『今は亡き親友へ 

 あの子――律子ちゃんから、君が式場に来ていたと聞きました。まさか本当に来るとは信じていなかったから、あの日の何から何までが見られていたと思うと恥ずかしくて赤面してしまいます。

 でもそう考えるとあの現象も納得できる。僕がぐずぐずして演奏を止めそうになったから、手紙の言葉通り体を乗っ取って引き継いでくれたんでしょう。あのときは突然のことで本当に心臓が止まるかと思った。

 だけど楽しかった。僕と君との共演。一体何年ぶりだったろうか。まさかこんな特殊な形でやることになるとは予想だにしていなかったけれど。


 手紙、読んだよ。正直に告白すると君の気持ち、実は薄々勘づいていました。君は僕が純粋無垢な人間であるかのように書いてくれたけれど、僕は本当はそんな褒められた人間ではありません。

 もし君が相談を持ちかけてきたとしても、きっと表面的な言葉ばかりかけて君をより一層悩ませただろう。それにどんなことがあっても僕はピアノを捨てる気はない。理由は君と同じだ。

 それでも平気なふりをしていられたのは君がいたからだよ。僕は永遠に君と遊んでいたかった。舞台の上で二人、脚光を浴びていたかった。君がピアノを弾いているから、僕もピアノを弾いた。

 覚えているかな、僕が初めて君に出会ったときのことを。同い年だけれども君は僕より先に先生のもとでピアノを学んでいて。実のところ僕が先生のところへピアノを学びに行ったのは、君が演奏する姿を見て、君の音をもっと聴きたいと思ったからなんだ。


 あれはまだ僕に肉親がいた頃のことだ。親戚の子どもが出場するからと見に行ったジュニアコンクールだった。ピアノどころか音楽というものに全く縁がなかった六歳の僕はしごく退屈な時間を過ごして、しまいにはふかふかの背もたれにもたれて眠ってしまった。

 しばらく気持ちよく眠っていた僕はしかし、一人の子どもの演奏に叩き起こされた。

 叩き起こすと言ったってそんな乱暴なものじゃない。とても優雅だ。だけどその演奏は僕の横っ面を張り倒すような衝撃で。

 それが君だよ。

 今でも覚えている。君はあのとき、クーラウのソナチネ第一番を弾いていたね。その曲名を知ったのはもっと後のことだけど。

 選曲は平凡なはずなのに、君の演奏には鈍い僕の心さえ根こそぎ揺すぶる「何か」があった。今思い返してもとても六歳の子どもとは思えない演奏だった。

 それくらい鮮明に覚えているんだ。

 教室に通うようになって、僕は次第に君のことや先生のこと、そして僕自身のことを知るようになった。

 君が敬愛する先生の好きな『幻想即興曲』を弾きたがっていることを知って。自分がピアノに向いていることを知って。僕もその曲を目標にすることにした。

 僕たちは長らく切磋琢磨した。そして当然のようにピアニストになり、当然のように双璧と呼ばれた。

 世界のどこかで君がピアノを弾いていると信じていたから、僕はピアノを弾いていられた。


 僕が弔奏を引き受けたのは、君の手になりたかったからだ。君の音を誰よりも近くで聴きたかったからだ。

 初めて君の音を聴いたあの日から、ずっとそうだった。

 君が羨ましい。

 正直君が僕の手を使ってくれるかどうか半信半疑だったけど。

 どうだろう、僕の手は。昔、手を重ね合わせて大きさを比べてみたとき、君はチビだと笑ったね。今でも君の手の温かさを覚えているよ。

 どうして死んでしまったの。

 あのとき、僕にはちっとも君が見えなかったし、君の気配すら感じられなかった。

 僕の手足には確かに君が宿っていた。嬉しかった。だけどそこに君の体温はなかった。


 あの後たくさんの人が褒めてくれたよ。まるで故人が甦ったかのような演奏だったって。

 君が弾いたのだから当たり前だ。


 ねえ、君は天国とやらでもピアノを弾いているのかな。もし弾いているのなら、僕も生きられる。でももし弾いていないのなら。

 僕はこのピアノと手紙と一緒に燃えてしまおう。

 そしたらきっと君は僕をからかうだろう。僕が弾いたG線上のアリアはとてもひどいものだったから。』

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