第2話

ㅤいつも昼休みは、彼女がいるだろう裏庭のベンチへと通うようになった。

 彼女は人よりも生き物の方が好きらしい。

 人が増えてくると、露骨に迷惑そうな顔をし、知らぬ間に休憩ポイントを変えていた。

ㅤそんな時一体彼女はどこへ行ってるのか、いつか暴いてやろうと思っていた時、チャンスが訪れた。


「佐々木く~ん!」


ㅤ遠くから俺を呼ぶ声が聞こえてくる。

ㅤその瞬間、彼女はベンチから立ち上がり、高飛び選手かと思うほどの早業でフェンスを飛び越えた。

俺は驚きのあまり声も出せず、ポカンとしてる間に彼女は雑木林の中へと消えていなくなってしまった。


ㅤそんな逃げ足の早い猫なら見たことはあるが、人間もあんなあからさまに姿を消すものなのか。コミュ障すぎるだろ……。


「あー発見! 佐々木くん探してたんだよ~!」


ㅤ河上さん一派がこちらに手を振ってくる。裏庭をキョロキョロと見渡し、一人? と小首を傾げた。


「ああ一人。ところで、あそこの自販機、新商品出てたけど試してみないか?」


ㅤ俺は河上さんたちに自販機の飲み物を奢ってやる体で小銭を渡すと、彼女らはウキウキした様子で自販機へと背を向け駆けていった。その隙に俺も彼女が消えていなくなったフェンスの向こう側へと飛び越えた。


「あれ? 佐々木くんいないよ。おーい佐々木くーん!! どこいったのー!?」


ㅤ河上さんたちの俺を呼ぶ声が聞こえてくるが、悪いが一目散に逃げた。それよりも微かに聞こえてくる口笛の方が大切に思えた。俺は微かな口笛の音を頼りに雑木林の奥へと歩みを進めた。

ㅤフェンスには立ち入り禁止の看板が掲げられているのに、それを無視してどこまで行ってしまったのか。俺は彼女の残り香と風に吹かれて聞こえてくる口笛を頼りに、さらに奥深くの茂みの中へと進んでいった。


ㅤ大きな木の根の元に腰掛けて、彼女は瞳を閉じてくつろいでいた。その傍らにはカラスアゲハが舞っている。

ㅤ森の妖精かよ、とツッコミたいほどに、周りの背景に彼女は溶け込んでいた。

ㅤ勝手に心配した俺は、なんとも言えない苛立ちを覚えて、仕事中では絶対言うことのない「おい!」と、大きめの声で彼女を呼んだ。


「いきなり消えたら心配しますよ。ココ立ち入り禁止なはずですよ? なんなんですかあなたは!」


「ここは私の第二の秘密基地よ。お邪魔しますぐらい言いなさいよ」


「……あ、お邪魔します。…じゃなくって! 立ち入り禁止って書いてあったけど、獣とか出たらどうするんですか!? いつも仕事ではルールを守りなさいとか言うくせに矛盾してる! あなたは一体何がしたいんだ!」


「休憩中ぐらい一人でいたいのよ。だめ…? それにあの看板も私の自作。フェイクよ。だから私、ルールはちゃんと守ってるわ」


「……わざわざ看板作ったんですか!?」


「ええ。なかなかにセンスのいい看板だったでしょ?」


「勝手にそんなん、いいのかよ?」


「問題ないわ。第二の秘密基地にまで人に侵されるのはまっぴらごめんよ」


ㅤ彼女は、すまし顔でそんなことを言った。


ㅤ俺も人間の一人で、今日この日まで、確かに俺も隣のベンチに座っていたはずだが。さらに第二秘密基地と言われるここにも乗り込んできている。それは大丈夫なのかと喉まで出かかったが、どんな言葉を浴びせられるのかと、怖くて飲み込んだ。


 俺は彼女が誰かとつるんでいるのを見たことがない。飲み会にも誰も誘いたがらないし、誘うのも怖いからと同僚たちも距離を置いている。彼女の陰口はネタに花が咲き、一つのドロ沼系ドラマができそうなほどだった。


ㅤ不倫、略奪愛、隠し子……。

ㅤ一体どこからそんな妄想が繰り広げられるのか、女性社員の底知れぬ想像力には脱帽した。


『いくら美人でもあの性格の悪さったらムカつくわ。佐々木くんもそう思うでしょ?』


 そんな風に同意を求められても、俺は愛想笑いで流すだけだった。お前は何を根拠にそんな話を振りまいているのか。本当か嘘かは知らないが、それを全面的に否定したくなる自分がいるのにも驚いた。


ㅤ第二の秘密基地だという雑木林の奥は、さらに非日常的に静まり返っていた。

ㅤ我に返ると気まずくなる。

ㅤ風に吹かれて擦れる木々の葉音が、誰にも邪魔されない空間で、彼女と二人きりなんだと意識させた。いつもとは少し違う雰囲気に、たちまち俺は落ち着かなくなる。

ㅤそんな中で、たまに聞こえてくるウグイスの鳴き声に救われるような気がした。


ㅤ不意に彼女は、ホケキョ……と、口笛を吹きだした。なかなかに完成度の高い音だった。

 

「ねえ、どっちがホンモノっぽい?」


 妖艶な笑みを浮かべてそう問いかけてくると、もう一度、ホケキョ……と奏でた。


 彼女は本物のウグイスと、自分の口笛のどちらが上手く鳴けるのかを真剣に競っているようだった。


「ねえ、どっちが上手だと思う?」


 問われて、


「……そんなもん、さすがに本場ものには負けますよ。山下さんの負けです」


 正直に答えたら相当悔しかったのか、ホケキョの口笛の猛練習をしだした。

ㅤ俺も、その大きな木の根に腰掛けた。

ㅤ木陰の根の上は硬くて歪で、尻がヒヤッと冷たく感じた。尻が上手くフィットするポイントを探せば、さらに彼女のそばへと近寄ることとなる。


ㅤいつも座るベンチよりも大分距離は近かった。

ㅤ彼女は少しも嫌がることはなく、それとも口笛に気を取られているだけなのか、ウグイスの鳴き声をひたすらにやり続けていた。


 彼女が口笛を吹いたとしても、カラスアゲハは逃げる事なく、その近くをひらひらと舞っている。

ㅤコイツは第一秘密基地でも、第二秘密基地でも、いつでも彼女のそばに居る。

ㅤまるで俺のライバルとでも言いたげに……。



 翌日の昼休み、俺たちは誰にも邪魔されることなく、二人きりで木製のベンチに腰掛けていた。

ㅤ相変らずふたつ置かれたベンチの、左のベンチが彼女のテリトリーで、右のベンチが俺のテリトリーだった。けれど、初めてそこで会った時よりも若干距離は近くなったように思う。彼女のトートバッグは、以前は俺側の右に置かれてあったが、今では左側にある。俺が座るベンチは彼女の右側にあって、俺はギリギリ左端に座っているから。


ㅤ彼女は飽きもせず、前日と引き続き、ホケキョの練習を続けていた。すると信じ難いことに、遠くから聞こえていたウグイスの鳴き声は、彼女の口笛に応えるかのようにホケキョと鳴きだしたのだ。


 彼女のターン、ウグイスのターン、それを何周か続けるうち、俺はある事にきづいた。


「うそだろ!? なんか鳥、こっちに近づいてきてません?」


「しずかに! これは私とウグイスとのバトルよ!」


「ポケモンじゃないんだから……」


「しーっ! しずかに!!」


 俺は言われるがままに口を閉じた。


 耳を澄ますと、やはりウグイスの鳴き声は雑木林からこちら側へと近づいてきている。


 緊張が走った。


 これは本当に現実なのかとワクワクし、心拍は爆上がりする。

ㅤ何度目かのターンを繰り返し、ついに、前方のフェイク立ち入り禁止看板のあるフェンス上に、緑色の小さな鳥が召喚された。


 そいつは、のほほんとした様子で、「ホケキョ~」と美しい鳴き声を披露したのだった。


「……マジかよ」


 この鳥もかなりのアホなのだと親近感を覚えた。

ㅤ彼女の口笛が本物を引き寄せたのだろうか。だとしたら大したものだ。


「やってやったわ! ウグイスげっと!! 私ってスゴイでしょ!? ね、ね!?」


 彼女は興奮のあまり俺の肩をバシバシと叩いてくる。子供みたいだ。だけど俺も嬉しくて、彼女のサラサラ黒髪の頭を、ノリでぐちゃぐちゃにかき混ぜた。意外に彼女は怒らなかった。ただただ子供のようにはしゃいでいる。

 

「山下さんの口笛はついにウグイスを越えました! ウグイスからしたらドッキリを仕掛けられたようなものだ! 仲間かと思いきや人間の女だったなんて、きっとアイツ驚いてますよ!!」


「私ついにバトルに勝ったのね!!」


「勝ちです! 勝ちでしょう! おめでとうございます!!」


 彼女の満面の笑みは、無邪気な子供のように可愛いすぎた。多分この職場で誰もそんなレアな表情は見た事はないだろう。


 こんな山下さんの表情を見てしまったなら、あんな黒い噂なんて吹っ飛んでしまうほどの威力がある。どんなワガママを言おうが憎らしいことを言おうが許せてしまえそうな、穢れのない笑顔。これはレア中のレアだ。


 とても気分が良かった。

 優越感すら感じた。

ㅤ思わず、「かわいい!!」と心の声がダダ漏れそうになり、それを必死で飲み込んだ。

 


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