第10話

「どこかに逃げてしまいたい」


 思わず本音が口を突いて出た。

 ここではないどこかに行きたい。わたしの望みはそれだけ。でも、たったそれだけの願いも叶うことはない。

 涙があふれた。橋の上を吹き抜ける強風に、濡れた頬が冷える。

 手の甲で涙をぬぐって、ふと思った。


 ――本当に叶わない?


 なにもかも捨ててしまえば叶うんじゃない?

 未来も……いのちも。


 欄干の隙間から、石ころだらけの河原を見下ろす。

 高い。橋の歩道は、高校の校舎の窓よりも高い位置にある。

 ここから飛び降りてしまえば。――でも。


「無理。生きるのも、死ぬのも怖い」


 わたしはその場にうずくまった。

 涙が止まらない。こんな顔を石山さんに見せるわけにはいかないとわかっているのに、感情を抑えられなかった。


「もう、いや。石山さんの家になんか行きたくないし、家にも帰りたくない」


 恥も外聞もなく泣きじゃくっていたとき、突然いい匂いがした。思わず顔を上げる。


「なんの匂い?」


 強い風がいつの間にか凪いでいた。日差しがほんのりあたたかくて、ほっと息をはく。

 そんな冬の終わりの空気の中に漂う、この場にそぐわないスパイスの香り。いつかどこかでかいだ懐かしい匂いだ。

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