第4話 Raindrops Keep Falling on my Head
難しいからハマったわけじゃない。
むしろ難易度の高すぎるゲームは嫌厭するきらいがある。
適度な難易度、独特な世界観、奥の深さ、自由度。
全てが自分の中の凸凹に綺麗にフィットしたのだと思う。
五つのシナリオを終えても延々とフリーモードでプレーし続けていた。
相変わらず会社では孤立感を強めていた。
仕事の話以外何も口から発していない事に、帰ってから気付く事もしばしば。
さらに小さなミスに対して人間失格かのように頭ごなしに叱られる。
あれ? 僕ってもしかして会社という刑務所で強制労働する受刑者なのかな?
そんな風に感じる日も多々あった。
”仕事できないのに昼食の休憩とるの? お昼休憩って普通に仕事やれる人の慰労時間なんだと思ってたよ”
近所迷惑にならないように風呂場で湯に顔を浸けて思い切り絶叫する。
顔を上げた時にはとてもスッキリする。
その事に気が付いてからというもの、何を言われても何となくその日のうちに発散できるようになった気がした。
そうだよ。
何を馬鹿な事を考えているんだろう。
受刑者が刑務所から出れるわけないじゃないか。
だって自分の家に帰れるんだもの。
確かにパソコン以外、必要最低限のものしか無い殺風景な部屋である。
もしかしたら監獄の方がまだ物があるかもしれない。
いやいや、毎日食べたい味のサンドイッチが食べられじゃないか。
大好きなレトロゲームでだって遊べる。
それでわずかだがお金が貰えるのだ。
確かに税と家賃で大半は消える。
だけど監獄でこんな待遇が許されるだろうか?
こんな素晴らしい環境が監獄なわけないじゃないか!
今日も『フェアリー・ケージ』を起動する。
さあ今日も新たな妖精ちゃんにふれあうのだ!
もはや何度目のフリーモードだろうか。
あまりにやり込んで用意された妖精のカードは全て回収してしまった。
そう思っていた。
だがどうやらまだ新たな妖精がいたらしい。
いつもの火、水、風の妖精、それと闇落ちした妖精、それとは全く異なる妖精が誕生した。
火の精霊は髪が赤いソバージュ、水の精霊はヒレが生えている、風の精霊は薄い羽が生えている。
そんなそれぞれの特徴を持っているのだが、新たに生まれた妖精はその三種のどの特徴も有していない。
金色の長い髪、白く立派な羽、白いワンピースのようなトーガを身にまとって最も背の高い葉に腰かけて他の精霊を見守っている。
時折こちらをちらちらと見てくるように見える。
まるで妖精というより天使のよう。
妖精のカードに登録が無いところを見ると隠しキャラなのだろう。
どうやらその不思議な妖精の誕生が、隠しモードのトリガーになっていたらしい。
それまで画面のメニュー文字は英語であった。
内部の細々した文章が日本語。
ところがコンフィグに新たに『言語』の項目が追加になっていたのだった。
『言語』は日本語と英語と何やら不思議な文字が表示されていた。
何の文字だろう?
ゲームそっちのけでその文字がどこの国の文字なのかを調べ始めた。
だが、該当する文字は見つからない。
四角の中にアルファベットのような文字を組み合わせて一つの文字を作っているように見える。
ぱっと見ではアルファベットに見えたがよく見るとアルファベットでもない。
調べていた中ではリュキア文字というのが近いかもしれない。
もしこれがリュキア文字を漢字のように組み合わせたものだとしたら、リュキア文字は古代のアナトリア半島辺りで使用されていた文字だという事なので、そこから東へ逃れた部族がいて、彼らが漢字に触れて編み出した文字という事なのかもしれない。
文字はよくわからないが元の単語はわかる。
そこで全てを携帯電話で画面を撮影し共通点を見出そうとした。
まるでロゼッタストーンからヒエログリフの解読をしたシャンポリオンになった気分である。
わざわざ休日に図書館に出向いてそれらしき本も開いてみたのだが、結局は何一つわからなかった。
多分当時の開発陣の遊び心。
当時のゲームスタッフにはよくある事である。
プログラムのソースコードに上司に対する悪口がびっしりと書かれていたり、同僚の何とかちゃんが可愛いと告白文が書いてあったり。
恐らくはこれもその類の話だろう。
今にして思えば、ここで納得していれば、きっと全ては遊び心で済んだのだろう。
どうしてもこの文字が気になって仕方がなかった。
何故ならそれまで日本語で書かれていた植物図鑑までよくわからない文字になっていたからである。
つまり、これだけの大量の日本語に対応するだけの文字が書かれているという事になる。
メニューの文字がよくわからない文字になっているだけなら、ちょっとしたバグや遊び心だと片付ける事もできただろう。
だが、これだけの文字情報が全てこのよくわからない文字で書かれているという事は、英語、日本語、よくわからない文字がちゃんと対応しているという事である。
ようはこのゲームはこのよくわからない文字のロゼッタストーンといっても過言では無い。
もはやゲームなどどうでも良くなっていた。
この文字を解読したいという欲求が溢れてしまっている。
解読したところで何かになるわけでは無い。
そんな事はわかっている。
だけど、それを調べる為にあちこちに出かけるだけで、何だか気分が晴れ晴れするのだ。
ある時、図書館でたまたま隣に座った女性がこちらを見ている事に気が付いた。
こちらというか僕が書いているノートの内容に。
学生だろうか?
その女性は化粧もせず、大きな眼鏡をかけ、髪を緩く三つ編みにして黒の髪ゴムで縛っただけという、何となく高校時代の図書委員を思い出させる風貌であった。
「どうかしましたか?」
もしかして、これが何かわかるのだろうか?
そんな淡い期待を抱いて声をかけた。
だが女性はごめんなさいと謝罪して席を立った。
どうやらそのまま帰ってしまったらしく帰っては来なかった。
いきなり僕みたいな人に声をかけられたら気持ち悪がられるよね。
もしかしたら今頃あの女性は警察に駆け込んでしまったかもしれない。
そんなのいつもの事。
気にしても仕方がない。
学生時代から、声をかけた女性は毎回こういう態度をとってきた。
まるで暗がりで暴漢にでも襲われたかのような金切声をあげる人もいた。
それに比べれば露骨に逃げられるくらい何てことはない。
昔はその都度傷ついてもいたが、今となってはもはや何とも感じない。
警察が来る前に早くこの場を立ち去ってしまおう。
ふと外を見ると窓の外は雨が降っていた。
あれ? 傘が無い。
もしかしてさっきの女性?
いや女性が席を立つ時にはもう傘は無かったからあの娘ではない。
東京に来てからいくつも不満点はある。
中でも本当に気に入らないのがこの傘の窃盗である。
もう何本盗まれたかわかったものではない。
その都度新しい傘を買う羽目になっている。
そもそも濡れたくないから傘を盗んでいくのだろう?
どうして盗まれた人は濡れても良いという考えになれるのだろう?
普通はその人が濡れたら困るだろうから、傘を忘れたのは自分だからと我慢して濡れて帰るものではないのだろうか?
図書館を出ると、ざあざあという音に紛れて石畳を打つぴたぴたという音がする。
そんな雨音を暫く聞いていると昔聞いた曲を思い出す。
『レインドロップ・キープ・フォーリン・オン・マイ・ヘッド』
確か邦題は『雨に濡れても』という題だった気がする。
天から零れ落ちる雫たちを眺め、B・J・トーマスになった気分で口ずさむ。
まるで石畳を打つ音が軽やかなウクレレの音に聞こえてくる。
降り注ぐ雨を見て改めて思う。
止まない雨が無いように、どれだけ憂鬱な事があっても、きっとその後に幸福はやってくるはずだって。
そう自分に言い聞かせたら、何となく雨足も弱まったように見えた。
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