第1話 諍いの絶えない家からの避暑兼避難
「あなたっ! 何度言えばわかるの! どうしてすぐに皿を洗わないのよ!」
土曜日のお昼前、母の怒鳴り声が中村家に響いた。こういうことはこの家では日常茶飯事となっている。
「うるさいな、今洗おうと思ったんだよ」
父は面倒くさそうにスマホゲームをいじりながら目を合わせずに答える。
「朝ごはんから何時間経ってるのよ! 皿洗いはあなたの役目なのに、結局私が洗うから昼ごはん作りが遅れるのよ!」
更に声が大きくヒステリック気味に母が怒鳴るが父は「うるせえな」としか言わない。
「子どもに悪い見本ばかり見せないでください!」
「そういう君こそ、お風呂の排水溝の髪の毛掃除しろよ。時々忘れてるぞ、あれ気味悪いよな」
「話のすり替えをしないで! そういうなら、あなたも飲みにばかり行かないで、真直ぐ帰って少しは大輝の勉強でも見てやってください」
「忙しいから無理だ。いろいろと付き合いがあるんだよ」
「付き合いって、上司とはいえ、女性と毎晩のように飲んでどんな付き合いがあるんですか!」
「何を疑っているんだよ。うるせえな、なんだっていいだろ。君こそ最近派手になっていないか?」
「指輪やエステは私のお金から出してますよ。だから話をすり替えないで!」
大輝はくだらない喧嘩が始まったのを察すると密閉型ヘッドフォンを当てて音楽をかけながら勉強を再開した。部屋ではなくリビングで勉強しろと小さい時から言われていて、学習机が無いからここで勉強するしかないが、ここ数年は喧嘩を聞かされる嫌なオプションが付いている。
とにかく几帳面な母、ものぐさ過ぎる父とは水と油だ。大輝ですらできる簡単な家事も父は「今からやる」と言って、実際にやっているのは見たことが無い。母が見かねて洗うと「あーあ、今からやろうと思ったのに」と心にも無いことを言う。中学生の大輝ですら父は子どもじみた言動や行動をしていると思うし、軽蔑していた。
きっと父が一人になったら腐臭漂うゴミ屋敷になっているだろう。いや、さっき聞こえた上司女性とやらが世話するかもしれない。仮にそうなったとしても父の本性というか、ぐうたらぶりを見て母と同じコースを辿ると思うが。
それに対して母は神経質だ。こだわりが多くて洗濯機周りやキッチンは様々な洗剤が並んでいる。食材もオーガニックだとか自然派とかうるさいから、ポテトチップスなどスナック菓子は禁止されている。だから、友人の家に遊びがてら持ち込んで食べてさせてもらっていた。
以前、父が夕食後に食べているのを分けてもらっていたが、毎回ポテトチップスやカップ麺を食べる父に対して「そんなに私のご飯はまずいのか!」と怒り狂い、ポテトチップスとカップ麺を45リットルゴミ袋いっぱいに入れて踏みつけて破壊して父の前に突きつけてからはさすがに父は母の前では食べなくなった。それだけストックする父もすごいが、ジャンクとは言え食べ物を粗末にする母も理解できない。
多分、さっき母の言った上司の家とやらで懲りずに食べているのだろう。食べるだけで済まないだろうが、そこまでは考えないことにしている。
それにしてもお互いの粗探しや主張のゴリ押しばかりして、一人息子の受験勉強を気にかけてくれないのもどうなのか。
お互いにブランド物を着ていたり高そうな腕時計など着けているのに、衣食住はともかく大輝を塾に通わせようとは思っていないようだ。しょうがないから図書館に通ったり、従兄のお古の参考書をもらってなんとか成績を保っていた。
進路相談しても互いに「あいつのようになるな」か「公立、私立なら名門大学附属高校」しか言わなくて話にならない。二人の関心は互いへの不満と自分のこだわりばかりで子どもの自分には無い。あるとしたら自分の箔を付けるための飾りくらいではないか。そのくせ、塾には通わせない。緩やかなネグレクトを受けているような気がする。かと言って児相に相談するには微妙だ。
大輝はこんな機能不全の家から早く逃げたかった。こないだはプリンターを使おうとして、家裁の調停申込みの刷り損じを見つけてしまった。どちらが印刷したのか知らないが、近々家庭に関する揉め事が起きることになるのだろう。
父は新しい生活をしたいのだろうし、母は自分を引き取ったら飾りとして息子の自分の思い通りの道を歩ませようとするに違いない。どちらにしても窮屈だ。もしも母にも再婚のあてがあったらキツい。さっきも言ったとおり自分で買ったのかもしれないが、付けている指輪を大事そうに撫でているところを見てしまったことがある。高級な指輪かもしれないが、もしかしたら誰かからのプレゼントかもしれない。
こんな家から抜け出して全寮制の高校に進もうかと思ったが、寮付きの私立は高いからよほどの理由がないと希望は通らない。敢えて公立の島しょにある水産高校へ越境進学して手に職を付けてそのまま島に定住しようかと考えてた時、家の電話が鳴った。
そばにいた母が電話をとる。
「はい、中村です。あら、お義父さん、お久しぶりです。え? 大輝を夏休みの間にそちらへ? 確かにそちらは山ですから関東より涼しいですし。まあ、陽太君も勉強見てくれるのですか? でも、彼は農産大学だから勉強内容に合うのかしら。このままうちで勉強の方がいいのでは? え、まあ、はい。一応大輝に聞いてみます」
祖父母はいさかいの絶えない両親の元にいる大輝をいつも心配している。今回も避暑と言う名目で夏休みの間だけでも避難させようとしているのだろう。しかし、当然ながら母は義理の家は苦手というか敬遠している。
「大輝、おじいちゃんの家で勉強しないかって。しないよね」
「勝手に決めないでよ。行くよ。おじいちゃんの家はこっちより涼しいし、何よりも静かだから勉強に集中するにはちょうどいい」
自分の味方をしてくれると思った母は一瞬嫌な顔をしたが、痛いところを突かれると反論できない。それに従兄の陽太は確かに農産大学だが、国立の大学だし色々と博識だ。農産は意外と理系や豊富な知識も絡んでいることは、ブランドしか見ない母は知る由もない。
「え、えっと大輝は行くと言ってますわ。はい、明後日にはそちらへ向かわせます」
渋々といった体で電話を終えた母は明らかに不機嫌だが、自分に不利な言い返しをされるのがわかってるからか「大輝、支度をしなさい」としか言わなかった。そういう自覚はあるようだ。
とりあえず、夏休みは穏やかに過ごせそうだ。大輝はほっとして早速荷造りを始めた。
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