第5話
ㅤ外へと出ると、昼寝なんて出来そうにないうだるような暑さだった。
背中に汗が滴り落ちる感覚が気分悪い。
セミの鳴き声が耳について不愉快だ。
よくもまあ今までこんな所へと足しげく通えたものだ。
暑いからイライラするのか、彼女に会うのが怖くてイライラするのか、暑さにバグった脳は、ただ単純に『リセットする』としか考える事ができなかった。
久々に彼女と秘密基地で会った。
目が合う。
俺は軽く会釈をし、無言のまま隣のベンチへと腰掛けた。
ㅤ互いに言葉を交わすことも無く、俺だけが気まずい雰囲気を感じているようだった。
隣のベンチでは、彼女がカラスアゲハと戯れている。久々にここで会ったというのに、彼女の様子は憎らしいほど以前と変わりはなかった。
リセットだ!
ㅤ俺はリセットをする為にここへと来たんだ!
そろそろ終わりのサイレンを鳴らそうか……。
俺は深呼吸をし、心を研ぎ澄ませた。
ㅤそれから彼女側に尻を浮かせると、大きなオナラをぶっぱなしてやった。
彼女に心底嫌われてしまえば、きっと楽になれる。これぞ最強のリセットだ。
自分でもほれぼれとする破裂音が響き渡った。
ㅤ破裂させておいて、俺はそ知らぬ顔でベンチから立ち上がった。
左横からの彼女の視線が痛い。
この破裂音では、カラスアゲハを追い払うことは出来なかった。それだけ彼女とカラスアゲハとの絆は強くなったのだろう。
左横を見れば、黒髪の美しい彼女とカラスアゲハはセットでそこにいる。
彼女は組んでいた細くて長い脚を解くと、ベンチから勢い良く立ち上がった。
「ねえ今、あなた放屁したわよね!?」
「ああしましたよ! それが何か!?」
「あなた本気なの!?」
俺は彼女の問いに対して応える気にもなれなかった。放屁に対して本気と問う彼女は一体なんなんだ。本気で喧嘩を売っているのかと、そういう意味なのか?
もうどうでもいい。
レアな彼女に会うのはこれで最後だ。
彼女は変わっている。ついていけない。
それを見たがる俺もかなりおかしい。
きっと、春から夏まで彼女の行動を観察しているうち、変な世界に片足を突っ込んでしまったんだ。
片足どころの話じゃ無いのかもしれない。首まで多分、浸かってしまっている。
これ以上ここに通い続けたら、俺は俺の知らない誰かになってしまいそうだ。
「ちょっとあなた、コキ逃げするつもり? それに起きてたのに破裂音。眠ってるならまだしも、起きてる時のそれってどういうこと?」
「失礼しました! ここへはもう来ませんから!」
早口で言い、この場から立ち去ろうと足早で歩く。
「ねえどういうこと!? その破裂音はどういうことなの!?」
応えない俺に、彼女は駆けてきて、俺の腕を思い切り掴んで引っ張った。
「だから失礼しましたと言ったでしょ!」
「ちがう。そうじゃなくて。その破裂音は何か意味があるんでしょ?」
「意味? なんだよ意味って」
俺の気持ちがバレてしまったのだろうか。
彼女は少し言いづらそうに、でも真っ直ぐと俺を見上げてくる。
「つまり。起きてる時の放屁は、そばにいた私に心を許した証拠だと思って。だったらうれしいな、と思ってしまって……」
「……うれしい? 意味分からないですよ。俺の屁がうれしい? バカにしてるんですか!?」
俺は声を荒げた。
アホらしくて自分の存在を消したくなる。
もうここへは来ない。
俺はどうかしていた。
生き物を引き寄せる能力を持つ彼女に、アホな俺までもが引き寄せられたが、鳥や蝶やその他人間以外の者よりも、彼女からしたら俺は劣っているのは見ていて分かる。
「バカになんてしてないわよ! わざと私の方にお尻を向けて放屁するだなんて、あなたは私を気の知れた存在だと思ってくれているのかなって。そうだったなら、うれしくて……」
「……嬉しい? 俺の屁が嬉しい?」
俺は今、夢でも見ているのだろうか。
まさかの嬉しい発言に、不意打ちを狙って魂を抜きとられたような、そんな詐欺に合ったような気分だ。
「私はあなたの一発目を聞いた時から特別な存在だと思ってる」
「一発目から?」
「そう。一発目からよ。今の二発目を聞いて、本物だとおもったんだ」
彼女は俯いたまま、耳まで赤くなっている。
この人でも羞恥心で皮膚が赤くなるんだと、意外すぎて驚いた。
確実に俺は、彼女に惹かれている。
惹かれて知らぬ間にどっぷりと首まで浸かった。
首どころの話じゃない、完全に頭のてっぺんまで浸かり、溺れそうなほどだ。だから多分、こんなにも息苦しくなる。
俺もカラスアゲハのように、彼女に引き寄せられて動けなくなったのだ。まるで蜘蛛の巣に引っかかって足掻く、マヌケな虫のように。
「当たり前ですよ。本物にしかぶっぱなさい主義ですから! ……俺、あなたが超絶好きですから!!」
全然かっこよくもないセリフで、勢いに任せて告白していた。
彼女はほっとしたように微笑む。
「私も、佐々木くんが好きよ」
「マ、マジですか!?」
「…マジよ。明日も、来てくれる?」
「勿論。会いに来ますよ!!」
何だかとてもいい雰囲気になってきた。
彼女が言う好きは、どんな意味の好きなのかは謎だが、好きには変わりはない。
「ちなみに俺、今フリーですよ」
「…あらそうだったの。奇遇ね。私もよ」
しばらく俺達は互いに見つめ合った。
次に出る言葉は、どちらがどんな言葉を遣うのか、探り合う。
その一瞬はとても心地が良く、長く感じられた。
ㅤお花畑のカラフルな世界ってこれなのかと、ふと思う。
ㅤこのままずっとこうしていたい。
そんなふわふわとした俺たちの空間に、カラスアゲハが楽しそうに舞いながら、邪魔をしにやってきた。
カラスアゲハと彼女 槇瀬りいこ @riiko3
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