一角獣のため息

クロノヒョウ

第1話




 急遽野暮用で遠出することになった。

 地方だから飛行機に乗れば速いのだけど、急いではないとのことと、この爽やかな晴天の陽気に誘惑されて、僕は都心から長距離バスに乗ることにしたのだ。

 連休のせいか思ったよりもバスの乗り口にはたくさんの人が並んでいた。

 大きなバスだったからなんとか窓際の席に座ることができたけど、発車する頃には僕の隣にまで人が座るほどに座席は埋まっていた。

 バスが高速道路に入った頃、隣の女性が一人で話し始めた。

 不思議に思い横を見ると、耳にイヤホンが差し込まれていた。

 どうやら女性は誰かと電話で話しているようだった。

 小声だったけれど『うん、バスに乗ったよ』と言っているのが聴こえた。

「あの、すみませんでした」

 少しして女性が僕のほうを向いてそう言った。

「あ、いえ、ぜんぜん」

 四十代くらいだろうか。女性は耳からイヤホンを外しながら「単身赴任の夫に会いに行くのですけど、夫が心配しちゃって」と言って笑っていた。

 その笑顔はとても嬉しそうだった。

 僕は女性に相づちをうつように頭を下げてから窓の外に目を向けた。

 そしてある女性のことを思い出していた。

 あれは僕が大学で『幽霊研究サークル』を作ったばかりの頃だった。

 もちろんメンバーは僕一人。

 文字通り、霊が視える僕が幽霊を研究するために立ち上げたサークルだ。

 たまに訪ねてくる心霊現象や不可解なことに悩んでいる人や霊の話を聴いたり助けたりしていた。

 そしてある日、その女性は僕のもとへやってきておもしろいことを聞いてきたのだ。

『霊が視えるって聞いたんだけど、一角獣も見えるの?』

 彼女は同じ大学の先輩で、とても綺麗な女性だった。

『一角獣のため息を探しているのだけど』

 そう言った彼女から詳しく話を聞くと、『一角獣のため息』というモノを見た人は幸運に恵まれるという話をどこかで聞いたらしく、どうしてもそのため息を見たいと言うのだ。

『確かに動物の霊もいます。でも残念ながら一角獣や龍などの架空の生き物は架空でしかありません』

 僕はそう説明したと思う。

『でもどうしてそんなモノを見たいと?』

 どう見ても綺麗で、明らかに幸せそうな彼女に僕は聞いてみた。

『彼との結婚がかかっているのです』

 彼女は資産家のお嬢様らしく、彼氏が海外の企業に就職できなかったら結婚どころかお付き合いも難しいとのことらしかった。

『私にできることはこうやって何かにすがって祈ることしかなくて』

 彼女の気持ちもわかるが、こればかりは僕にもどうすることもできなかった。

 それからしばらく経って、彼女は僕のサークルに顔を出し報告してくれたのだ。

 彼が無事に就職することができ、両親を納得させることができたと。

『しばらくは遠距離恋愛になりますけど』

 そう言って笑った彼女の笑顔と、今僕の隣に座っている女性の笑顔が重なったのだ。

 二人ともとても幸せそうだ。

 愛する人を思うと誰もがきっとこんな素敵な笑顔になるのだろう。

 ああ、あの『一角獣のため息』というモノについても彼女が教えてくれた。

 のちに彼女が調べたところ『一角獣のため息』とはどうやら「環水平アーク」のことを誰かがそう言っていただけ、だそうだ。

 「環水平アーク」とはある条件で出現する現象のことだ。

 虹のようだけど虹みたいに丸くなく水平で、虹色をした光の帯だ。

 めったに見られないから環水平アークを見るといいことが起こるなどと言われている。

 だから誰かが、めったに見られないから『一角獣のため息』なんて呼んだのだろう。

 なかなかいい例えだ。

「えっ?」

「わぁー」

 穏やかな陽気の中、バスに揺られうとうとしかけていた時だった。

 バスの中から小さな歓声が聴こえた。

 顔を上げると皆が窓の、上のほうを覗き込んでいた。

 皆の目線の先を見ると、虹色をした短い線が青い空にぽつんと浮かんでいた。

「あはっ」

 間違いない、環水平アークだ。

 本当に虹色の光の帯だ。

 とても神秘的で美しい光景だった。

 一角獣がため息をついたんだな。

 心の中でそう思うと楽しくなった。

 空に浮かぶ一角獣が虹色の息を吐き出すところを想像した。

 仕方がない、みんなを幸せにしてやるか。

 なんて思いながら息を吐く一角獣の姿を。

「環水平アークって言うんだって」

 バスの中の人たちはスマホで写真を撮ったりこれが何なのか調べたりしているようだ。

 皆笑顔でとても幸せそうだった。

 心地よい穏やかな晴天の日。

 僕たちが乗る長距離バスは、一角獣のため息を浴びながらたくさんの愛と幸せを乗せて軽やかに走っていた。



           完




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