第2話 カクヨムは創作系交流サイトである。圧倒的快適さを提供するビジネス的観点
さて、先のエッセイで私は辛辣な言葉を並べた。結果なろうではエッセイランキング日間一位にもなり、週間も三位から二位になったが、果たしてあのエッセイはどこまで正しいのだろうか。
結論から言うと「一部」である。
そもそも論として視点を変えれば一部でしかない。
それはカクヨムが「創作系交流系サイト」であり「ビジネス」でもあるからだ。これが分かると、サイトの本質と先のエッセイの偏りが読み解ける。私が私に反論するという謎展開だが、なぜか一位になってしまったので私自身が責任を取ろう(笑)
まるで古代ギリシア・アテネの弁論家みたいな話になってきた。
「どんな議論であれ、私がついた方が勝つ」
そう言った弁論家がいたらしいが、私の場合んなわけない(笑)
□小説交流系サイトビジネス「カク・ヨム」
まずはビジネス的観点を解説しておく。書き手ユーザーの皆さんなら分かると思うが、カクヨムは広告が少ない。理由は二つ。
・カドカワ自体の宣伝を兼ねたサイトである
・圧倒的快適さを提供するのに過剰な広告は不要
ということで、小説ページ以外には基本広告がない。というかないと思う。では快適さの次に必要なものは何か。それが「利便性」である。だからSNS的なサイトに仕上げたのだ。つまり、
・SNS的要素を取り入れ交流しやすくする
・情報の可視化を行い、創作に関わる孤独を軽減する
この二つも特長として加えていい。
情報の可視化やSNS的要素からくる「いざこざ」「問題点」よりも「快適さ」「交流性」「孤独の軽減」を重視したのだ。
ではこれにより何が起きるか。この部分を先のエッセイは完全に無視、もしくは軽視している。意図的に、というよりは「目的が違った」ということだろう。まあ私が書いたんだが……。
ともかくだ、さて結果何が起きるか。結論を記そう。
「サイトの滞在時間が長くなる」
これがカクヨム側の狙いである。
いわゆる「可処分時間」と呼ばれる、自由に使える時間を奪い合う現代社会において「快適さ」「利便性」は欠かせない。カドカワ本体のサイトであるがゆえ「あえて広告を減らし」まず快適さを提供する。更にSNS的交流を促すことで「カク・ヨム」という二つの目的を持ってサイトを訪れる人を獲得する。
そうして出来上がったのが「創作系交流サイトカクヨム」である。ここは小説系でもいい。創作系ならpixivの方が相応しいかもしれないが、私は使ったことがないのだ。だからどっちでもいい(笑)
□交流サイトカクヨム。交流がメインとなってもいい
さて、そうして出来上がったカクヨムは試行錯誤を繰り返しながら、徐々に大きくなってきた。カドカワ自体の宣伝も兼ねつつ、存在感は日増しに増えている。書き手ユーザーなら、なろうの滞在時間より確実に長くなったのではないだろうか。
なろうもリニューアルするなどし対抗しているが、そもそもサイトの方向性も母体も違う。それでも互いに切磋琢磨し、創意工夫を続けるだろう。ライバルがいるから業界は盛り上がるのだ。
創作系、もしくは小説系交流サイトであるカクヨムは、本人の努力次第だが「限りなくSNS」として活用出来る。DMがなく、呟くことも出来ないが、それはさすがにTwitter(現X)でやって欲しい。そこまでやったら広告を増やさなければならない(笑)
交流自体を促進するよう設計されたサイトであるがゆえ、交流自体がメインとなることもあるだろう。これがなろう勢にはピンと来ないのだ。
あいつら基本「孤独」だから(笑)
一部人気ユーザー、或いは人気作品を抱えていれば賑わうかもしれないが、となると自然変なのも来る。荒らしコメントとかだ。だから「カクヨムお引越し」という現象が起きたりする。
ところがカクヨムは違う!
あなたがやろうと思えばガンガン交流出来る。ちょっとした近況ノートやショートショート作品、短編にいいねや星を付け、そして感想やレビューが記せる。もちろん長編でも構わない。「今の時間帯人がいない、赤い通知が付かない」となったら読みに行くかTwitter(現X)へ行けばいい。面倒だな、以降Xでまとめる(笑)
通話、ラジオ的なものならなんだっけ、Xでも出来るし。そうスペースだ。会話はそちらでやればいい。
更にブロック・ミュート機能もあり、ウザイ奴は「お断り」出来る。もちろんなろうにもあるが、あちらは感想欄などがメインの話だろう。
しかしカクヨムは違う!
近況ノートなど交流の場からも締め出し「あっちいけ」と締め出してしまえばいいのだ。そもそも交流してるのに、邪魔な奴は排除すればいい。まあここら辺はユーザーの裁量で行って欲しい(笑)
□交流がメイン、創作がメイン、読むことがメインが混在するサイト
カクヨムを語る上で欠かせないのがこの点である。結論を言おう。先に述べた通り「交流がメインで構わない」なぜか。
「放置勢になるよりよっぽどマシだから」だ。
これは真面目に言っている。創作という「孤独な作業」を交流によって解消出来る、そういう造りに端からしてあるのだ。もちろんKADOKAWA自身の宣伝、書き手ユーザー読み手ユーザーの獲得も兼ねている。
とすると人によっては、そもそも「カク」ではなく「ヨム」でもなく「交流」がメインとなることもあるだろう。そうして交流していると、自然書きたくなり読みたくなる。そう設計されている。先に挙げた、
「サイトの滞在時間を増やす」
これが達成されるのだ。結局書かない、読まないでも構わない。少なくとも交流しようと思えば近況ノートぐらいは目を通す。すると短編ぐらいは読む。次第に長編をちょっとずつ、とか読み始めたりもする。
気がつくと「カクヨム」をこなす存在へとクラスチェンジし、又気分によって、
「カク」「ヨム」「交流する」「全部やる」
と、使い分けることが出来る。どうサイトを利用しようが、規約にさえ触れなければ自由だ。規約に触れればバンされるんだから、そういうのは放っておけばいい(笑)
このように書き手、読み手、交流、全部のユーザーが混在するのがカクヨムである。にも関わらず「意思を統一する」かのような先のエッセイは何事か。
私は断じて許さない!
みんな好きにやってんだ。何が悪い。結果的に読み合いになることもある。それがいけないと、先のエッセイは「確かに言ってはいない」だが「かさましかさまし」「馴れ合い馴れ合い」と連ねる様は不愉快極まりないではないか!
読まれない惨めさ、孤独は自分だって知っているだろうに! 非道な奴め。私は断じて許さん!
創作スタイルは人によって異なるのだ。時間の使い方、使える時間や目的も目標も異なる。サイトの使い方、活動の仕方も同様だ。考えて欲しい「全員が全員プロ作家になれる」そんな世界存在しようか。もしあったらば、そのプロに価値はない。
そして現実商業デビューしたり、作家として食っていけるのは一握りの人間だけだ。だからこそ、創作を好み選ぶ人達が尚更大切なのである。どの業界も同じだが、プロスポーツや音楽の世界で考えれば、成功するのは一握りなのは明白。ではそれを支えるものは何か。
「楽しみ親しむ人達」である。
彼らこそ、その苦労と創意工夫が理解出来る存在だからである。自分には出来なかった夢を達成した、時に妬ましくもあり、時に素晴らしくもある作家達。それがプロの世界なのだ。
□孤独を軽減するカクヨム
前述の通り、作品をエタらせ放置するユーザーはいなくならない。しかし、カクヨムにいれば創作や読むことに関わることは出来る。見て、観察し盛り上げ、盛り上がることが出来る。自分が主役になれるかは分からないが、関わり続けることが出来る。
ただし、いつか終わりはくる。
筆を置き、サイトから離れる時がくる。それでもあの時楽しかった、後悔はない。そうなればと、中の人達も思っていることだろう。まあ私なんかは「さっさと出て行け」と思われているかもしれないが(笑)
□全てはバランス
例を挙げよう。
創作100:0交流
創作50:50交流
創作0:100交流
一見真ん中がバランスが取れているように見えるが、正直どこでもいい。どうバランスを取るかはあなたの選択、又は力量、そしてバランス感覚である。
学ぶ時は学習と研究が100になる。何事にも共通する基本だ。
自分の目的目標、理想をイメージし、そして日々決めればいい。完璧主義は人を臆病にする。億劫になるのだ。完璧などそうそうありはしないのだから。だからその日その日に決める、それでも全然構わない。
創作に本気で挑んでいる人。
創作が好きで頑張ってる人。
創作が好きだから、書いてる人。
創作が好きだけど、まだ書いてない人。
読み専。
いつかBANされる奴ら。
BANされても帰って来る奴ら。
色々な人がいる(笑)
それでいいし、これが圧倒的事実である。
結果的に起きる現象は、対処すればいい。確かに先のエッセイは「一見正しく見え、そしてなろうで1位になった」これは事実だ。ならば対処すればいい。耳に痛いことだったなら、対処すればいい。
□最後に。カクヨムはポジティブ路線でユーザーを守る
先のエッセイがぐさりと刺さって酷い目に遭ったというならば、少しバランスを変えるといい。
一番楽なのは「ああいう自分の価値観を押し付けてくる奴とは距離を取れ。なんならブロックしろ」である。私はこれをお薦めする。仮に事実であったとしても、ありのまま記すなど言語道断。せめてマイルドに記せ。人としてなってない。話にならない。
では次だが、やはり気の合う人達と交流することだ。そして目標があるなら、頑張って欲しい。つまり「何も変えなくていい」
「変えたい時に変えればいい」ということだ。
カクヨムはどこまでもポジティブ路線。
ここはそういうサイトである。
カクヨムは創作系交流サイトなのだから。
規約さえ守れば、あなたの全てを受け入れてくれる。
自由に交流し、活動して楽しんで欲しい。
・最終話予告
米澤穂信作、古典部シリーズ「いまさら翼といわれても」から「わたしたちの伝説の一冊」を短く解説する。ネタバレは極力避けて。そして最後になぜ私がこれらを記したかを説明し、このシリーズは終わりとする。
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