第4話

ㅤ午後からは予報通りの雨降りとなった。

ㅤこんな雨降りに飲み会に付き合わねばならないことにうんざりとしながら、何か断る理由を探して社員玄関を出ると、彼女がいた。

ㅤ後ろ姿も美しい。

ㅤ纏うオーラが異世界だ。

ㅤなんで彼女の黒髪はあんなにサラサラで艶があるんだろう。もしもあの後ろ姿が振り返ったとしても、誰もが文句なく、息を飲むほどに見惚れてしまうはずだ。


「…あ、山下さん。傘、持ってないんですか?」


「……」


「山下さんのくせに、傘忘れたんですか?」


 土砂降りを目の前に、軒下で雨宿りをする彼女は、セミの抜け殻のように動かない。


ㅤ声をかけるが、雨音は俺の声をかき消し、上の空の彼女の耳には少しも届かない。

ㅤただ雨を眺めているだけだ。


 俺は彼女の肩をポンと叩いた。


 飛び上がって驚いた彼女は、俺の存在を確認すると、あからさまに迷惑そうに距離を取った。


「なに? 驚かさないでよ!」


 不機嫌に見上げてくる。


「傘、忘れたんですか? 準備は念入りに。じゃなかったですか? …もし良かったら、これに入って行きます?」


「……絶対に遠慮しておくわ。傘を共有するだなんて、本気で言ってるの? ……そんなの、結局二人とも共倒れよ。そんなのバカのすることだわ。それに私、少々雨に濡れて歩くのが好きなの。だからわざと傘は持たないの。放っておいて」


 彼女はそう捲し立てると、激しく降る雨の中へと飛び込み、足早に歩き出した。

ㅤ雨が白いシャツを濡らして、下着の色を言い当てられるほどに透き通らせていく。

ㅤこれ以上見てはいられないし、他の奴らに見られでもしたら大変だ。


「少々の雨じゃないしヤバいですって! 駐車場一緒なんだから一緒に行きましょうよ!」


 俺は早足に歩く彼女を追うように、彼女の頭上に傘を差し出したが、「余計なお世話よ!」と、逃げるように傘の外へと出ていってしまう。


「これ以上はマジでヤバいですって! 風邪ひくから入ってくださいよ!」


 呼び止めても彼女は止まらない。


「言っておくけど私、平和主義者なの。あなたの傘に入ってしまったなら相当恨まれてしまうわ。それに私、パーソナルスペースが人より広くないとダメなの。だから相合傘だなんて絶対に無理なの!!」


 若干彼女は怒っているようだった。顔を赤くしてまで嫌悪感を強調させている。

 美人がキツい顔をすると、背筋が凍るような恐ろしさを感じた。

ㅤそう思いながらも、さり気なく下着の形状と色をチラ見したがる自分に嫌気がさす。


「ダメですって! 中に入るんだ!」


「いやよ! 絶対入るもんですか!」


 黒髪のロングヘアは透き通るほどの白い肌に貼り付き、何かのホラー映画の一コマを連想させた。


「俺、なんか気に触ることしました?」


 昼休みに手作りおにぎりを貰って浮かれていた俺は、手のひらを返されたような彼女からの冷たい態度に、崖っぷちから突き落とされたようなショックを受けた。


 せっかく彼女という山の頂きまで登れたのかと喜べば、「落ちろ!!」と足蹴にされ崖から突き落とされるイメージだ。


 なんなんだこの人は。

 全然分からない。

 なんなんだよ、一体……。


「そんなに俺と傘に入るのがイヤなんですか!?」


「そうよ。あまりアナタと一緒にいるのは見られたくないの。変な噂されても困るし。だから相合傘だなんてムリムリ! 誰かからドギツイ生霊飛ばされて体調不良になってしまうわ! だから、絶対に絶対にムリ!!」


 何言ってんだこの人は。

 そんなにあからさまに拒否することはないだろう。


「あーそうですか! じゃあどうぞ!!」


 俺は彼女に強引に傘を押し付けると、駐車場まで全速力で走り去った。



 翌朝、傘置き場に返されていた俺の傘の持ち手には、『昨日はごめん。ありがとう』と書かれた小さく折りたたんだメモがセロハンテープで貼りつけられてあった。


 

ㅤそれからというもの、俺は昼休みに裏庭へと行く勇気を失った。パーソナルスペースを大切にする彼女から、『もっと離れて座りなさいよ!』だとか、『近くに来ないでよ!』だなんて害虫扱いされたなら、確実に再起不能となる。

ㅤそんな毒舌を言いそうな人だから、今更彼女の隣のベンチに腰掛けることが怖くなったのだ。

ㅤなんなら既に俺を避けるための第三の秘密基地があるのかもしれない……。


 彼女のオンとオフの様子は雲泥の差がある。

ㅤその点仕事風景はいつもと変わらず、やりやすかった。

 相変わらず俺の頭の回転は鈍かった。

 いつも彼女の事を考えてしまう。

 仕事中にも視線はその存在を追ってしまう。

 上の空だからミスも連発した。

 いつもなら冷たくダメ出しをする彼女だったが、


「私も悪いのよ。私のミスでもある。ごめんなさい」


 珍しくそんな風に謝った。

 彼女もなんだか調子が悪そうだった。

 雨に濡れてから体調でも崩したのだろうか……。


 不意に目が合い、不自然に逸らした。

 大の大人が、まるで中坊の恋愛ごっこのようで笑えた。




 俺は暴走しだしたこの感情を、無性に手放したくなった。


 悶々として何日かを過ごし、上の空で同期たちと昼休みを過ごした。夜は連日飲みにも出かけた。毎日バカ騒ぎをして賑やかに過ごしているはずなのに、世界からカラフルな色が見当たらなくなってしまった。例えば二色刷りの黒と白のみ。そんな世界でバカ言って笑ったとしても、少しも満たされることはなかった。


 俺の心を占めているレアな山下さんの姿や仕草。

 生き物と触れ合う時にテンション上がって声が高くなるところ。

ㅤたまに俺の名前を呼び、人懐っこく微笑んでくれる所だとか、そういうの全てを手放したいと思った。

ㅤあれは夢の出来事だったのだと。

ㅤじゃないと俺の調子が狂うし、日常生活に支障をきたす。


 俺は意を決して久々に裏庭へと行くことにした。



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