第6話 A Whiter Shade of Pale
街角でふと聴いた曲、歌詞がなくメロディーだけが聴こえる。
とても良いメロディーだし、どこかで聴いた気もするがタイトルが思い出せない。
調べようにもどう調べて良いか思いつかない。
もしくは調べてみたけど検索に出てこなかった。
何とももやもやとする状況だと思う。
ところが、もうかなりまで忘れかけていた時に、ふと何気ないタイミングでまたその曲を聴く事になる。
あの時のもやもやをまた思い出す事になり、今度こそちゃんと調べようと発起。
そしてやっとその曲名を知る事になる。
その時のえもいわれぬ爽快感といったらない。
その時の感覚と似たものがあった。
ついに何となくだが、あの不思議な文字が一部解読できたのだった。
あの時図書館でめぐり合ったあの女性。
あの人が言っていた事をヒントに、属性というもので色分けしてみたのだ。
そうして恐らくこれが対応した単語だろうという事が見えてきた。
『呼び出す』『精霊』
この二つの単語が説明文の単語と照合して判明したのだった。
精霊? 呼び出す?
まさか『精霊を呼び出してみよう』という事が書いてあるとか?
まさかね。
時が過ぎ、天から雫が降り注ぐ日々はとうに過ぎ去り、じりじりと地を焦がす日々も少しづつ遠き日となってきた。
街路樹の葉が青々とした緑から、徐々に赤みを帯び、さらに色を失い、一枚また一枚と風に誘われ旅立つ季節へと移り変わった。
相変わらず、朝家を出て、黙々と仕事をこなし、一人家に帰る、そんな毎日を送っていた。
あれだけ大好きだったレトロゲームは、あの『フェアリー・ケージ』以降、すっかりと興味を失ってしまっていた。
レトロゲームに対して興味を失ったというのは少し違うかもしれない。
生活のありとあらゆる事に対し興味が失せているというのが正しい気がする。
食事に興味がわかない。
天気にも興味がわかない。
服装にも興味がわかない。
髪や爪が伸びてても気にならない。
部屋が散らかっていても気にならない。
”体調が悪い? 体調の良い時がお前にあるの? その時は教えてくれよ。体調が良いとどの程度仕事ができるのか知りたいからよ”
家から外に出ても、うだるような暑さという事は無くなっている。
このままではいけない。
そう思って仕事が休みの日はなるべく外に出かける事にした。
毎日駅を出て、会社でいびられて、商店街のパン屋でサンドイッチを購入して帰る。
その繰り返しだから生活にハリが無くなっているんじゃないかと思ったのである。
まずは歩ける範囲から。
散歩しながら散策してみようと普段の通勤路から一本、二本と離れた路地を歩いてみる。
不思議なもので、知らない路地を歩いてみたのに、辿り着いたのは見慣れたいつもの駅前商店街であった。
そういえば、駅前商店街ですらどのようなお店があるか知らない。
商店街のお店を見ただけだったが、非常に発見が多かった。
新たに美味しそうなお惣菜屋を見つけたし、綺麗な花を売っている花屋も見つけた。
いつからあるのかわからない年季の入ったラーメン屋。
そんな古いお店の中に真新しいチェーン展開しているコーヒーのお店がある。
その隣にはチェーンの牛丼屋も。
路地を一本入れば、焼き鳥が自慢の飲み屋がある。
他にも飲み屋が数件、いづれも煤けていていつからやっているかなんて見当もつかない。
そんな商店街のすく近くにいかがわしいお店もある。
だが、気になるのはシャッターの下りた店が異常に多いという事。
開いている店のゆうに四倍以上がシャッターの下りた店である。
看板だけ残っているような場所もある。
看板は無くなってるが、シャッターにかつての店の名が書かれている場所もある。
もはやそのシャッターすら長い間下りたままになっていて錆びついている場所もある。
いつも見ている駅の反対側がまさかシャッター通りだっただなんて。
そんな事を思いながら駅前商店街を抜け少し歩いたところで熱帯魚屋を見つけた。
その熱帯魚屋は外から見たら極々普通の、悪く言えば何の変哲もない熱帯魚屋であった。
店の外に大きな水槽があり、そこで何匹かの小さな朱色の金魚が飼育されている。
水槽は苔むしており、横からでは金魚が良く見えず、上から見るとやっとその姿を確認する事ができる。
沈められた石からぶくぶくと泡が出ている。
自分が知っているエアレーションは卓球の球より一回り小さいものであるが、そこにしずめられているのは手の平くらいの丸い平らな石であった。
上から見ると水槽の水はどことなく青みを帯びている気がする。
店は近づいただけで独特な匂いを発していた。
苔の匂いに何か別の沼のような匂いが混ざっている。
そこにカルキの臭いが混ざる。
薄暗い店の中に入ると数多の水槽が整然と置かれていた。
その一つ一つにライトが置かれていて、水を循環させる浄水器が乗せられ、さらにエアレーションもされている。
水槽にいるのは金魚であったり、めだかであったり、熱帯魚であったりしている。
店内にはBGMが流れている。
非常にゆったりとした静かな曲。
『ア・ホワイターシェイド・オブ・ペイル』
邦題は『青い影』
魚たちにも聞こえているのだろうか。
プロコル・ハルムのブルッカーの熱唱が。
鼻歌のように口ずさんでいると、店の一角に一つ不思議な水槽を見つけた。
水槽の中に水は少ししか入っておらず、五分の一ほど砂利が敷かれている。
いくつかの葉やキノコが砂利に植え付けられている。
中の植物は実に綺麗に手入れがされている。
浄水器がついていない。
上部にガラスの蓋も閉まっていない。
何か生き物を飼っているようには見えない水槽。
よく見ると他の水槽と違って値段が付いていない。
つまり非売品。
この水槽は一体?
何だろう?
何か強い既視感がある。
一体どこで見たのだろう?
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
店員の声に心臓の異常な高鳴りを感じる。
別に怪しげな人というわけでもないのに。
ごく普通のおじさん。
年相応の体形、毛量は豊だがすっかり白くなった頭髪、黒縁の眼鏡。
「あの、この水槽は何かを飼ってらっしゃるんですか?」
店員のおじさんは『飼っている』という単語に反応を示したものの、すぐに『シバアオイ』という草を育てているだけだと説明した。
雑草の類いだが水辺に映えるので植えているだけ。
生き物はいないがビオトーブを水槽内で再現しているのだと。
「シバアオイ? シバアオイって実在する植物だったんですね」
店員は僕を見てほうと感嘆の声を漏らした。
こちらを観察するような目で見て顎を擦っている。
「ゲームの中だけの植物とでも思ったのかな?」
以前プレーしていたレトロゲームに出てきたんだと言うと、店員は小さく頷くように首を小刻みに縦に振った。
先ほどの既視感の正体はこれだったのだ。
おじさんの口から発せられた『ゲーム』という単語で思い出した。
この水槽の雰囲気が『フェアリー・ケージ』のゲーム画面にそっくりなのだ。
シバアオイが数枚植えてあるだけだが、美しいとすら感じる。
「そんなに気になるならそのシバアオイ、わけてあげようか? こんな風に水辺を作ってそこに植えておくと子株が生えてくるから、それを別けて植えれば増やす事は可能だからね」
店員のおじさんに深く頭を下げて感謝の言葉を発した。
さすがに貰うだけでは何なので、水槽を一つと小袋の砂利を一袋購入させていただく事にした。
薄暗い店から出た僕を陽の光が襲う。
町の景色が青白い影となって揺らぐ。
まるでどこか異世界から戻って来たかのような錯覚を覚える。
急に不安になり背後を確認。
良かった、熱帯魚屋はちゃんと存在している。
これでフェアリー・ケージを再現できる!
きっと仕事から帰った疲れた心を癒してくれる存在になってくれる事だろう。
そんな風に思いながら弾む足取りで家路についたのだった。
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