鮮でワクワクするものだったが、次第に疲れが足に溜まっていく。夜が近づき、街灯が灯り始める頃、ケンジはようやく一軒の古びた酒場を見つけた。
「ここで、やってみようか…」
少し緊張しながら、扉を開けた。中は薄暗く、常連客と思しき人々が黙々と酒を飲んでいる。酒場特有の少し湿った空気と、タバコの煙がケンジを包み込んだ。ギターケースを背負った若者の姿に、客たちが一斉に目を向ける。
「坊主、ギターなんて背負ってどうした?」カウンター越しに声をかけたのは、店主と思われる年配の男だった。しわが刻まれた顔に、鋭い眼差しが光る。
ケンジは少し迷ったが、深呼吸をして勇気を振り絞った。「あの…流しで歌いたいんです。少し、演奏させてもらえませんか?」
店内は一瞬、静まり返った。客たちの視線が鋭くケンジを刺すようだ。だが、店主はケンジをじっと見つめた後、ゆっくりと頷いた。「好きにやれよ。ここで流しを見るのも久しぶりだ。」
その言葉にホッとしたケンジは、酒場の片隅に腰を下ろし、ギターをケースから取り出した。ギターを手にした瞬間、少しずつ緊張が解けていく。彼の指が弦に触れると、やわらかな音が酒場の空気に混ざっていった。
「一曲、聴いてください」
ケンジの声は、少し震えていた。まだ15歳の少年にとって、この酒場での初めての演奏は、大きな挑戦だった。だが、ギターの音が彼を支えてくれるように感じた。
ケンジが選んだのは、昭和の名曲だった。父親がよく店でかけていたレコードから覚えた曲だ。ギターの音と彼の素朴な歌声が酒場の静けさを切り裂くように響く。客たちは、最初は無関心そうにしていたが、次第にその歌声に引き込まれていった。
曲が進むにつれて、酒場の空気が少しずつ変わり始めた。タバコを吸っていた男がじっと耳を傾け、カウンターで一人酒を飲んでいた女性が涙を浮かべている。
「いい声だな…」誰かがぽつりとつぶやいた。その瞬間、ケンジの心に小さな喜びが広がった。自分の歌が誰かに届いたという確かな実感が、彼を支えてくれた。
曲が終わると、静かに拍手が起こった。大きな歓声ではないが、その拍手は確かに彼を称えていた。ケンジは微笑み、頭を下げた。初めての流しとしての成功に、胸が高鳴る。
「坊主、やるじゃねえか」店主が微笑みながら近づいてきた。「お前みたいな若い流しは珍しい。どうだ、一杯やるか?」
「ありがとうございます。でも、僕はまだ未成年なんで…」
店主はケンジの返答に少し驚いた様子だったが、笑って言った。「そうか、しっかりしてやがるな。じゃあ、オレンジジュースで乾杯だ。」
カウンターで出されたオレンジジュースを一気に飲み干し、ケンジは一息ついた。初めての流しの仕事は無事に終わったが、これが始まりに過ぎないことを彼は感じていた。旅はまだ始まったばかりだ。これからも、こうして音楽を通じて、さまざまな人々と出会うだろう。その一つ一つが、彼の人生の旋律を紡いでいく。
「これからも、どこかで歌おう」
ケンジは自分に言い聞かせるように呟き、ギターを片付けた。夜の酒場を後にすると、外は冷たい風が吹いていた。肩にかかるギターケースが、少し重く感じられたが、それが彼の背負う音楽の重みだと感じた。
「行くぞ、次の町へ」
夜空に輝く星を見上げながら、ケンジは再び歩き出した。音楽と共に、果てしない旅路が始まったのだ。
この第2話では、ケンジの初めての酒場での演奏と、その成功を描きます。彼が流しとしての道を歩み始める様子や、音楽が人々の心にどのように響くのかを丁寧に描きました。
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