カクヨムの圧倒的快適さの意味vs創作という観点
文字塚
第1話 事実上の創作グループ。SNS的交流の罠。カクヨムとなろうの違い
久しぶりになろうとカクヨムについて語ろうと思う。
ほぼカクヨムの話だが、前提として言っておく。
これは創作者として「成長したい、成功したい」という人への警告である。ただ創作を楽しみたいだけなら、気にする必要はない。罠にはまっていたとしても、楽しみたいだけなら問題はない。気づいた方がいいけれど。
では始めよう。
□SNS的交流という罠
以前から「カクヨムはSNSである」と私は言い続けている。SNS的側面に注目すると、そこにはXやInstagram同様の光と影が見えてくる。これから綴ることは「私はやらないしお奨めもしない」が、事実こうなっているという話だ。
まずはSNS的側面の特徴を挙げていこう。光も影もあるが、これを有効活用するとあなたの作品のスコアはある程度伸びるはずだ。
・友人、フォロワーを増やすと事実上の創作グループ、読み合いサークルが出来上がる
・結果自作のスコアは底上げされ、簡単にスコアが稼げる。ランキングにも入りやすい
・つまりガンガンSNSすることに見返りがある。創作仲間、という危うい存在と共に
カクヨムには自主企画が存在する。
上記のスコア底上げの影響を減らす為、ランキングには影響されないよう設定されているが、これにはそもそも無理がある。自主企画など参加せずとも、事実上の創作グループが存在するからだ。
これはカクヨムというサイトがSNSよろしく「一括通知機能」により「いいねハート」「評価」「フォロー」まで通知するよう設計されているからだ。
誰が評価したか通知されるので、情報が把握出来る。それらの情報を元にSNS的交流をしていくと、お互いに3つ星付け合う輪が出来上がる。結果スコアはインフレ化。特に意味のない、中身すっからかんの読み合いによって。
これに対し、カクヨムコン8の最中に検索の区切りをスコア100からにするなど、カクヨム側も対策を施した。インフレ化しやすい環境である以上、ハードルを上げるのは当然だ。しかし根本的な解決法ではなく、あくまで対策である。元からそう設計したのだ、仕方ない。
「とにかく交流させたい」
これがサイトに設計思想として組み込まれている。結果、事実上の読み合いグループが出来上がる。では、これはいいことなのだろうか。それは人による。
□スコアの底上げ方法
ひたすら仲間作りなさい。
SNSのフォロワーを増やす要領でガンガン交流すればいい。創作仲間という名の読み合いグループが出来るまで、努力は必要だが見返りは大きい。
あなたが投稿した作品にはまず星がついてくる。あなたも読んで評価せねばならないが、3つ星を溜め込むといい。SNS努力の結果が、あなたの作品に反映される。30、或いは50か。場合によっては100近くいくだろう。33人の仲間がいれば99だって夢じゃない。なんならもっとだ。
そこがスコアのスタートラインになる。
ゼロから始まる奴らと大差が付いた。
ざまあない。サボった奴が悪いのだ。
鼻で笑ってやればいい。
ーーたとえ自分の作品が、どんな「駄作」であろうと。
□先行利益
あなたのSNS的努力によりスコアはかさましされ、わざわざ自主企画に参加せずともスコアを稼げる。そしてジャンルにもよるが、ランキング上位に入ることも夢ではない。というか普通に入るだろう。もちろんあなたもフォロワーの作品を読み、積極的に評価を付けていかねばならないが、それがSNS的努力というものだ。
繰り返すが私はお奨めしない。それでもゼロから始めるよりはずっとマシかもしれない。規約さえ守り、ちゃんと読めば何も問題はないのだから。
さあランキング入りした。
ここからあなたの作品の真価が問われる。
スコアが伸びなかったならば、残念な話だ。
伸びたならば、それは実力というものだろう。
もちろんどの程度伸びるかは知らないが、露出は増える。
だがしかし、これには決定的な罠がある。
規約ではない。規約に触れてはいけない。
そうではないのだ。
あなたの周りにいる創作仲間の「質と程度」の問題である。
□誰も問題点を指摘してくれず、議論も起きない創作グループ
あなたが身を置く創作グループが、ただワイワイガヤガヤしているだけなら、ほぼ無価値といっていい。スコアのかさましに使えるだけの存在だ。一方しっかりと「意見、指摘」してくれる人がいたならば、それは多少価値を持つ。
馴れ合いで作られた疑似創作グループは「創作」という観点から言えばなんの価値もない。繰り返すがスコアのかさましに使えるだけだ。誰も「耳に痛いことを言ってくれない、馴れ合うだけの集団」である。もう一度言う。
「創作という観点から言えば」
□なぜそうなるのか。誉められたいから
褒めて伸ばすという教えが広がっている。
まるで幼児や小学生を相手にするような話だ。しかし、連合艦隊司令長官山本五十六が言うよう「実際にやってみせて言って聞かせ、実践させ褒めて伸ばす」というのは指導者として重要な資質である。
なぜならば、場合によっては戦地に送るのだから。そこまで過酷でなくとも、何事も欠点だけを指摘し怒鳴り散らすのは指導とは言えない。欠点をあげつらい、馬鹿にするなどもってのほかだ。誰にでも課題はあり、乗り越える段階というものがある。それを無視するならば、先に「内は理不尽なスパルタ方式を採用している」と明示せねばならない。軍隊や警察、過酷な救助活動に従事する機関がこれに当てはまる。実際は穏やかに指導しているかもしれないが、まあ厳しいだろう。
さて、この創作グループとはどんな存在だろうか。もう言わずとも分かろうが、指導者は存在しない。自分自身が指導者だからだ。当たり前の話である。そしてそんな指導者は、果たして自らを厳しく律し間違いを正せるだろうか。
無理だろう。
なぜなら、何が間違いかそもそも分かっていない。
どこに向かえばいいのか、自分の立ち位置がどの程度なのかも分からない。コンテストにでも挑まない限りは。挑んでも全体で見れば落選作品の方が多いのだから、やはり分かり辛い。分かるのは立ち位置ぐらいだが、それすら勘違いしてしまうかもしれない。
理由はある。一つはスコアのかさましだ。もう一つある、それがお仲間の存在だ。
大抵のSNS的創作グループというものは、歯が浮くようなおべんちゃらを並べ、ただただ誉めそやす為に存在する。当たり前だ。もし厳しい意見など述べようものなら、空気の読めない奴としてハブられる。なぜそうなるのか。
「自分も誉められたいから」だ。
そして何より、そもそもが「スコアのかさましの為につるんでいるだけ」なのだから。
或いは楽しいから。
そこに学びはない。
成長もない。
創作という観点から言えば、やはり中身すっからかんの集まりである。
□だからお奨めしない
さて、以上のような理由から私は過剰なSNS対応はお奨めしない。何事も自分に合った程度というものがある。課題を置き去りにし、SNSに興じて意味があるのか。
しかし困ったことに、SNS上での立ち回りが上手い人に限り、周囲に似非創作グループ、読み合いグループが出来上がってしまう。気がついたらそういう集団が出来上がっており、自分はその一員になっているのだ。
聡い人は距離を取るだろう。ここに学びはないと。
もしくはステップアップの為だけに利用し、時が来たら去っていく。中には続ける人もいるかもしれないが、それは人の好みであり選択だ。人付き合いに正しいも何もない。
□じゃあなろうは?
そもそもサイトでの交流を意識せず設計されている。スコアのかさましはサイト内では出来ない。読んでもらうことだけなら、読む系企画に参加すれば出来るかもしれない。その読む系企画が行われるのは当然Twitter(現X)だから、SNSはサイト外だ。しかしどんな評価が来るかは、企画者との相性による。
企画者も様々だ。中にはとんでもない奴がいる。
まあ参加する側が、とんでもないこともあるのだが。
なろうは孤独な戦場と言える。
しかしもっと可哀想なのは、カクヨムで全くSNSしない人かもしれない。スコアゼロは当然。せいぜい一桁二桁。スコア50の作品があるなら私とそう変わらないので、全く交流しないで稼いだなら大したものだ。
正直、なろうでもカクヨムでもスコア一桁とか見ていられない。気の毒過ぎる。なんという孤独……だがしかし、実はそうでもなかったりする。
□コンテスト、スコアゼロで中間選考通過
去年だがカクヨムで催された、カドカワBOOKS賢いヒロインコンテストで実際にあったことだ。私がスコア20ぐらいで通過。一番下に掲載されていた方は驚愕のゼロである。星0だ。
おっと俺より下がいた(笑)
しかもゼロって、タイ記録は狙えても更新出来ない奴じゃないか。このように、実はスコアは絶対ではない。普通に下読みさんがいる。そう、かさまししたスコアなど我々の前では無力(笑)
というか読者選考は一つの基準でしかない。有利にはなるかもなので、ボーナスと捉えた方が懸命かもしれない。サイト内での人気や活発な活動が出来るユーザーか知りたい、主催側の思惑だ。
加え、コンテストを盛り上げたい思惑(笑)
そういう仕組みなのだ。スコア稼がずプロになった人がいるのは、編集というプロの査定が重視されるからだ。コンテストによっては比重も変わろうが、下読みさんはいなくならない。
□結論と別解
カクヨムを楽しんでいると、普通にフォロワーさんが増え親しくなるだろう。それ自体は至って普通の話であり、そう設計されている。
だが自分を見失ってはならない。
ただただあなたの作品を誉めそやし、3つ星を付け、気の利いたレビューを記してくれる。一見美しい助け合いだ。しかし、耳に痛いことの一つも言う人が一人もいない。これでは困る。そんなグループに属していたならば危機感を持った方がいい。
あなたがのんびりSNSしてる間にも、プロデビューする作家は毎週のように存在する。新しい世代も参加してくる。それを忘れてはいけない。
言っておくが、自分を知る方法はいくつもある。
一つ分かりやすい例を示そう。
偉大な作家、人気作品、あなたが好きな作品。
これがあなたの比較対象だ。
このエッセイ自体が耳に痛いと感じたならば、あなたはSNS中毒気味だ。そんなことより自作や自身の技術と向き合って欲しい。なろう勢には分からないかもしれないが、これがカクヨムにおけるSNS的側面の、負の部分である。実際はSNSの側面でもある。リアルにも当然あるだろう。うまく乗りこなして欲しい。
しかしこの話には漏れがある。
それはWebコンテンツ的観点だ。
現代の小説は多様で、Webコンテンツをそのまま書籍化することがある。
さて、金になるWebコンテンツとはなんだろう。
一つ言えるのは「まともな小説である必要はない」ということだ。
さあ話が難しくなってきた。
つまりなんでもありということか。
ならば「駄作」とはなんなのか。
それはあなた自身が決め、見極めて欲しい。
あなたの価値観は、あなたのものなのだから。
では健闘を祈る。
・次回予告
この些か辛辣なエッセイで私はなろうのエッセイランキング日間1位になった。週間は3位から2位にアップした。しかし果たして、このエッセイは正しいのだろうか? そうとは限らない。そう、このエッセイには穴がある。確実にあるのだ。だから反論してやろう、私自身が。
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