祠再襲撃

再生

祠襲撃の話

 ほこら襲撃の話を妻に聞かせたことが正しい選択であったのかどうか、僕はいまもって確信が持てない。多分それは正しいとか正しくないという基準では推しはかることのできない問題だったのだろう。つまり世の中には正しい結果をもたらす正しくない選択もあるし、正しくない結果をもたらす正しい選択もあるということだ。このような不条理性――と言って構わないと思う――を回避するためのイニシアティヴが僕たちの側にとき、僕たちは結果がふりかかってきて初めてということに気付いて、それからを判断するのだろう。僕が祠襲撃の話を妻に聞かせたのは、ちょうどそんな選択の一つだったに違いない。


 僕が妻の前で祠襲撃の話を持ちだしたのは、ほんのちょっとしたなりゆきからだった。その話を持ちだそうと前もって決めていたわけでもないし、そのときにふと思い出して「そういえば――」という風に話しはじめたわけでもない。僕自身その「祠襲撃」という言葉を妻の前で口に出すまで、自分がかつて祠を襲撃したことなんてすっかり忘れてしまっていたのだ。


 そのとき僕に祠襲撃のことを思い出させたのは堪え難いほどの金縛りであった。時刻は夜中の二時過ぎだった。僕と妻は八時に夕食をとり、 十時にはベッドにもぐりこんで目を閉じたのだが、その時刻にどういうわけか二人とも同時に目を覚ましてしまったのだ。すると体がぴたりとも動かない。首を回すこともできず、僕はただ安アパートの木板の天井を見ているほかなかった。それは理不尽と言っていいほどの圧倒的な金縛りだった。


 僕は昔から霊障体質で深夜に金縛りにあうくらいはしょっちゅうだった。ふた月に一度は何らかの霊障にみまわれる。物が飛んでくる、道祖神が点滅する、夢枕に見知らぬ幽霊が立つ。問題は僕だけでなく妻まで金縛りにあっているらしいことだった。僕たちはその二週間ほど前に結婚したばかりで、いちおう自分の体質については話をしていたものの、こうして深夜に金縛りにあったことはまだなかった。


「私の塩が効かないなんて」

「きみも?」

「不覚ね」


 妻は神社の娘でお祓いにも通じていた。僕の霊障体質を聞くとにっこりと笑ってお守りを渡し、寝室の四隅に実家の清めた塩を盛り、北東の壁に鬼の面を吊るした。結婚し、同居を始めてからの二週間、確かに霊障も無く穏やかな暮らしが続いていた。僕たちは朝一緒に家を出て、夜には家に帰り、先に帰った方が夕食を作り、後に帰った方が風呂の掃除をした。


 その間一度として物が飛んだり、道祖神に睨まれたり、幽霊に夢枕に立たれることはなかった。それは単に偶然だったのかもしれないが、その夜、妻までも僕の霊障体質に巻き込まれていることに、僕は強い悲しみを抱いた。それまで霊障体質はもっぱら僕だけに見えたり影響したりするもので、カフェのテーブル席に友人と二人で座った時、僕の隣に立つ頭の潰れた幽霊が血の付いた指で僕のアイスコーヒーを掻き回して黒い水面を波立てていようと、友人はその様子に――つまり幽霊はおろか波立つアイスコーヒーにも――気付かないようだった。妻にまで僕の霊障体質が及ぶのは、理不尽といえばまさにそのもので、僕はそれまで決して経験したことのない悲しみを感じた。


「なんか、巻き込んでごめん」

「何言ってるの、承知で一緒になったんだから。相和あいわし、相敬あいうやまい、苦楽を共にしない夫婦というものは、どこか間違っている」


 妻のそのような意見(ないしテーゼ)はある種の啓示のように僕の耳に響いた。片眼を動かして壁に掛けた時計を見ると二時十五分だった。丑三つ時だ、と僕は思った。

 不幸中の幸いはこうして目と口が動くことだった。金縛りにも色々ある。右腕だけ金縛られることもあれば、足の指から舌の先まで動かないもの、布団の上から幽霊にのしかかられるもの、幽霊が天井に張り付いてこちらを睨んでいるもの。今回の金縛りはこうして話ができるだけ、金縛りの中でもやや軽いものだった。話をする相手がいることにも救われた。

 かつてこれと同じような経験をしたことがあると僕が思ったのはちょうどそのときだった。僕は今と同じように金縛られていたのだ。あれは――

「祠襲撃のときだ」と僕は思わず口に出した。

「祠襲撃って何のこと?」とすかさず妻が質問した。

 そのようにして祠襲撃の回想が始まったのだ。

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