17
翌朝、太陽が顔を出した頃にルチアたちは天使居館を後にした。マリアとマルタには笑顔で送り出してもらった。
魔術協会本部にはほとんど人はおらず、ブラウと、ノイアを揶揄いに来たフォイルが二人を出迎え、転移室へと案内してくれた。
「白に染まるのかと思ってたぜ」
道すがらフォイルがにやけた顔でノイアに言った。ノイアはにこりともせず答える。
「目立つ服を着る必要などありません、私は護衛ですから」
フォイルはノイアを気に入っているらしく、すげなくされてもそのにやけ面は変わらなかった。
転移室に来ると、ルチアは改めてブラウに頭を下げた。
「色々とご助力いただきありがとうございました、行ってまいります」
「いってらっしゃいませ、天使様。どうか貴方のために太陽が輝きますように」
転移台の点検を終えてノイアがその上に立つと、ルチアも乗った。ノイアが足先で魔術式をなぞって起動させる。
ブラウとフォイルに見送られ、ルチアたちは魔術協会本部から転移した。
目を開けると、視界は正常だった。前回のような気持ち悪さはなかった。
「具合はどう?」
「不思議と大丈夫だ、慣れたのかな」
転移台の置かれている広間は、協会支部の館内入り口のようだった。しかし、館内に人気は無い。
「魔術師たちもすでに非難しているようだね、外も静かだ」
二人は建物の外に出ると、あたりを見回すが、生活感の溢れる町並みにも人の姿は全く見つけられなかった。ただ不気味な静けさがあった。
「人は見当たらないね、避難は順調に進んだらしい。これでもし竜が洞窟の外へ出たとしても被害は抑えられるだろう」
洞窟を目指して移動し、町の外れに差し掛かったころ、二人の元へ梟が近づいてきて、近くの低木の上に止まった。一声鳴いて、真ん丸の瞳でルチアを真っすぐに見つめてくる。
「使い魔だ、避難誘導をしていた魔術師のものかもしれない」
ノイアが警戒の目を梟に向けながら言った。
梟がくちばしを開けると、青年の声で話し始めた。
「よくぞおいでくださいました、天使様。洞窟までご案内しますので、ついてきてください」
梟は羽を広げて飛び、空を滑るように進んでいく。
「いま、しゃべった……?」
ルチアが呆気に取られていると、ノイアが苦笑を零しつつルチアの背中を押してきた。
「単なる魔術だよ、梟自身の言葉ではない。ほら、先を急ごう」
ルチアたちは梟の後を追って進んだ。
町を出てしばらく歩くと、木々の向こうに大きな建物が見えてきた。王族の別荘である。
月の宮殿とは打って変わって派手な掻き絵が目立つ建物で、赤い屋根の色が鮮やかだった。付近は自然豊かで人が少なく、気候は温暖で過ごしやすいため、この別荘は療養のためにしばしば使われてきた歴史があった。
別邸から洞窟までは、儀式へ赴く王族のために道が敷かれていた。
整備された道の手前には金属製の門が設置されていたが、ノイアが王都で預かってきた鍵を使って開け放った。
ちょうどその時、道の向こうから天使を呼ぶ大きな声が聞こえてきた。
現れたのは二人の魔術師で、一方は薄青色のローブ、もう一方は臙脂色のローブを身にまとっていた。
現れた魔術師の一人を見た瞬間、ノイアはさっとルチアの前に進み出た。
「ノイア、どうした?」
「梟の使い魔でもしかしてと思っていたけど、薄青いローブの方、月の魔術師だ」
ノイアは口を動かさなかったが、ルチアにははっきりとその声が聞こえた。ルチアの耳にだけ届くよう魔術をかけているらしい。
「ああ、そうみたいだな。月の魔術師がどうかしたのか? 何か君との間に問題でも?」
「俺は伝統を重んじる古い一族からは特に嫌われている魔術師だよ? 月の魔術師からも目の敵にされていて当然だよ」
ノイアは軽い調子で言ったが、目はまるで笑っていなかった。おそらく他に事情があると思われたが、とても聞き出せそうな様子ではなかった。
「俺との話はさておき、奴らは裏で禁忌の儀を執り行う一族だ。近づかない方がいい」
「儀式って?」
ノイアは感情を完全に排した声で言った。
「魔力を多分に含んだ人の肉――魔術師の肉を食ってその魔力を取り込むんだ」
ルチアは口元に手を当てて吐き気をこらえた。胃のあたりが急激に重たくなっていた。
「俺が代わりに話すから、君は俺の後ろにいて」
いいね、とノイアが言った。ルチアはこくこくと頷いて、深呼吸をした。
気分が幾分か落ち着いたころ、二人組の魔術師がノイアの前で足を止めた。ルチアたちを案内した梟は月の魔術師の肩に止まった。
「天使様、と護衛殿。お待ち申し上げておりました。歩きながら話しましょう、この先が洞窟です」
臙脂色のローブを纏った青年の魔術師が言った。髪を短く刈り上げた精悍な面構えの青年だった。
一行は青年の先導で整備された道を進んだ。褪せた色の煉瓦の敷かれた道は、ほとんどまっすぐに洞窟まで続いていた。
「協会から派遣されてきたワイスと申します。こちらはアルカン。避難誘導が完了して、この町の住民は全員が街道を下って近隣の街を目指しております。結界については……」
ワイスから視線を送られたアルカンが頭を下げてから話を継いだ。
「今しがた洞窟の結界を見てまいりました。月の魔術師が三人体制で維持していますが、限界が近いです」
「やはり修復は無理だったと?」
ノイアがアルカンに尋ねた。
「無理でした、何しろ魔術黎明期の結界石でしたから。しかも内部構造をそっくり作り変える代物でした、おそらく内部は迷宮化していると思われます。結界は長く見積もっても明日の朝までしか持たないでしょう。それまでに片をつけていただくしかありません」
アルカンは淡々と言った。しかし、ルチアを後ろに隠したノイアに向ける視線の冷たさにはぞっとさせられた。
道を進むにつれ、洞窟の入り口が見え始めた。
ミラーレ神がいる洞窟は、大きな口を開けて待つ巨大な岩の怪物のようだった。洞窟の暗い闇からは禍々しい気配が染み出していた。
ルチアはこの気配と近いものを知っていた。魔性と相対した時に感じたものと同じだった。
「話し合いはできないかもしれない」
声を潜めて言えば、ノイアはそれだけでミラーレ神の状況を理解した様子だった。
入口のそばには三人の月の魔術師がおり、ルチアたちに気づくと安堵の表情を浮かべた。ルチアが声を掛けようとすると、ノイアが手で制してきた。忠告を忘れたのか、と言わんばかりの目をしていた。ルチアは労いの言葉を飲み込んで、すごすごとノイアの後ろに下がった。
「よくぞおいでくださいました、天使様」
三人の中でもっとも年かさの女が言った。おそらくほとんど眠っていないのだろう、すこぶる顔色が悪く、目の下の隈も濃かった。色素の薄さと相まって、目を離せば消えてしまいそうに見える。
「そちらは……」
女はノイアを見て目をすうっと細めた。敵意を隠そうとする様子もなかった。
「ノイアと申します。アルカン様より状況は伺いました。これより天使様が洞窟内に入られます、あとのことは私共にお任せを。皆さんも避難してください」
女は怪訝な顔をした。アルカンやワイス、その後ろで結界の崩壊を押しとどめている魔術師二人も困惑の色をにじませた。
「結界はどうするというのです、私共が離れれば遠からず崩れ落ちますよ」
「結界の維持は私の方で預かります」
ノイアの言葉に、空気がひりついた。
月の魔術師は結界魔術の第一人者であり、その矜持を傷つけられたと感じたのだ。それに加え、ある密命を負っており、洞窟付近が危険であってもやすやすと離れる訳にはいかなかった。
ノイアはそんな空気にはまったく気づいていない風に、気遣わしげに女に言う。
「皆様は結界の維持や避難誘導で疲弊されているご様子。万一ミラーレ神が洞窟から出てきた場合、真っ先に狙われる可能性が高い。ここで命を賭ける必要はないでしょう。一度安全な場所へ戻り、お休みになられるべきです。最悪の場合には、王都の結界を維持するための人員も必要になるでしょうから」
月の魔術師たちは黙っていたが、ワイスが安堵した表情を浮かべて言った。
「わかりました。ノイアさんの言う通りですね、最後に町の見回りだけして俺たちも避難された方々の後を追います。さあ、皆様も行きましょう」
月の魔術師たちは気が進まない様子だったが、すぐにでもここを離れたくてたまらないといったワイスに押されて共に去っていった。アルカンは最後までノイアと冷たい視線を送り合っていた。
ノイアは去っていく魔術師たちをじっとねめつけ、姿が見えなくなるまで動かなかった。ノイアは月の魔術師がひそかに狙っているものを知っていた。彼らは天使が亡くなった場合には、その亡骸を必ず王都へ運ぶつもりだった。
天使の遺体は神々やその眷属の遺体とは違い、死後も消えずに残る。神の奇跡の残滓をその身に宿したまま。それゆえ月の魔術師は天使の遺体を求めるのだ。
一行の姿が見えなくなってから、何も知らないルチアは言った。
「アルカンたちはここに残りたがっていたように見えたが、気のせいか?」
「気のせいではないけど、今の君が気にすることでもない。さあ、彼らのことはいったん忘れるといい。残された時間は限られている」
「そう言う君は避難しなくてよかったのか? 別荘を使っていいってお許しがあるんだから、そっちにいたっていいんだぜ」
ルチアの気遣いに、ノイアはわざとらしくため息を吐いた。
「ルチア、君が戦っているのに俺だけがこんな場所で優雅に過ごせるわけないだろう。結界の支柱役を買って出たからには働くよ」
「今さらだが、月の魔術師以外でも結界魔術はできるのか?」
「うん、問題ないよ。彼らが結界魔術の第一人者とされているのは、神の如くに崇める王都の大結界の管理者だからだ。何も彼らでないと結界が張れないという道理はない」
ルチアは洞窟を改めて見上げた。目には映らない薄い魔力の膜が洞窟をぐるりと囲んで辺り一帯を包み込んでいるのが感じ取れる。
結界は、喩えるならば教会の穹窿のようだ。それを支える柱に亀裂が入って不安定になっており、衝撃が加わればすぐにでも崩れそうだった。
ノイアは洞窟の入り口脇にある大きな水晶へと近づいた。水晶はノイアの腰に届くほどの高さがあった。表面に走る幾筋もの亀裂からは微かな光が漏れている。
ノイアは水晶に触れると、真剣な表情で結界を点検し、水晶へ魔力を流し込んだ。その途端、崩れ落ちそうな結界が的確に支えられ、崩壊が緩やかになった。
「当面はこれで大丈夫だ。魔力が枯渇しない程度に踏ん張るよ。ルチア、最後にこれを、中は暗いから灯りの代わりに」
ノイアは懐から折り畳まれた黒い紙のようなものを取り出した。それはルチアの手の上に乗った途端、ふわりと立ち上がって蝶の形をとった。艶めく黒い羽は光の加減で虹色にも見えた。
「いってらっしゃい、ルチア。健闘を祈るよ」
「ああ、ありがとう、ノイア。いってくるよ」
ルチアは洞窟の前で一度立ち止まり、深呼吸をした。
不思議と落ち着いていて、過剰な恐怖も侮りもなかった。ただ在るべき場所へ向かう安堵感があった。
ルチアは頭上の太陽を見上げた。気が遠くなる程遠い場所から届く眩い光は、ルチアの薄い色の瞳で直視しては痛みを覚える程だった。目にしっかりと太陽の光を焼き付けながら、これを最後にはしないと心に誓う。
それから、前を向いて洞窟へ向かって歩き出した。
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