第47話 宝箱を開けない(10/11)
自宅に着いてタクシーで帰る一馬たちを見送り、ドサッと自室のベッドの上に身体を投げ出した。
普段、アーリアは精霊に配慮して決して頼まないのだが、今日だけは杖を振って、料理や食事、風呂の支度まで、すべて任せてしまった。
天気は荒れている。一通り雑事を終わらせベッドに倒れ込み、強い眠気を感じて目を閉じる寸前。
背中をモミモミと、揉まれる感覚があった。
一匹の真っ白いしなやかなメス猫が、眠る場所を探すように、アーリアの小さな背中を揉んでいた。
「ボス……うぅぅ……」
「にゃくぁ……」
寝返りをうつと、ゴロンと彼女も転がる。そのまま猫特有の腕を織り込む可愛らしい座り方で、佇んでくれている。
アーリアは毛布を引っ張り上げて、頭まで自身の身体とボスをすっぽりと覆うと、ゴロゴロ喉を鳴らすボスと敷布団の間に、何も考えず顔を突っ込んだ。
尻尾が身体に絡む気配。落ち込んでいる時、必ず彼女がしてくれる仕草。
養母であるキミ子が老人ホームに入居してから、猫たちとは家族同然に過ごしている。
「失敗した。間に合わなかった。髪、なくなっちゃった……あ~あぁぁ……」
「にゃ…………」
心に
耳奥に響く優しい雨音。次第に寝息を立てて、アーリアはボスに顔を突っ込んだまま眠ってしまう。
ボスは逃げず。アーリアの短くなった髪を舐めて毛繕いして、ゴロンと横になって一眠りを始めた。
短い時計の針が、さらに2回転する頃。
「……ア、………………リー」
霞がかかるように寝入る意識に、呼びかけるような音が響いた。
何度か寝返りを打って、ボスに顔を舐められた冷たさで、アーリアはパチリと目を開いた。
◇◇◇
やっぱり。僕は彼女の様子を、一度見に行こうと思った。
幸いアパートの方に、マスコミは来ていない。玄関を開けてベッドに寝転んで目を閉じたけど、眠気がちっとも出てきてくれない。
全員無事に何事もなく帰れたようだ、SNSでみんなに報告している。禀は両親もついてるし心配は要らないだろう。
「迷惑かもだけど、行くかぁ」
落ち着かない。彼女の髪を切った感触が、触ってしまった感触が、戦闘よりも比べ物にならないほど色濃くて、駄目だ。
無性に、彼女に会いたい。一緒に居たい。それしか考えられない。
冒険後の片付けやドローンの整備もそこそこに、僕は上着を引っ掛け、傘を持って、彼女の元に向かった。
食事をして向かった道中。特に変わった事は無かった。
強いていえば、アーリアの家を目指しているようなマスコミが道に迷っていて、逆の方角を何度か教えたくらいだ。
春先でまだ冷たい雨に打たれながら、彼女の家に到着した。
呼び鈴を鳴らす前に、なぜか猫が一匹。玄関のドアを押し開けてくれた。
「にゃふ。ニャ~」
「鍵。かけなかったの……?」
「ニャン。ナ〜オ〜」
やっぱり様子を見に来て正解だった。思ったよりも彼女は、疲れちゃっているんだろう。
「お邪魔しま〜す、ごめんね」
「ナァ〜ァオォ〜!」
しっとりとした空気の中。出迎えるように鳴く猫たちを尻目に、大きめの声を出して、見慣れた玄関から家に入る。
アーリアの部屋に向けて足を動かすと、床に置いたままの装備や、少し乱雑に家事を行った形跡があった。
やはり別れず何か手伝った方が良かったのかもしれない。会いたい。彼女を探して呼びかけたが、居ない。
「自分の部屋……かな?」
以前入るなと言われていたアーリアの私室は、奥のお座敷にある。
何度かリフォームされた家の中で、そこだけが古めかしい時代の名残りを、まだ残している気がする。
「アーリア、居るかい?」
寝ているかもしれない。
「んっ……、カズマ、くん?」
「アーリア。……ごめん、勝手にあがったよ」
いっそ開けて確認しようかと手をかけたところで、
今すぐ顔を見たくて仕方なかったけど、声を聞くだけで少し落ち着けた。
「え、なんでここに? だって、鍵、あっ……!」
「しまって無かったよ。不用心でしょ?」
「ゴメン……」
「戸。開けて良いかな……?」
「だ、ダメ、やめて……!」
「え、……どうして?」
「だっていま顔見られたくっ……なんでぇ……?」
彼女はしばらく答えてくれなかった。慌てているような息使い。わずかに震えている彼女らしく無い声。耳の奥を叩くような強めの雨音だけが、しばらく続いてる。
なんとなく、それだけで分かった。だから良くないかもだけど、あえて言葉にすることにした。
「泣いてるかなと、思っちゃって……」
「………………う」
「ごめん、少し嘘言った。本当は僕が一緒に居たかったんだ、んだけど……」
「……いま、……今ね、今は、その、そのぉ、……うぅ」
本当に上手くなかったのかも知れない。踏み込み過ぎたのかも。声がさっきよりずっと震えてる。彼女の顔は見えないけど、まるで小さな……。
「僕、ここに居て良い……?」
「やだ、どっか、行っちゃ、……やだ、絶対やだよ、行か、ないでぇ……、行かないでよぉ……」
「うん……」
長く。辛い。自分の言葉が招いた結果だけど、彼女と二人、酷い雨に打たれてるみたいだ。
まるで、あの時のように、助けろと責められて、どこかの誰かに助けろと、言い付けられてるみたいで。
お前に彼女と居る覚悟はあるのかと、永遠に雨に打たれ続ける彼女と、一緒に居る資格はあるのかと、嫌な事を、考える……。
「聞いて、良い?」
「…………何を?」
「禀さんと、付き、合ってるのぉ……?」
悪魔のように囁く雨音は、まだ鳴り止まない。
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