第42話 100年の傷跡(5/)

 アーリアはホッと息を吐いていた。


 破格の条件とも言える彼の提案に、彼女でも張り詰めていた心の荷を、やっと少し降ろす事ができたのだ。  


「そ、そんな……先生の、この髪を!?」


「人の世で髪は女の生命といウ。生命の対価には相応であル。如何カ?」


「破格の条件だ。もう」


「アーリア、でも……!」


 不服そうな2人に、彼女はモンスターについて、詳しく説明することにした。


「あのね禀さん。魔法使いを目指すなら、取り違えに気をつけなきゃダメだよ」


「取り違え、ですか?」


「そう。禀さんは、呼吸をどれくらい止められる?」


「え……確か、2分は、無理でしたけど……?」


「彼は人をおびやかすのが本来の習性。とてつもない克己心と経験で抑えてるけど、それが本性なの。それは、もう呼吸を止めているも同じ。そんな彼に、死地で手伝って貰える。対価が髪と爪とスマホだよ? 本来なら取り引きになると思う?」


「わ、私の髪では……?」


「ならン。それらはおヌシに必須の物と見ル。それに精霊殿ガ、そもそも許すまイ?」


「ど、どれくらいを……?」


「爪も含めて、そちらの誠意次第ダ」


「…………、…………、……でも」


「アーリア。…………良いん、だね?」


「二言は無い。それに、損はないんでしょ?」


「無論。わずかな時を生きた我が妻ト、もはや帰る事を許されぬ青空ト、……二度とまみえる事許されぬ、武と技芸の戦女神に誓って」



◇◇◇



 アーリアは聖たちとガン・ハンターズの本庄と連絡を取り、すり合わせた交渉の結果を伝えた。


 通話越しの面々は、声だけでも分かるほど気まずそうに動揺していたが、アーリアは気にし過ぎないでと一言返した。


 「ハイシンカツドウとやらだったカ? それも込みで許可しよウ。雑音混じりでも、目が1つでもあるなら増やすべきジャ」


「良いの?」


「と言うよリ、興味深いと言うのが本音じゃナ。また解説してくれると楽しイ」


〝私からも同意見ね。こっちもある程度落ち着いたわ〟


〝検証勢がドローンの映像から、飛び散った血液を壁から確認しとった。地図と降下プランは任せい、意地でも安全に道筋付けちゃる〟


「頼もしいのウ」


「聞こえるんですか?」


「我はこの通り顔が音受けでナ。落ちた人間の探索にも役立とウ」


「じゃ、出発する前に、もう切って渡しちゃおうか」


「別に、救出が済んでからでも良いゾ? 途中で断念せざるに負えない事態もあろウ?」


「前払いしないと気が気じゃないよ。万一死んでから切り取られるのは絶対にヤダ。それに、ほんのわずかでも、軽い方が良いんでしょ?」


「それは、そうだガ……」


「提案した方がそんな顔しないの。裏切りなんて相応の宝物積まなきゃ、みんな納得しないのなんて当然なんだから。……カズマくん」


「なんだい?」


「切ってくれる? 良いかな……?」


「嫌、……イヤです、せめて、せめて、私にさせて下さい……せめて」


 アーリアの小さな身体に、とうとう禀は膝を折ってすがりつき、泣いてしまった。


 彼女は禀の胸中を、すべて察していた。


 自身がここに来て何も出来ていない焦り、いきどおり、不安、アーリアを止める事ができない弱さから来る涙だと、すべて。


「あっ、うっ、んんっ!?」


 わかっていたからこそ、彼女は強く禀を抱きしめた。愛弟子に少しでも自分は平気だと、強がる心が少しでも伝わるように。


 強く。ただ強く。あえて、おどけて。


 その抱擁は、温かく、厳しかった。


「ダ〜メ。泣いてちゃもう連れてってあげないよ。それに、えへへっ。私も女なの」


「あっ……!」


 まるで、断頭台に向かう、罪人のようだった。

 あるいは、優雅に社交界に出かける、淑女のようだった。


 一匹のモンスターが見届ける中。2人の胸中は、なぜ彼女を、彼女のような人を、こんな所に連れてきてしまったんだろうと、満たされた。


「ここをお願い。もみあげはそのままでね」


「うん……」


 淡い思いを抱く女の髪に触れ、震える手で、握りしめる斧をかざす。


 少年には過ぎた色香に、感じてしまった場違いな欲望に、決して飲み下せない罪悪感に、目眩めまいと吐き気が激しい。


「んっ……ふぅっ……」


 するりとまるで抵抗無く、受け入れるように、犯し掠め取るように、黒炭の刃は黄金の穂波を進む。


 いっそ切れてくれなければ良いのにと思いながら、後頭部の長い髪を切り落としてしまった。


「ありがとう。ちょうだい」


 震える手から受け取ると、アーリアは翁に一房ひとふさ残らず手渡した。


 一馬は事を終えたあと、ハンドアックスをポトリと力なく、落としてしまった。


「はい。どうかな?」


「確か二。他は事が成った後で良イ。救助目的に使うかもしれぬのだロ?」


「うん、ありがとう。いや〜、軽くなるね。楽で良いや。アハハ……」


 翁が甲高く一鳴きすると、根の上に待機していたメスのハルピュイアが降り立ち、うやうやしくアーリアの髪をなめした毛皮で包み、酒瓶も受け取って飛び立って行く。


「少し休む?」


 禀はアーリアの問いに答えず。


 翁を睨み、精霊ブタに一瞥くれると、涙を袖で強めに拭いた。


 一馬は飛び立ったハルピュイアを見つめ、グッと拳を握り、落ちた斧をもう一度拾った。


「こうなったら。地獄の底まで一緒に探して貰います。……良いですね?」


「無論。必ず引き上げようゾ」 


「いや、また生えてはくるし……」


「先生は黙ってて下さい!!!」


「僕も同じ気持ちだ、アーリア。黙って」


 今までにない2人の強い剣幕に、アーリアは精霊ブタと共に驚いたあと、少し影が差すが、フニャリと笑えていた。



◇◇◇



 2人はむかっ腹に突き動かされるように、興味深そうにドローンを覗いてくる翁を尻目に、テキパキと配信準備を整えていた。


「ふム。この魚眼に似た構造ガ、映像とやらを送るのカ。…………足りなく無いカ?」


「中にセンサーとかも入ってるんだよ。それで高詳細に色分けできるの」


「センサー?」


「感知器と言う意味だよ」


「カンチキ、なるホド。興味深イ」


「始めるよ。問題ないか、みんな?」


〝こっちはいいわ。ようやく落ち着いたわよ〟


〝準備は万全や。飛ばし始める。任しとき〟


 真司がドローンをアプリから起動すると、砂埃をわずかに上げて、ドローンはその場から宙に浮き始めた。


「むゥ、いつ見ても虫羽根。鳥羽根。竜羽根でも無く宙を浮かぶとハ、気味が悪イ」


「我慢して、最初は私だけで挨拶するね。良い?」


「勝手にどうぞ。止めてもどうせ、やっちゃうんでしょ……」


「もー拗ねないでよ2人ともー、みんな待ってるんだよー?」


「いいや。みんなにも怒られて貰うよ。じゃ、始める」


〝お、繋がった! 〟

〝誰!? 〟


〝誰? 誰なの!? 〟

〝デ、え〟


〝先生? 〟

〝髪が〟


「アハハ……どうもみんな、切っちゃった」


 一見なんでもないような愛想笑いを浮かべる画面越しのアーリアに、視聴者である生徒たちは、驚いて手を止めるか、騒然とコメントを打ち込むしかできなかった。

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