第2 第1章 国民学校初等科  プロローグ


 【プロローグ】


 昭和16年12月8日未明、ハワイ真珠湾攻撃をもって日本は太平洋戦争に突入した。僕が小学校1年のときのことだった。


 この頃の事を若い今の人たちは、空襲があり、食料不足の戦争一色を想像されるだろう。本土に空襲が始まったのは、硫黄島が陥落した昭和20年3月以降であり、それも軍備施設や、軍需工場のある一部大都市に限られていた。

 食糧不足はむしろ戦争が終わった後だった。田舎のほうでは何処に戦争があるのかと、いたってのどかな風景が広がっていた。戦争中なのだと知らされるのは、出征兵士の見送りと、白木の箱での帰還兵士を迎えるときぐらいだった。

 出征兵士の見送り風景も最近めっきり少なくなっていた。戦争に行けるものはあらかた行ってしまったからだ。農家は農作業をこなし、家業のあるものは家業にいそしみ、子供たちは遊びに明け暮れていた。単調な日常の日々が流れていたのである。


 鎮座していた黒塗りの自動車がついに動いた。去年、真一が広島に帰るときは、先生と真一はバスで駅まで行ったので、てっきりバス停での見送りだと思っていた。石田家に行くと、先生が「自動車で駅まで送るから、勝治も乗りなさい」と言った。

「先生、運転できるんか、免許持ってるんか?」と僕が訊くと、「もちろん!」と言って、エンジンをかけた。真一と、達也と、僕の3人を乗せ、車は石田の門を出て、家並みの狭い道を抜け、広いバス道に出た。先生はアクセルをいっぱいに踏み込み、前をのろのろ走る田舎のバスを上手に追越し、車は砂塵を上げて村を疾走した。

 窓を全部開けて、僕たちは歓声をあげた。女の人が車を運転するなんて考えられなかった時代、それも若い女性が運転するのだから、「何ごと?」と村の人たちは田仕事の手を休めて、疾走してくる車を見やった。

僕たちは村の人たちに手を振って応えた。あの日の快感は、鮮列に思い出せる。真知子先生の学校では見せたことのない表情、開け放った窓から入ってくる風の匂いさえ思い出せる。


 行くときは、触ったこともなかった黒塗りの自動車に乗れたことで興奮していたが、駅に真一と達也を見送ると急に寂しくなって、帰りの車の中で半べそをかきそうにぽつねんとしていたら、「勝治、二人ともいなくなって寂しいん」と、真知子先生は運転していた片手を離し、僕の頭を先生の方に抱き寄せた。先生の膨らみを頭で感じながら、「来年の夏にまた会えるんや」と思ったが、これが真一を見た最後になるとは、そのとき思いもしなかった。


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