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 王都――太陽の神の妹である月の神のおわす都にして、約百万人の人々が暮らす王国の中心地。

 数多の神々の頂点たる太陽の神、その信仰の総本山である中央司教座聖堂もこの都にある。

 大聖堂は王都のほぼ中心に位置しており、その敷地内に太陽の眷属たるルチアの住む天使居館があった。

 ルチアは家から家の屋根を渡り歩きながら帰っていた。出歩く時はたいてい屋根の上を歩いていた、地面から離れている方が不思議と落ち着くのだ。それから、上から人々の営みを俯瞰するのも好きだった。こうしていると道で誰かが困っている時にすぐ見つけられるのも良い点だった。

 王都は人と物がすべて集まっていると言っても過言ではない都であるので、通りは常に人の往来が激しい。王都の民、観光客、商人、巡礼者といった人々が道を行く。

 王都へ観光に来たと思しき少年が、屋根の上を歩いているルチアに気づくと、ぱっと笑顔を浮かべて手を振ってきた。ルチアも笑顔で手を振り返した。

 王国では、天使を見かけるとその日は良いことがあるという迷信が、まことしやかにささやかれていた。

 都を見下ろしながら歩いていると、大聖堂の高い鐘楼が見えてくる。ルチアは屋根から降りて、大聖堂前の大通りに着地した。しかし、正門からは入らず塀を乗り越えて敷地内に入った。そのまま人目を避けて木々の間を進み、人のいない道を歩き出した。

 この道は天使居館に続いているもので、ルチアとその身の回りの世話をする侍従二人しか使っていない。滅多なことで人は近寄らなかった。

 しばらく歩いていると、右手側に建物が見えてきた。ルチアの住む天使居館である。

 天使居館は大聖堂の敷地の東端にあるこぢんまりとした邸宅だ。白い壁が太陽の光を受けて輝いていて、採光のための大きな窓が三つある。そして、季節ごとに咲く様々な花を植えた庭を擁していた。今は菫、鈴蘭、雛菊といった花が庭を彩っている。

 庭を横目に小径を抜けて玄関扉を開けると、侍従のマリアとマルタがばたばたと駆けてきた。

 二人は瓜二つの顔をした双子で、天使居館の家事やルチアの世話をしてくれている。ルチアが五歳の時に王都へ来てからずっと一緒に暮らしていた。

 普段は落ち着いている二人が大慌てでルチアを出迎えたのだ、これはただ事ではない。

「どうしたんだ、二人とも」

「どうしたもこうしたもありません!」

「護衛が決まったと聞きました!」

「誰がそんな嘘を?」

「俺だよ」

 聞き覚えのある声が話に割り込んできた。先ほど城壁の上で出会った男、ノイアが軽やかな足取りで階段を下りてきていた。

 彼は城壁の上で会ったときにまとっていたローブを脱いでおり、すらりとした体の線にあった黒い服に身を包んでいた。黒い革手袋をしているので、よけいに腕が長く見えた。

 立て襟や袖には金色の刺繍が施されていて、ノイアが動くたびにきらきらと光った。どこか形式ばった印象を与えるその服は、刺繍がある以外は非常に簡素で紋章もついていない。どこかの組織の制服めいても見えた。

「嘘じゃない、勝負に勝つのはこれからだけどね」

 ルチアは驚きのあまりしばらくのあいだ言葉が出なかった。

 自信過剰な魔術師はこれまでもいたが、家にまで上がりこんできたのは彼が初めてだった。

 しかも彼はルチアより後に天使居館へ向かったはずだが、やすやすとルチアを追い越していた。

「護衛に決まったからここに住むというお話では?」

 マリアが慌てて尋ねると、ノイアは首をすくめた。ルチアは目を剥いた。

「なんだと? ここに住むなんて冗談じゃない」

「冗談じゃないよ、もう荷ほどきも終わったし。イレネウス大司教には許可も取ってある」

 ルチアは呆気に取られてしまって、また言葉を失っていた。

「天使様、いかがされます……?」

 マリアに声をかけられて、ルチアはようやく現実に意識が引き戻された。

「大司教様は本当に君にそんな許可を? 私たちは何も聞いていない」

「許可証はもらってある、見せようか? ここにも後で届くと聞いてるよ」

 大司教イレネウスの許可があると言われると、ルチアは強く出られなかった。イレネウスはルチアの後見人で、親代わりであった。

「一体なぜこんなことを?」

「君と仲良くなりたいから」

 嘘なら許さないぞという思いでノイアの顔をじっと睨んだが、彼はまるで動じなかった。

「鬼ごっこに勝てば君の護衛になれる、それが決まりだ。この点については全く異論はない、天使の護衛になるならその程度やってのけなくては話にならないからね。でも、それだけで決めるのは賛成できない。何しろ護衛は生涯に渡って君のそばにいる存在になる。仮に君と相性最悪な奴が君を捕まえられたとして、そんなやつと一緒にやっていけるか考えたことは?」

「ないね、なぜなら私は誰にも捕まらないからだ」

「すごい自信だね」

「君ほどじゃないさ」

 強がって言ってみせたが、ルチアの内心では混乱が広がっていた。

 これまで護衛候補とは仲良くならないよう気をつけていた。できれば嫌われるような態度を取ってきたし、優しくしないよう発言には極力注意してきた。全員追い返すのだから、候補者には護衛の席に未練を残させずにいたかった。

 だというのに、ノイアはその作戦を台無しにすることを言い始めた。ルチアは彼のことを恐ろしいとさえ思い始めた。何よりも、出会ったときから感じている予感が頭を離れない。

 ルチアはノイアに背中を見せないまま一歩下がって、後ろ手で扉の取っ手に手を掛けた。

「私はまた外出する。ノイア、君は私が帰るまでには荷物をまとめておけ」

「いってらっしゃい、おやつの時間にケーキを焼いておくから」

「な、なに? ケーキ?」

「うん、お近づきの印に」

 にっこりと言って、ノイアは手を振ってくる。ルチアは言い返したかったが、言葉が見つからなかった。先ほどから調子を狂わされてばかりだった。

 ルチアはノイアをきっと睨んでから扉を開けて外に出て行った。

 ぴしゃりと扉が閉じられたあと、ノイアは侍従二人に尋ねた。

「俺はルチアとうまくやっていけると思いますか?」

 マリアとマルタは目を見合わせて首を傾げた。

「お二人の会話の調子はぴったりでしたが」

「お菓子でご機嫌取りは悪くはないですが」

 肯定はされないものの否定もされない返答に、ノイアは満足そうに目を細めた。


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