真一・達也との交流ー2

石田家の家


 ある日、石田の家に、3人は招待された。庭先までは入った事はあるが、家に上がったことはなかった。門を入ると玉ジャリを敷いた広い前庭があり、玄関先には例の孔雀小屋があり、いつもの黒塗りの自家用車がその横に鎮座している。庭の東側が酒蔵になっていて、軒先まであろうかという大きな酒樽が何個も置いてあった。

この黒塗りの車が動いたのをトント見たことがない。当主が通う役場は石田家の裏手にあり、裏口を出ればすぐである。黒い車が土埃を上げて走っていると思えば、バス会社のハイヤーの方であった。

母屋の玄関を入ると、暗いたたきが両座敷を中にしてズートあり、抜けると中庭があり、この中庭を囲むように2棟の離れがある。離れと言っても普通の家1軒分はある。2棟の西側の端が真一の部屋になっていて、庭から上がれるようになっている。

真知子先生が子供時代に使っていた部屋だ。今は夏休みに来る真一のための部屋で、いないときもそのままに置かれている。真一の部屋に入って何より驚かされたのは、昆虫の標本であった。見事な標本が、部屋の中に6つも飾られていた。


「これ全部、真一が作ったんかぁー!」と、思わず〈あっちゃん〉が声を上げた。僕も、〈しんちゃん〉も同じ思いで目を見張った。

「うん、こっちにきて作ったやつや。広島の家にもあるんやで。だいぶ集まったんやけど、クワガタが少ないねん。大きい奴がないねん」と真一が答えた。すると〈あっちゃん〉が「大きいクワガタがいてるとこ知ってるでぇー」と言った。さっそく皆で明日そこへ取りに行く事になったが、〈あっちゃん〉の言葉が嘘でないことを願った。

 真一はすごく嬉しそうな顔になって、〈ファーブル〉とかいう昆虫記の本を持ってきて、熱心に説明しだした。少し聞いていたのは〈あっちゃん〉だけである。村の俺たちにとって虫は珍しくもおかしくもない。

 それより真一の部屋の向かいに見える、窓が開け放された部屋が気になった。白いレースが被せられたピアノが置かれ、部屋の主は絵を描くのかイーデルが見えた。その向こうに水玉模様のワンピースが架かっているのが見える。

「あの部屋は真知子先生の部屋か?」と真一に尋ねたかったが、何故か言葉にならなかった。真知子先生の部屋が見えるとこで暮らしている真一が、羨ましかったのだ。


 虫取りに3人で出かけたのはよい。〈あっちゃん〉の言葉も嘘でなかった。クワガタは真一が喜ぶほどの大きさだった。〈あっちゃん〉を除いて皆、漆にかぶれたのだった。僕らはすぐ治ったが、真一はそこらじゅう掻きまくったから大変、赤い発疹を出した真一の顔は、美少年どこへ行ったという顔であった。見舞った僕らは思わず笑ってしまった。

 こんな事もあったりして、この夏で僕たちはすっかり仲良しになり、真一が帰ってしまった後は、暫くポッカリと心の何処かに穴があいたようで、〈しんちゃん〉や、〈アッチャン〉との3人の遊びが急につまらなく思え、また早く、夏がやってこないかと思った。


 次の年、夏休みが来て、真一がやって来た。今度は一人でなく、広島で同級生だという大石達也という子を連れて来た。最初は、その子に真一を取られた様な気持ちだったが、少年には2日も一緒に遊べば、そんな垣根はすぐに取り払われる。達也は身長も高く、腕力もあって、村のごんたくれ〈えのやん〉と喧嘩して、こてぱんに、やっつけた。真一の保護者の地位を僕は達也に譲った。

この夏、3人は親しくなり、二人は僕の家にも泊まりで来きたりした。母は普段使わない2階に蚊帳をしつらえて、布団を敷いてくれた。便所が階下で遠かったので、2階から3人でオシッコの飛ばしっこをしたが、達也が一番遠くまで飛ばした。

真一が「水鉄砲の原理や、筒が一番長いのが飛ばせるんや」と言ったので、二人は達也のを見ようとしたが、部屋の明かりの影になって、肝腎なモノはよく見えなかった。


 蚊帳の中はどうしてして親しみが2倍にも、3倍にも感じられるのだろう。蚊帳の中で、真一や達也は広島の事を話してくれた。市街には路面電車が走っていること。学校の生徒数は田舎の比でないこと。真一の家の酒蔵は石田の家の倍ぐらい大きいこと。達也のお父さんは呉の造船所の設計技師だということ。達也は5人兄妹で3番目だということなんかを知った。

一番困った事は、真一に「勝治の夢は何?自転車屋を継ぐんかぁ?」と訊かれた事だ。真一の夢は、「達也のお兄さんの京都の大学に行って、昆虫や植物を勉強して博士になる」ことで、二番目の夢が、「野球選手になって達也と一緒に甲子園に行く」ことだった。

達也は「父のような技師になって、でっかい軍艦を造ること。タイガースの藤村みたいに職業野球で野球をやるんもええなー」と話した。


 将来の夢?考えた事もなかった。明日、誰と何をして遊ぶ。3角ベースか、魚釣りか、魚釣りなら何処の池がよい?そんな事しか考えなかった。将来、自転車屋?自転車屋は父がやるもので、僕と関係あるものとは思いもしなかった。どんな大人に?考えた事もなかった。急に真一や達也が大人ぽく思えて、自分が田舎もので、幼く思えてしょげてしまった。

「勝治は学校の先生がええと思うでぇ」と真一が言った。「せんせい?」先生になって、真知子先生と職員室が一緒のところを想像したが、先生は大人だが、背広を着た僕は、子供のまんまで、ズボンが引きずって袴のようであった。思わず、「クス、クス」と笑うと、真一が「何がおかしいねん?先生ええと思うけどなぁー」と夢の話はそれで終わった。

どんな大人になっているか、夢で見ようと思ったが、その日に限って何んの夢も見なかった。「僕は大きくなったら自転車屋を継ぐんかぁ?」と母に訊いたら、何でそんなことを言うのか聞かれたので、昨夜の〈夢〉の話をした。母は笑って「そのうち、夢に出会えるから心配いらん…。あの子らと何時までも仲良う出来たらええねぇ」と言った。


  【祖父の家】


「僕のお祖父さんの家は座敷から魚釣りが出来る」と話したら、釣り好きの真一が興味を示し「いこ、いこ」と達也も誘ったが、達也は読みかけの本が面白いらしく生返事であった。

2人で出かける事にした。お祖父さんの家は石垣の上にある。石垣のある家はたいてい立派なのであるが、門もなければ、母屋もない。納屋があって、小さな離れ家がある。ここにお祖父さんは一人で住んでいる。村では〈谷のけんやん〉と呼ばれている。健吉爺さんとは仲良しだ。

石垣の上には小さな田がある。家の石垣の上に田んぼがあるのは僕のお祖父さんの所ぐらいだ。以前、醤油造りしていた蔵の跡だという。大きな蔵が二つもあったらしい。お祖父さんの先代が貧乏をして潰したと父が話してくれた。

 

 離れ家はオクド(煮炊きをするところ)がある土間と、10畳ほどの座敷があるだけだ。風呂は土間の奥にあり、便所は納屋の端にある。夜なんか小便に起きたときそこまで行くのが嫌で、たいてい、前の田んぼに肥やしをやることになる。

座敷の裏は直ぐ堀になっていて、裏の山からの水を集めて貯めている。飲み水は井戸があるが、風呂水や洗濯はこの堀の水を使う。又、この堀は石垣の下の田んぼの水やりにもなる。

秋には紅葉が風呂に浮かんでいて風情があったりするが、時には小さな蛙が蒸しあがっている時がある。よく見てから入らねばならない。堀には鯉や鮒がいて、この座敷から魚釣りが楽しめるのだ。

夏など日陰を探す必要もなく、サイダーをお盆において寝転がって、ウキを見張る。この話に真一は乗ってきたのだ。


 その晩は切り身の鮭を焼いたのと、お祖父さんの作った南京の煮つけで3人晩飯をした。縁側の外には蛍が飛んできた。お祖父さんは、真一に「名前は何ちゅうね?」と聞いただけで、後は何も言わず2合ほど入る徳利から、燗酒をちびり、ちびりとやっていた。

お祖父さんは、〈女子竹〉を切ってきて、筆を作っている。先代の時代には沢山の田畑もあったのだが、今は僅かな田と、この仕事で生計を成り立たせている。

仕事柄達筆で、巻紙を手にもってサラサラと筆を走らせ、「勝治、これを隣部落の誰それのとこに持って行け」といった調子である。「勝治、今晩は何が食べたい?」と云っては、フンドシ一丁になって、池に潜って鯉を手掴みして、洗いにしてくれる。まるで仙人みたいな暮らしぶりだ。


 蚊取り線香をたいて、蚊帳をして3人川になって寝た。お祖父さんは酔いが回ったのか直ぐに寝息を立てた。僕たちは小声で遅くまで話を交わした。その中で真一はこんな話をした。

「僕、好きな女子がおるんよ。同じクラスの子なんじゃけー、その子のこと考えたら胸がキューンとなって、最近、口も聞けのーなってしもた。勝治はそんな経験ないんか?」

「達也はどうやねん?」と僕が聞くと、

「あいつは、女の子のほうがほっとけへんねん」と真一は答え、「勝治はいてないんかぁ?」と言ったので、僕は、「子ではなく大人だ」とは言えなかったので、「そんなんおらん」とそっけなく答えた。

 裏の堀には丸い月が映っていた。夜中、2人揃って前の田んぼにせっせと肥やりをした。月明かりで真一の水鉄砲が見えた。「達也が来ないのが残念や」と言って2人笑い合った。

  帰りにお祖父さんは沢蟹をこんがりと煮たのと、池えびを佃煮状に煮たものを持たせてくれた。池えびは母の大好物だ。真一にも同じものを持たせてくれた。真一は座敷からの魚釣りが体験できて大喜びであった。お祖父さんは石垣の下まで見送ってくれ、真一に「何時までも、仲良うしてやっとおくれ」と言った。これが真一に言った二言目であった。


 もう石田の家に行くのに遠慮はいらなくなった。門を入った。「ナユルナタエソーゥレー」女の子が歌う声が聞こえて来た。「菜、ゆでるなそうだ」そんな歌あったんかいなぁ?と思って中庭に入って、先生の部屋の窓から覗くと、先生のピアノに合せて歌っているのは、真一であった。

先生は僕を見て「勝治も歌う?」と笑った。それはこんなことがあったからだ。この前、学校で歌唱の試験があったとき、「皆笑うから、歌わん。零点にしておいてくれ」と云ったら、先生が皆に「歌は心です」と云ってくれたので、歌った。横を見れば、皆が笑う前に先生が笑いを噛み殺してピアノを弾いていた。

「先生の嘘つき」と言って、僕は歌うのをやめた。その日帰りがけ廊下で会ったとき、「今日はごめんね」と先生が謝った。僕は恥ずかしくなって、走って帰ったのだ。

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