第11話 Don't Stop Me Now

 ◇◇◇


 ――普恩寺ふおんじさんの家の一室で鶏の鳴き声を目覚まし時計として目を覚ました。


 一宿の礼を述べると、普恩寺さんは朝食を食べ終えたら名越なごえさんの家に連れて行ってやると言ってくれた。

炊きたてご飯に生みたて卵、ぬか床からあげたばかりの漬物。

質素な朝食ではあったが、どれも涙が零れそうになるほど美味しかった。

特に生みたて卵で食べる卵かけご飯は毎朝でも食べたいと感じる代物であった。


「この卵、めちゃくちゃ美味しいですね!」


 そこまで言うと、ふとこの卵かけご飯の後味にどこか懐かしいものを感じた。

この味どこかで食べた事がある気がする。

醤油の塩味、黄味の味、そのさらに先にあるトウモロコシのような少し甘味のあるような何か。


 それはきっと思い出の味なんだろうと普恩寺さんは言った。

今僕が食べた卵を産んだのは、元々は祖父が大切に飼育していた鶏が産んだ卵なのだそうだ。

祖父が亡くなった後、そのままにして放置されていた鶏を可哀そうと言って普恩寺さんが引き取ったらしい。

許可を取ろうにも誰もやってこないので、しばらく鶏舎に預かっていますという張り紙をしていたのだとか。


「元はといえば君の家の鶏だからね、向こうの家に住むようになったら毎朝卵を届けてあげるから食べたら良いよ。卵焼きで食べても味が濃くてね、これを食べちゃったら、もうスーパーの卵なんて食べられないぞ?」


 普恩寺さんは豪快に笑いだした。

奥さんも笑っている。

何とも言えない暖かい空気に食卓が包まれる。

凍てつき冷え切った心を遠赤外線のようにじんわりと温めてくれる。

自然と二人につられて僕も笑顔が零れる。

作った笑顔じゃない、ごく自然の笑顔が。




 普恩寺さんの軽トラックで送ってもらい祖父の家へと到着した。


 これが祖父の家?

どうみても雑草の生い茂った小高い丘にしか見えない。

野原の中央に蔓性の植物が大量に巻き付いた山があり、その頂上に僅かだが瓦が見える。

瓦があるという事で、確かにそこが家であるという事がかろうじてわかるという状況である。


「この辺は山の中だから土の栄養が豊かなんだよ。だから長く放置したらこうなってしまうんだよ。お子さんは二人とも都会に行っちゃったから、そういうの知らなかったんだろうな」


 これを住めるようにするにはだいぶ手間がかかるだろうと、普恩寺さんは手近な雑草を一株むしって雑草の丘を見上げた。

こんな状況じゃあ残っている布団だって何度も天日干ししないと使えないだろう。

竈だって、こんな状況で火を入れてしまったら辺り一面が焼け野原になってしまいかねない。

電線に蔦がはってしまっているから、それを取り除かないと電気を通すのも危険。

井戸だって全て汲み上げて何度か空にしないと使えないだろう。


「これじゃあ、暫くはうちから通いだな。まずは家の周囲だけでも雑草をこいで、家の中を虫が住処にしてしまっているだろうから毎日換気できるようにしないと」


 最終的には殺虫の煙を家中で焚かないと住むことはできないだろう。

もしかしたら床板も腐って張り替えないと駄目な場所があるかもしれない。

壁だってどうなっていることやら。


 だけど家というのは大黒柱さえ健在であれば手をかけてあげれば必ず住めるようにはなる。

だから諦めずにこつこつやる事だと普恩寺さんは言い残して軽トラックで帰って行った。



 まずは何をおいてもこの雑草の林の中から家を救い出さないと。

そう考えて恐らく家と思しき場所を見るのだが、もはや玄関すら見えない。

記憶を頼りに雑草をかき分けて進んでいくと、確かにそこに玄関はあった。

後を振り返るとそこには先ほどからずっと見続けている雑草の林が。


「まずは、ここまでの道を作るところからかなあ……」


 草は刈っては駄目。

根を抜かないとすぐに伸びてきてしまう。


 抜いて、干して、腐らせて後々生ゴミと混ぜて畑の土に練り込む。

今は単なる雑草かもしれない。

だが土にとっては枯れた草は腐葉土の元となる。


 古い記憶を呼び起こすと家の横には非常に広い畑があったはず。

それと何本かの果樹もあったはず。

残念ながら果樹は枯れてしまったらしく姿が見えないが。


 しゃがみこんでひたすら草を抜いていく。

途中で飽きてきそうだったので、持ってきた鞄から携帯電話を取り出し、イヤホンをして音楽を流す。


 今日の気分はクイーン。

『ドン・ストップ・ミー・ナウ』の軽快な音楽が両耳から聞こえてくる。


 思わず草を抜く手の動きも早さを増す。

光の早さで雑草を抜いてやる。

誰もこの僕の手を止められない!



 一心不乱に雑草を抜いていると目の前の地面に映った影が動いた。

顔を上げると普恩寺さんがにこやかな笑顔で立っていた。


「どうだい? そこいらでお昼休憩にしないか?」


 立ち上がって初めて気が付いた。

門から玄関まで、わずかな幅ではあるが草むしりが完了していたことに。



 軽トラックに乗り込んで再度普恩寺さんの家へと向かう。


 後々腐葉土作りに使おうと思っているという話をすると、普恩寺さんはそれならコンテナを一つ貸してあげると言ってくれた。

恐らくは名越さんの家の物置にも大量にあるとは思うが、現状ではその物置を探すのも一苦労だろうからと。

更には普恩寺さんの奥さんがいい物があると言って、車輪の付いた座椅子を貸してくれた。

これに座って、少しづつ椅子を動かしながら草をむしれば多少は楽にやれるのだそうだ。

そんな便利な物があるなんて。


 昼食を取ってからは、玄関までの道を徐々に広げていくように家の周りの雑草を抜いていった。

仕事でやらされるのではなく、自ら進んで行う作業がこんなにも楽しいものだとは。



”お前は言われた事だけやってれば良いんだよ。余計な事はするなよ。みんなが迷惑する事になるだろ?”



 ただただ草をむしっていくだけの作業。

特に何も考えなくていい。

腕は徐々に鉛のように重くなっていくし、手も所々草によって切り傷ができている。

だけど何だろう?

この変に充実した気分は。


 ちょうど家の前を通路のように草をむしり終わった時だった。

目の前で大人の手がパンパンと叩かれた。


「今日はその辺にしておいたらどうだ? 初日から飛ばすと後が続かないぞ?」


 見ればもうコンテナはむしった雑草が山のように積まれていた。



 帰り路、普恩寺さんに気になっていた事を聞いた。

実は草むしりをしていて思い出した事があったのだ。


 祖父は亡くなる数年前まで畑で何かを栽培していた。

何か食べられるものではなく、ただ青々とした葉っぱが生い茂るだけの植物。

それを祖父と祖母は乾燥させて出荷して生計を立てていたはずなのだ。

だが何を栽培していたのか聞いたことが無かった。


 それを聞くと普恩寺さんは急に表情を曇らせた。

あまり聞いてはならなかった話、普恩寺さんの態度ですぐにそれが察せられた。


「ああ、あれか……あれはね煙草の葉だよ。この村は煙草の栽培で有名だったんだよ。だけどある時を境に突然出荷ができなくなってしまってね。栽培するのもそれなりにお金がかかるんだけど、一円にもならずに皆借金になってしまってね」


 あの時、多くの者が財産と職を失い村を去った。

名越の爺さんの息子さんたちも全員村を捨てて都会に働きに行った。

子供を食べさせていかなければいけないのだからやむえないだろう。


「健康の事を考えて禁煙、そこまでは悪い事とは思わないんだけどね。ヒステリックに煙草は悪だ、喫煙者を攻撃しろって抗議活動されてしまうとね……その産業に従事する人たちの生活の事は何も考えて無いんだものな。嫌になるよ……」


 おかげでこの村には年金生活者だけが残った。

あれだけ子供たちで賑やかだった学校もあっという間に閉鎖になった。

百年以上も歴史のあった秋祭りは、参加者がいなくなって中止になって久しい。


「何だかさ、本当に朽ちていくだけって感じがするんだよ。医者も無くなり、八百屋も無くなり、いづれ村自体なくなっちゃうんじゃないかってね。自分たちが生活していた痕跡が消えるって、考えたら怖い事だよね」

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