第4章ー2 【オトキさんとの出逢い】その1
【オトキさんとの出逢い】
東京に出てきたけれど、僕ら位の年齢の3人組に、持っていた学校鞄を無理やりむしり取られた。後を追いかけたけど、彼らの逃げ足は速かった。これから暫くやっていくお金があの中には入っている。家出のポット出と睨まれたようだ。
元のベンチに戻り、行く当てのない空を見ていると、「お兄ちゃん、どないするん?」と女性の声がした。先程のいきさつを見ていたらしい。
「行くとこないねんやろ…、一晩泊めてあげるわ。おいで」 連れて行かれたとこは、東京駅に近い有楽町と云うとこで、そこのガードを少し越した所に、アパートがあった。
「ご飯食べてないんやろぅ」と言って、うどんを作ってくれたが、なんと、辛いだけのうどんであった。後からうどんを食べる機会があったが、彼女の味付けが悪いわけではなく、関東のうどんの味は、ただただ、ダダ辛いのであった。
〈オトキさん〉は〈楽町のオトキ〉といって、この界隈ではちょっと有名な姉御肌の当時〈パンパン〉と呼ばれていた「街の女」だった。(パンパンは侮蔑の言葉だが、夜の女よりはいい。このころ流行った〈ブギウギ〉と同じ感覚で捉えてほしい。時代を表す言葉だ。僕が接した彼女らは、屈託のない明るさと、逞しさで生きていた。僕には懐かしくもほろ苦い言葉だ)
オトキさんは、背は高く、色は白く、鼻は高く、目は少し切れ長で、真っ赤な口紅が引かれ、当時の日本女性を菊に例えるなら、さしずめ、〈ダリア〉といったところだろうか。
オトキさんの部屋はサッパリと片付けられていた。部屋は2間あり、奥の部屋にはベッドと鏡台が置かれ、オトキさんの洋服が吊るされている。入った手前の部屋は、水屋と卓袱台が置かれただけの何の飾りもない部屋だった。
座布団を出し、お茶を入れながら「家出してきたんやろぅ。駅に着いた早々、持金取られてザマーないね。何処からきたん?」
「大阪からや」僕がオトキさんに、喋った最初の言葉だった。
「何で飛び出してきたん?」。僕は家出の直接の原因になった妙さんの件を話し、父が戦争で金儲けをしている事、鉄拳制裁のことを付け加えた。
「後の件は別にして、そらあかんわな。あんただけやない、その女の子もどんなに傷ついたかしれん。お父さんに焼きを入れんといかんね」
「帰りの旅費ぐらい今すぐあげられるけど、出てきて直ぐ帰るでは、男の面子が立てへんわな。暫く置いてあげるからここに居り」と言ってくれた。
オトキさんの住んでいるアパートは2階建で、1階に8部屋ある。北側の廊下に面して共同トイレ、共同浴場がある。共同炊事場があり、井戸端会議場を兼ねていた。オトキさんは2階に住んでいて、南側の奥の部屋は陽が当たるのだった。
オトキさんの仲間が2階を全部借りている。いわばパンパンの巣、いや女子寮とでも言うべきか。1階には所帯持ち家族や、独身の勤め人や、職人さん等が住んでいる。1階と2階では別世界みたいなものだ。
大家さんは5分ぐらい離れた所に住んでいる50歳ぐらいの女性だが、アパートの2階の管理をオトキさんに任せている。入る人の選定、家賃の徴収、揉め事の解決。オトキさんへの信頼は厚いのである。家賃が払えない月にはオトキさんが立替ることもあるらしい。大家さんは契約のときだけ立ち会う。煩わしい事に首を突っ込むことなく済んで、大家さんは大助かりなのだ。
オトキさんも、自分が入れたい人を優先して入れられる便がある。住宅事情の悪い時代だ。アパートではオトキさんの権限は2階だけに収まらず絶大だ。夜遅く、酔っ払っては大声を出す一階のある住人は、オトキさんに叩き出された事があったらしい。
オトキさんの部屋は仲間の集会場みたいなものだ。相談があると云っては誰かが来ていたり、誰かの誕生日だと云ってはパーティが開かれる。僕もその中に入ったり、席を外す時はオトキさんのベッドに行かねばならない。オトキさんの匂いなのか、香水の匂いなのか、甘酸っぱい、いい匂いがする。
仲間の皆には「私の弟やから、悪い事は教えないように」と紹介した。
「あら、童貞の味見をしょうと思ってたのに」と誰かが言ったので、僕を除けて、皆笑い転げた。
オトキさんらは他に一軒家を借りていて、そこを職場としている。だからアパートでは客を取らない。酔って遅く、それらしき男と帰ってきた時のオトキさんは厳しい。仲間で一番年少のハルさん(自称18歳)が東北訛りで皆教えてくれる。自分より年少が来たのが嬉しいらしい。僕は見習いの半玉扱いだ。
「僕は男やで」と言ってやりたかったが、自分の後輩が出来たのがやたら嬉しいらしい。共同炊事場でもいつも手伝ってくれる。
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