第3話
ㅤ春から夏になった。
観察した結果、彼女は生き物を引き寄せるプロだと確信した。
ㅤ彼女の一番の友達は、生き物なのだということも、身にしみて分かった。
俺という人間はただの同僚で、この先鳥や蝶と並ぶ位置に格付けされることはあるのかと悩ましい。
ㅤなぜなら彼女と会話をする時、生き物の話題ばかりで、直接自分たちの話をしたことは無いからだ。
俺は彼女と人間対人間の話をしてみたい。
いつしか俺は、彼女を観察するという目的から、彼女と近い存在になりたいと、強く願うようになっていた。
こんな暑い日が続く中、誰も外で休憩時間を過ごすことは無く、大抵変わり者しかやっては来なかった。つまり、俺と彼女だけ。
ㅤ第二秘密基地へと忍者みたいに逃げることも無くなり、裏庭の空間は、俺と彼女の貸切り休憩場所となっていた。
彼女の友達は色々といた。
ㅤウグイスやツバメやカラスなどの鳥類。
ㅤ蛇やトカゲなどの爬虫類。
ㅤ蟻の行列を発見した時はテンション上がって、
「ねえ、そのパンちょっといただくわよ!」
と、突然ジャイアンのように俺が食べているパンを一欠片奪い、
「ほらパンが手に入ったわ。良かったわね。遠慮なくお食べなさい」
笑顔でアリの行列の近くにばらまいていた。
ㅤお前のモノは生き物のモノだと言いたげだ。
ㅤ全くなんて人だろう。
でも、全然嫌な気がしなかった。
なんならこの手の中のパンを全て差し出したって構わなかった。
ㅤ彼女はアリの行列をひたすら見続けるのも、蜘蛛が巣を作る過程を見続けるのも大好物のようだ。
桜の木の枝に巣を作る蜘蛛を発見したかと思うと、しばらくそれを溜め息混じりに観察し、
「なんて器用な子なの! すごいわ! 唯一無二の素晴らしい作品よ!」
と褒めちぎった。
ああ。俺は仕事でまあまあ活躍したとしても、一度も彼女から褒められたことはないというのに……。
「この蜘蛛の巣で昼寝をしてみたいわ。でもこんな心地よい寝床、寝たら夜まで起きられなくなりそうよね?」
「仮に蜘蛛の巣に寝られたとして、蜘蛛のエサになって永遠の眠りですよ」
「あー、スモールライトが欲しーい!!」
「俺も別の用途で欲しいです。スモールライト」
俺と彼女の会話は微妙にずれていた。
変な人だと思う反面、それを楽しんで共感する俺もいた。
生き物好きな彼女が一番生き生きとするのは、カラスアゲハと遊ぶ時だった。
ㅤそれと触れあう時は、彼女の意識の中に俺の存在は蚊帳の外だった。どれだけ俺が話しかけようと、彼女の耳には届かない。
ㅤ人間の俺が蝶々に嫉妬するだなんて、そんなのは認めたくはなかった。俺と同じ哺乳類ならまだしも、カラスアゲハは昆虫だ。カテゴリーが遠いのに、なぜ俺はこんなにも嫉妬の感情を持て余すのか。
ㅤ俺はあのひらひらと舞うカラスアゲハが、美しい彼女とともにセットで映えるのが羨ましくてならなかった。
ㅤそれはたぶん、俺も彼女と同等に、おかしなヤツなのだという証明だ。そんなふうにおかしくなったのは、元々あった俺なのか、染まってしまった俺なのか……。
暖かい春から、皆が過ごしづらくて来なくなった夏の今まで、彼女と同じ空間で休憩を過ごしてきた。
ㅤでも俺は所詮、彼女の世界のエキストラでしかないのかもしれない。もしかすると俺は、エキストラでも生き物でもなく、ただの空気なのかもしれない……。
ㅤ相変わらず仕事中の彼女は手厳しかった。
仕事中の彼女と、ここで過ごす彼女はまるで別人のようだった。実は彼女は双子で、昼休みにここへ来る山下さんは、もう一人の片割れなんじゃないかと疑うほどに、キャラ変の振り幅がすごかった。
ここで過ごせば、どの場所で過ごすよりも彼女の近くにいられる気がした。たった一時間の昼休みが、俺の毎日の楽しみだった。だけどまだ、俺が理想とする近くには、彼女は遠かった。
よく同僚達にランチへと誘われるが、俺の足はどうしても裏庭へと行きたがった。
『あの裏庭には幽霊が出る』との噂も立ち始めていて、ああそれ、俺らが人の気配に第二秘密基地へと逃げた時のあの数々か。と、それも大切な思い出の一つとして脳細胞に焼き付いている。
ㅤ女子社員たちは俺に、霊に取りつかれるから行かない方がいいだとか、そんな非現実的なことを真顔で言い、昼休みに裏庭へと行こうとする俺を近くの定食屋へと連れ出したがった。
ㅤその熱量に怯んで、たまに同僚たちとランチを共にするが、ランチ中も彼女の今日の昼飯はなんだろうだとか、くだらないことばかりを考えてしまう。
ㅤどこにいても、心はいつでも彼女と秘密基地にいた。
「ところで佐々木くん、こんな所になぜ毎日くるの? 河上さん達、いつもあなたと食事がしたそうだけど。今日だってウザいほどに誘われてたじゃない。見ていて不愉快なぐらい。あなた結構モテるのね?」
珍しく個人的な質問をされて驚いた。
「ただ話しやすいってだけですよ。それに俺、一人暮らしだからそうも外食もしてられないんですよね」
「一人暮らしだったの? 大変ね」
「いや、気楽ですよ」
「自炊してるの?」
「まあ、テキトーに」
彼女は保冷バッグからおにぎりを取り出した。
ㅤそれを食べるのかと思いきや、まさかの俺に差し出してきたのだ。
「この前私、佐々木くんのパンを強引に奪ってしまったでしょ? …ほら、蟻のエサに。あれ、後から申し訳ないことしたって反省してたの。一人暮らしだったなんて……。その貴重なパンを私、奪っていたのね。だからこれ、お詫びに。…良かったら、食べて」
ものすごくデカすぎるおにぎりだった。
彼女はさっき、オシャレなおにぎりを食べていたが、それとは明らかにボリュームが違った。
わざわざ俺の為に、特別仕様で作ってくれたのだろうか……。
「ありがとうございます! めちゃくちゃ嬉しいです!」
俺は感激しながらそのデカいおにぎりにかじりついた。
ㅤその様を隣のベンチからジーッと観察される。『ねえどうなの美味しいの?』 と、感想を聞きたくてソワソワしている彼女の圧がスゴい。そしてそんな様子もまた可愛いと、俺はしばらく無言のままで咀嚼した。
じらすように咀嚼に咀嚼を続けていたら、彼女は不機嫌そうにフンと顔を背け、カラスアゲハと戯れだしたから、
「美味い!! なんだこれ、中に唐揚げがあるじゃないか!!」と叫んでみせた。
途端、彼女の顔は綻んだ。
「美味しいのは当たり前よ。私が作ったんだから。まだまだ何かが入っているわよ。当ててみなさい」
彼女は楽しそうに、俺がおにぎりを食べる姿を、俺だけを見つめ始めた。
卵焼きがある! だとか、鮭まで入ってる! だとかリアクションする度、彼女は満足そうに微笑んでくれる。俺は、まるで餌を貰って喜ぶ野良犬のように、『美味い!』と連発しながら貪り食べ完食させた。
コンビニパンを食べた後での満腹度は最大級になったが、幸せに満たされた俺は、少しも苦しさを感じなかった。
ㅤ俺が裏庭で昼休みを過ごす理由は、興味深い彼女を観察する為だった。
ㅤしかし時が経つにつれ状況が変わっていった。
ㅤ俺は彼女の世界に相当ハマってしまったようだ。
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