【野球チームの結成】

【野球チーム】


 二人が「都会の子だなー」と思ったのは、皮のグローブを持って、石田の家の広い庭で、キャッチボールをやっていたのを見たときだった。皮のグローブは「バチーン!」といい音がしていた。僕の布製ではあんな音はでない。

「勝治も入るか」と、真一がもう一つあった皮のグローブを投げてよこした。真一の投げてよこす球は正確であった。達也の球は、左右ばらつくが、真一より数段早かった。

 そこへ真知子先生が外から帰ってきて、自転車を止めながら「私も入ろーかな」と言ったので、「先生、野球やれるんけ」と僕が訊くと、「私、これでも速球派なのよ。兄の相手をよくさせられたわ。兄は中学校のとき甲子園に出場したのよ」と言った。

 真一のグローブを取り上げて「勝治投げるわよ!」と、僕の胸元めがけて投げてよこした球は、達也以上の速さで、数球とも見事なストライクであった。先生の投げたボールは、僕のハートに届いた。僕の夢は「野球選手になって甲子園に行く」ことになった。母の言う夢に出会ったのである。少年の夢はたちまちにめぐり、ユニホーム姿で僕は投げ、スタンドでは真知子先生が僕に声援を投げてよこす。これなら想像出来た。


 一度、真一、達也を入れて三角ベースの試合をやった時、二人のゴロさばきは抜群に上手で、僕も村のみんなも、見とれるほどだった。

「どないしたら、そげーに上手くなれるん?」と訊くと、クラスにチームがあるという。週に1、2回は練習があって、先生が教えてくれるとのことである。その先生が真知子先生のお兄さんだった。表向き、野球は敵国性スポーツとされていたが、野球熱の盛んな広島では大目に見られていたのだ。

僕も二人に負けないぐらい上手になりたかった。そして皮のグローブが欲しかった。その夏は村の連中とは遊ばず、二人にミッチリ守備を習った。夏の終わりには二人に、「真一は僕らのチームでもセカンド2番ぐらいで通用する」と言われるぐらいに上達した。こうして、僕らの4年生の夏休みは終わった。


 真一も、達也も帰ってしまい、2学期が始まったが、僕の心の中は空っぽで、授業も上の空で、何もする気が起きなかった。そんな僕を見て、真知子先生がある日、「勝治、放課後残って」と言った。このところ宿題をしていない日が多く、てっきり、それを叱られると思っていた。

トレパン姿で現れた先生は、グローブを2つ持ってきて、「勝治、キャッチボールをやろう」と校庭に出て行った。

「勝治、野球のチームを作って、真一たちと試合をやったら!」とボールを投げながら言った。先生の言葉に僕は乗った。試合場所を真一たちの学校にすれば、ほとんどが、広島市内に行ったことがないから、広島行きで釣れば、チームは作れるかもしれない。

「先生、試合場所は広島の真一の学校のグランドやで」と言うと。「兄に伝えておく」と先生は約束してくれた。


 それからの僕は「チームを作って広島に行く!」が目標になった。まずはチームのメンバー作りだ。〈しんちゃん〉は身長も高く長距離砲だ。だが、ピッチャーでなければ嫌だと言う。石をなげる時のようなコントロールはない。〈しんちゃん〉の好物は栗饅頭だ。店の売り物を5個もやってフヮーストにした。

〈あっちゃん〉の鈍足はなおらない。取れる範囲のフライは確実に捕ることだ、ボールの来ないライトだ。

あと6人…。そうだ直ちゃんに声をかけてみるといい、直ちゃんは無口でおとなしい。父は「お前ら4人の中では一番根性があって、面構えがいい」と言っている。鍛冶屋のお父さんの手伝いをしなければならず、あまり一緒に遊べなかった。母屋から離れた掘っ立て小屋同然の仕事場は、夏は暑く、冬は吹きさらしの風が入ってきて寒い。学校から帰ると、直ちゃんはそんな中で手伝うのだった。


母には「あまり直ちゃんとこには行きなや」と言われていた。「何故か」は言わなかったが何となく僕はわかっていた。気候のよい頃には、直ちゃんのお母さんは何時も浴衣姿で、敷かれた布団の上に座っていた。冬は上に袢纏をはおり、ガラス戸越しに姿が見られた。目が合ったときだけは軽く頷くように挨拶した。

胸の病だと村の人が話していた。今年の4月に直ちゃんのお母さんは亡くなった。たまに、暇を貰って僕たちと一緒に遊ぶときの直ちゃんは、嬉しそうだった。一度、野球に入ったとき、打っても守っても上手だった。

「直が最近寂しそうでな、勝っちゃん、又さそって、遊んだっておくれ」と、直ちゃんのおじさんは言っていたから、声をかけてみよう。


 クラスで野球が出来て、練習にも出てこれそうな奴3人。農家の奴はダメだ、これから秋の刈り入れが始まる。猫の手でも借りたいぐらいなのだから…。僕と仲良しの中西鉄也は、ピッチャーで使える。鉄也は運動神経がクラスでも1番で、走っても早く、相撲も強かった。家は農家だが、大きな石垣の家に住んでいる。

小さいがすばしこく、守備の上手い野球小僧の阪本喜一。喜一は木登りが上手だ。枝の先に残った柿を上手に取ってしまう。どこそこで野球をやっていると聞くと、隣村まででも出かける。

「僕はショートやろ」当然と言った顔で鼻の先がぴくついた。そうしたかったが、〈あっちゃん〉の鈍足をカバーするにはセンターは喜一しかいない。「ほいじゃー、入らんわ」とか、ごちゃごちゃ言っていたが、何とか頼み込んで了承さした。

〈しんちゃん〉と仲がよかった〈やまかん〉こと、呉服屋の山本勘平の名が浮かんだ。名前からのあだ名であるが、〈やまかん〉は試験に出そうなとこしか勉強しない、試験で迷うとエンピツを転がして決める。それでも成績は真ん中の上を守っているところからも来ている。

試合のとき、「抜かれた」と思ったら、そこに〈やまかん〉が守っている。「あれもやまかんか?」と僕が言うと、「6年のチームの打者の打球方向を帳面につけているんや」と恥ずかしそうに答えた。今で言う「インサイド・ベースボール」をやっていたのだ。


チーム作りの噂を聞いた〈えのやん〉が、「俺も、入れてくれや」と頼んできた。同学年だけのチームを作りたかったが、致し方ない。僕がリーダーで、リーダーの言う事を聞くと言う条件でオッケーを出した。

〈えのやん〉とはこんなことがあった。〈えのやん〉は6年生も持て余す名うてのゴンタである。僕が2年のとき、〈えのやん〉が、子分の三郎と、大杉の〈しんちゃん〉を連れて、橋のたもとで僕を待ち伏せするようになった。僕とタローは避けて、一本川下の橋を通って帰った。田舎の橋と橋との間は遠い。

ある日、我慢が切れてタローと共に突進した。気がつけば、欄干とてない田舎の小橋だが、3人とも橋下に落ちて、〈えのやんは〉骨折した。タローに足首を噛まれたようだ。それからタローを見たら、「あっちへ行け!」という顔をする。僕には手出しをしなくなった。〈しんちゃん〉も家来をやめた。

野球がやりたくて仕方がなかった〈えのやん〉は、素直に応じて、「野球で達也をコテパンに言わせたる!」と息巻いた。〈えのやん〉のパワーは捨てがたい。4番は決まった。

あと一人が出てこない。「そうや、川傍の菊チャンや。3角ベースでは何時も外野を守らせている。〈あっちゃん〉より上手い。何より僕の言う事なら何でも聞いてくれる。男だけで考えるから足りないんだ。〈この世は男と女〉健吉爺さんのセリフだ」。こうして悶着はあったが、何とか9人が揃った。


 正式な練習は週2回、学校のグランドで、それ以外にも集まれる者で神社の境内で練習。何しろ広島の都会チームに勝つには、練習に次ぐ練習しかない。「打倒広島!真一、達也!」が合言葉になった。本当のところは、皆、広島に行きたかっただけかもしれない。厳しい練習にやめたくなった連中もいたが、「えのやん」の睨みのおかげでこぼれる者もなかった。

学校での練習では、真知子先生がノックや、野球書を参考にコーチをしてくれた。白いトレパン姿の先生を入れた練習はどんなにきつくても、僕には天国だった。

キャチミットや、捕手の面や、バット等、道具の不足した分は先生が何とか調達してくれた。お兄さんが使っていたという皮のグローブも3つ寄付された。真一からは僕に、「お古で悪いが」と手紙を添えて、皮のグローブと古いボールが何個か送られてきた。


 それでも、皆に皮のグローブが行渡ったわけではない。布製のグローブは綿が中に入っていて、ボールが当たる真ん中だけに丸く薄い皮が貼ってある。ボールが当たると痛いし、綿を厚くすると捕りづらい。その厚さの調節が微妙なのだ。その布製のグローブでもM町まで買いに行かねばならなかった。

 菊チャンは自分でミシンを踏んで作ったグローブを持ってきた。サードを守らすには、幾らなんでも可哀相と思ったのか、野球小僧の喜一が自分の皮グローブと交換した。

僕らが練習に熱を入れていないようなとき、菊ちゃんは「あんたら、そんなんで、広島に行けると思っちょるん!」と皆にカツを入れた。広島に一番行きたかったのは菊ちゃんだった。大人が言っている『デパート』なるものを何としても見たいのだった。


 寒い冬も皆文句も言わず、練習に出てきた。戦時下といえ、熱心に打ち込む子供たちを、大人たちは大目に見てくれた。たまに練習相手に6年生がなってくれた。これも〈えのやん〉の口利きであった。

6年生に勝てるようになったら、真一、達也のチームに近づくんだと、真剣に向かっていった。一段大きい6年生には中々勝てなかった。僕は2番セカンドで〈送りの勝治〉に徹してバントの練習、〈四球の勝治〉として選球眼を鍛えた。

年が明けて昭和20年3月、6年生の送迎試合を行った。これに僕たちは2対1で遂に勝ったのだ。9回裏、菊ちゃんに出した〈スクイズ〉のサインが見事的中して決勝点になった。応援していた真知子先生の方を見て、僕は得意満面であった。「打倒!広島」は近くなり、僕たちは〈えのやん〉をのけて5年生になった。


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