長い一日の始まり

 その日、杏の様子がどこかおかしかった 。


 彼女の様子を気に掛けながらも、幸隆はそれを追及することもなくその日の探索を終えた。


 「五階層でも何とかやっていけそうで安心したわ」


 その日の探索は狼たちのいる四階層からさらに下の階層へと足を進めて五階層へと二人は挑んでいた。


 「敵もだんだん強くなってきて一人だとヘマしそうで怖いけどな」


 「まず二人だけでもうここまで来てること自体が異常なんだけどね」


 幸隆のその成長スピードに彼女も驚いている。


 ベテランの探索者が運良く初めからついているとは言え、新人の探索者が一週間もせずに五階層へと到達し、余力があるとは言えずとも、杏の足を引っ張ることなくしっかりと結果を残していることがどれだけ人並み外れたことをしているか、この男は理解していない。


 しかも、彼女の目から見れば、敵を倒す度に貪欲に強くなっていっているようにも見えるほどだ。


 「このままいけばすぐにでも六階層に行けそうだけど……」


 幸隆の成長スピードを鑑みれば、後数日、五階層で力を付けることで六階層への挑戦も視野に入ってくる。


 「豚鬼オークなー」


 幸隆のやるせない声。


 それもそのはず、先日から続く六階層の異常と増え続ける女性探索者の失踪事件。


 この上層階層で珍しく起きたイレギュラーが未だに解決されず、力を認められていない探索者たちはそれ以降の階層への侵入を許可されずにいるからだ。


 幸隆のようにFランクに到達したばかりの探索者だけでなく、普段六~九階層を活動階層に設定している

F、Eランク探索者すらも立ち入りを制限されており、稼ぎに喘いでいる状態が続いていた。


 この事態を重く受け入れたギルド側もオーク討伐の単価と、事態収拾に対する報奨金の引き上げを決定。


 それに伴い多くのDランク探索者がその旨味の大きい依頼クエストを受注し、六階層は活発化するもそれでも解決には至っていなかった。


 「間違っても六階層に突撃しようなんて考えないでよ」


 じとっとした疑いの目で幸隆を見る杏。


 その目は睨んでいるといっても過言ではなかった。


 「俺も自分の命を捨てようなんて考えるほど馬鹿じゃねーよ」


 あっけらかんと返すその言葉と表情に杏も目をきょとんとさせた。


 「そんな意外そうな顔するなよ。五階層でこれだけ苦戦してるんだ。今の俺がさらにその下の階層で通用しないなんてのは俺が一番良く分かってる」


 杏の見てきた幸隆は、無茶ばかりの馬鹿だと思っていたが、よく考えて振り返って見ればスライムに尻もちをついて、肌を焼かれたくらいで、他は案外余裕を持って戦っていたように思える。それだって持前のスキルと怪力ですぐに攻略して見せたのだから、彼が不利の中戦ったのは、杏のいない中での不幸な白狼狼戦のみかもしれない。


 間抜けなオホ声事件は無視するものとする。


 彼はもしかすると彼我の力量差をしっかりと測った上で戦いに臨んでいるのでは?と彼女は幸隆の評価を少し改めた。


 二人がいつものように、不愛想な受付嬢に清算をしてもらい、報酬を受け取った。


 「六階層は今日もまだ解決されていないんでしょうか?」


 人が変わったように受付嬢に対してだけ丁寧な口調の幸隆が、イレギュラーの現状について聞いた。


 「申し訳ございません。現在も六階層は立ち入り制限区域に指定されており、Dランク探索者未満の方の立ち入りを制限させていただいております」


 これもまた聞きなれた回答だった。


 制限というものの、実効的な制限は存在しない。


 強いて言うならパーティーの斡旋やギルド側が提供する情報やサービスの質が下がる事が危惧される程度だ。


 しかし、日本人探索者はそれらを嫌がるのかそれとも従順な国民性故か、ギルドの言うことには基本従う傾向にあった。


 「本堂様、お言葉ですが、少し探索ペースを落とされた方がよろしいかと存じます」


 新人の内に気合を入れて毎日のように臨む者もそう珍しくはない。


 しかしその結末もお決まりだ。


 自分達の疲労具合を正しく把握することに慣れていない者達は、じわじわと心身を侵す疲れとストレスに気付かずに命を落とす。気付いた時には既に手遅れだ。


 幸隆の臨む姿勢は気張った新人探索者たちのそれだった。


 「いやー忠告はありがたいんですけど、生活が少々……」


 苦い顔で幸隆が答える。


 最近ようやくフルタイムの仕事としては悪くない収入を得てはいるが、購入したばかり防具のメンテナンス代やこれから必要になるかもしれない武器の購入費用なんかを考えたらこれでも心許なかった。


 「心配してくださってありがとうございます」


 照れくさそうな幸隆に受付嬢は無表情で返す。


 「……別に命の心配をしているわけではございません。勘違いされないようにお願いします」


 「すみません……」


 無表情どころか少し険を感じてしょんぼりと謝った。


 受付嬢の塩対応に気落ちしている中、隣の杏が妙に静かな事に気が付いて隣を見ると、何かを思いつめたような表情を浮かべた彼女がそこにはいた。


 今日一日何かに焦るような、そんな印象を彼女に対して抱いた幸隆ではあるが、そこに踏み込むような真似は彼はしない。


 受付嬢もその様子に気付いたのか、杏に対して言葉をかけた。


 「理由は分かりませんが、豚鬼オーク達は女性を執拗に狙うという情報が入っております。瀬分様の実力は私共も理解をしておりますが、くれぐれもおひとりで無茶をされることのないようにお願いいたします」


 「心配しなくてもそんな無茶はしませんよ。ありがとうございます」


 「いえ、当然のことです」


 「ん?」


 穏やかな言葉のキャッチボールになにか差別的なものを感じたが、それを言う雰囲気にない。


 二人は今日の成果を受け取りその場を離れた。


 「あんた、あーいったが好みなの?」


 「なんだいきなり」


 杏からの突然の質問に首を傾げる幸隆。


 「妙に丁寧な口調だから、私からしたらキモくって」


 「失礼だな」


 幸隆とて、普段との口調の違いに自覚はあるが、そこまで言われる筋合いはない。


 「受付嬢といえば、取引先のフロントだろうが。社会人としては当然の対応だ」


 これでも数年間サラリーマンを熟した幸隆だ。それくらいの社会性は養われてある。


 「あんたの口からそんな当たり前の事が聞けるなんて思ってなかったからてっきり気のある相手にはいつもそんな感じなのかと……」


 「俺をどんな人間だと思ってんだよ」


 口に手を当てて驚いて見せる彼女に自分がどんなアウトロー染みた人間に見えているのか気になってしまう。


 「それはそうとして、彼女が言っていたように明日くらいは休んだらどうなの?今日の収入も悪くなかったし、休養を挟みなさいよ」


 「これでも体はぴんぴんしてんだけどな」


 「自分の不調なんて場数踏まないと正確には分からないものよ。私も休むから明日は家でおとなしくしてなさい」


 つい先ほど受付嬢にも注意された幸隆はそれが探索者としての常識で、ベストな判断なのだと理解した。


 どこか納得したような幸隆のその表情に杏は満足したのか、一つ頷いて踵を返した。


 「じゃあね」


 二人はその場で別れた。








 翌日、ギルド内フロント、受付前。


 「まぁ来ちゃうんですけどね」


 目の前に現れた幸隆を前に、呆れて溜息を吐くいつもの受付嬢。


 「忠告はしたはずですが」


 「ここ最近ずっと元気なもので、休むのは金銭的にもう少し余裕ができてからにしようかなと。そっちの方が精神的にも気が休まりますし」


 幸隆にしてみれば、戦闘で負うストレスよりも、近い将来の支払い問題の方が精神的負担が大きいようだった。


 「私としては別にどうでもいいですが、そんなに急いで強くなろうとしない方がいいですよ」


 「今の稼ぎだとちょっと不安なもので……すみません」


 忠告を無視したことで少しばつが悪い。


 「瀬分様からは今日は休養日だと聞いておりましたので、素直に忠告を聞いてくれたのかと思っておりましたが……まさか彼女からのアドバイスまで聞き入れないなんて、先が知れますね」


 「おうふ、そこまで言いますか」


 先達の言葉を無視したのは確かにその通りだが、幸隆からしたら本当に大した疲労が無く、むしろ体の内からエネルギーが沸いてくるような元気有り余る状態であるため、心配はないと言いたいがそれを証明するのは難しい。


 「ん?というか杏が来てるんですか?」


 「えぇ、朝早い時間におひとりで。浅い階層で運動程度にと言って」


 時間は既に正午を回っている。


 杏の実力で、浅い階層を運動程度にという割には少々時間が経ち過ぎているように思う。


 幸隆がそこに疑問を持って受付嬢の顔を見る。


 彼女もその不自然さには気づいているはずにも関わらず、それを口にも顔にも出すことは無い。


 「とりあえず、入場許可をお願いします」


 なにか分からない焦燥感を胸に抱きながら、今日もダンジョンへと足を踏み絵れた。


 長い一日が始まる。

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