第5話 Saturday Night

「前回はその……すみませんでした。調べ物の邪魔してしまって」


 翌週、図書館であの女性と再会した。

彼女は明らかに前回とは異なり、髪も綺麗にとかしてきているし、薄化粧ながら化粧もしている。

服装もどこか余所行きのものであった。

香水の香りだろうか、それとも柔軟剤の香りだろうか、ほんのりと良い香りが漂ってくる。


「あ、気にしてませんから大丈夫ですよ」


 きっと気の利いた男性なら、このような美しい女性の方から声をかけられたら、喫茶店にでも誘って話でもなんて言うのだろう。

気にしていないなんて答えたら、気にしているけど放っておいてくれと言っているようなものである。

なんて気が利かないのだろうと自分でも嫌になる。


 おかげで会話は途切れ、女性もどうしたものかと戸惑った顔をしてしまっている。

だが彼女の事を一ミリも知らない自分としては、それ以上何を話して良いのかおよそ検討も付かない。

この変な空気をどうしたものかと戸惑っていると、それを察せられてしまったのか、彼女は僕の顔をみてにこりと微笑んだ。

その女神のような微笑みに自然と顔が火照るのを感じる。


「考古学か何かを研究されているのですか? それとも言語学?」


 彼女の方が先に会話の題材を探してくれた。

ありがたいという気持ちが半分、申し訳ないという気持ちが半分。

何とも複雑な心境である。


 考古学やら言語学やら、彼女にはいったい僕がどのように映っているのだろう?

僕はそんな研究者なんかではない。

恐らくは世の女性たちが犯罪者予備軍かのように忌避している存在であるゲーム好きでしかないのに。


 取り繕っても仕方がない。

ありのままを話して、忌避されたら仕方がない、きっぱりと諦めよう。

どう考えても目の前の女性は自分の隣にいるような人ではないのだから。


「実はこれ、ゲームをしていたら出てきたんです。僕も開発者の遊び心じゃないかなとは思うんですけどね。どうにも何か法則のようなものがある気がして、興味が出てロゼッタストーンの解読の文献を調べてたんです」


 少し早口だっただろうか?

こういう人特有の気持ち悪い喋りだと思われてしまっただろうか?

審判はどっちに下ったのだろうかと女性の表情を確認。


 女性は僕よりその書き写された文字の方に釘付けになっていた。

右手で零れる髪を耳にかき上げながら、じっと文字を見つめる女性。

その光景はまるで上質な油絵のように高貴で美しかった。

思わず神の作り給う奇跡の造形に見惚れてしまう。


「面白いですね。アルファベットみたいな文字で部首とつくりが構成されてる文字だなんて」


 そう言って彼女は文字一つ一つを美しい指で指し示した。


 大学で史学科、それも専門が東欧史だった身の僕からは、文字というものの詳しい事はよくわからない。

学校で部首とつくりという言葉を習ったところで知識は止まってしまっている。

そんな僕に女性は、部首が何か、つくりが何かを丁寧に教えてくれた。



 文字には表音文字と表語文字というものがある。

表音文字はそれ自体に意味を求めない文字。

アルファベットやひらがななんかがそれにあたる。

表語文字はその文字一つで意味をなす文字。

わかりやすいのはアラビア数字。


 それとは別に表意文字というものがある。

表語文字と似ているのだが、こちらの方が文字よりも絵に近い。

代表的なのが漢字なのだそうだ。


 実際にはアルファベットのAの元になったフェニキア文字のαは牛の頭を模したものなので、単なる記号という事では無い。

ただ、現状でAを牛の意味では使わないだろう。

つまりは表音文字も表語文字もどっちも今では『記号』でしかない。


 一方の漢字は非常に面白く、絵を見るように眺めるだけで何となくその文字が何を意味するかわかるようになっている。

さらには部首とつくりに別れていて、部首はその単語の属性を、つくりは種類をそれぞれ意味している。



 ここまで彼女のいう事をまるで大学の講義でも聞くように真剣に聞き込んでいると、急に彼女はくすりと笑った。

何か変だっただろうか?

その笑顔に少し恐れのような感情を抱いていると、彼女はゲームがお好きなんでしたよねと聞いてきた。


 ゲーム風に言えば、例えばサンズイという部首のつく漢字は水属性の字といえばわかりますかと言って彼女はくすくすと笑った。

サンズイという水属性の部首に、長く存在するという永というつくりで『泳ぐ』という漢字ができているんだと。


「だからもしかするとこの文字もそんな風になっているのかもしれませんね」


 そう言って微笑む彼女。

まるで叡智の女神のように透き通って見えた。


 『憧れ』

陳腐な言葉だが、心の奥底に彼女に対してそんな感情が生まれていた。

もっとこのまま目の前の女性と話がしたい。

そんな欲求が沸き上がってくる。


「なるほど! 確かに僕がこれを見たゲームは妖精を育てるゲームなので、そういう属性とかそういう所からヒントを得て、これを考えたのかも!」


 やや興奮気味に言う僕に彼女はふふと笑った。

もっと話の続きを聞かせて欲しい。

そう願う僕を嘲笑うかのように彼女は席を立った。


 研究のお邪魔をしてしまったら悪いからこの辺で。

そう言って去っていく彼女の後ろ姿を眺めた。

彼女の姿が完全に消えたところで僕はやっと気が付いた。

きっと彼女が想像していた僕と、実際の僕が全然違っていたのだろうという事に。

ようはガッカリされてしまったのだ。



”資料を独り占めしないでもらえません? こっちの仕事の効率まで落ちるんですよね。ほんと迷惑”



 だが彼女のおかげでその謎の文字の解読のきっかけができた。


『謎の文字の解読』


 なぜこれにそんなにこだわるのか。

それは植物図鑑や精霊図鑑といった元々日本語で書かれている所とは別のところに、この謎の文字の一文が書かれていたのを見つけてしまったからなのだ。


 なんとしてでも、あの文字がなんて書いてあるのかを調べあげたい。

それを調べてから別のゲームに取り掛かりたい。

そう考えていたのだった。


 もちろん開発者の遊び心に過ぎないだろうという事はわかっている。

やっと調べ上げたと思ったら、こんな事に真剣になってどうするの?と書いてあっただけなんて事になるかもしれない。

それでも良い。

少なくともこの事に熱中している間は、会社での嫌な事を忘れていられるのだから。



 何だろう?

何だかいつもより心が軽い。



 帰り道、近所のパン屋さんにサンドイッチを買いに行く。

店内にかかっているBGMを思わず口ずさむんでしまう。


 曲は聞いたことがあるが、なかなかタイトルが思い出せなかった。

ある程度進んだところでやっと思い出した。


『サタデーナイト』


 確か歌っているのはベイシティーローラーズという人たちだったはず。


 決めた!

今日の気分はBLTサンド。


 なぜだろう。

家路につく足取りがとても軽い。

心の中でロックンロールが軽快に奏でられているように感じる。

その軽快な音楽に乗って心の中の僕は大はしゃぎでギターをかき鳴らしている。


 きっと彼女のおかげだ。


 お湯を沸かして紅茶を淹れる。

この茶葉の蒸れた香りが毎回失せ切っている食欲を非常にかき立ててくれる。



 ゲームの中で水の精霊がこっちらに向かって手を振ってくれた。

今まで何度も見た光景なのに、なんだか気持ちがほっこりするのを感じる。


 BLTサンドを少しづつ口にして大好きなゲームに興じる。

最高の土曜日の夜だ。


 いつかあの娘とこのゲームの事を語り合えたらどれだけ素敵か。

いや別に相手は彼女じゃなくても良い。

そんな友人ができたらどれだけ楽しい事だろう。


 そんな事を考えながら少しづつサンドイッチを食べてゲームをプレーした。

気が付いたら日付は変わり、無敵の土曜日の夜は終わりを告げていた。

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