第9話

そんなわたしでも、憎まれているのだという事実を突きつけられるのはショックだった。

 わたしは生みの母の顔を知らない。曲がりなりにも母と呼べるのはこの人だけだったから。

 母は美しく整えられた指先で口もとを覆った。


「よく覚えておきなさい。秋野家の娘は華絵はなえひとり。あなたのことはどうとでもしていいと石山さまにお伝えしています」


 ふふふ、と楽しそうに笑う母。

 華絵はわたしの年の離れた姉だ。もう結婚していて、姉の夫がいずれ父の地盤を継ぐことになっている。

 大切なのは実の娘だけ。わたしは秋野家の恩人に差し出された生贄なのだとはっきりと理解した。


「お世話になりました……」


 無意識にあいさつをする。自分の発した言葉がぼんやりと遠くから聞こえた。

 わたしは卒業証書もコートも置いたまま立ち上がった。ふらふらと歩き、屋敷の裏門から出る。

 寒くて鳥肌が立った。セーラー服だけでは凍えてしまいそうだ。

 でも、どうでもよかった。

 わたしにはもう未来なんてない。秋野小春は今夜、石山小春という別人になるのだ。


 嫁ぎ先の石山家は秋野の屋敷から徒歩で一時間以上かかる。

 旧家の並ぶ住宅地を抜け、トラックの行きかう国道沿いに進むと大きな橋があった。その橋の中ほどで立ち止まる。

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