第40話 たすけて(3/11)

 考えるよりもずっと早く、身体は動いた。


 自身の戦闘リズムを、意識すら置き去りにし、一拍の間に100は動けるように引き上げる。


 禀が腰を下ろすまでの一瞬。アーリアはウルミで、5匹は仕留めていた。


 遠くでカンッ、カンッという、甲高い音が響く。


「今のは!?」


「っ、伏せてぇ!!!」


「きゃっ!?」


 アーリアは一瞬で2人に足払いをかけると、耳を塞いで伏せた。直後に耳をつんざく爆音と、爆発的な閃光が、まぶたの裏から瞳を焼いた。


閃光手榴弾スタン・グレネード!? 〟 

〝ひっくり返ってる? 〟


〝ウサギ!? またウサギなのか!? 〟


 真っ白いウサギが、地面にピクピクと痙攣しながら倒れている。


 手足には四本の鋭い爪が生え、べっとりと血で真っ赤に汚れている。


「ひっ……!?」


 耳元まで裂けた、悪夢に出てくるピエロのような顎と口。


 ノコギリよりもなお鋭い牙が幾千も生え、鮮血のしたたるそれを、禀は光で焼き付いた目で至近距離で見てしまった。


 明かりも少し心許ない。閃光と衝撃で月蟲たちも力なく地面に落ちて、明滅を繰り返している。


 その時だった。


「あっ、あっ!!? アァアアアアアアァァァァァァァ……………」


 耳を轟音で潰されなかった、アーリアとドローンだけが聞き分けられた。


〝い、今の声……〟

〝明らかに人だな〟


〝誰か、落ちたのか……? 〟

〝アーリアちゃん。今の……〟


 悪魔か何かに吸い込まれるように、小さくなっていく、断末魔。


 確実に生命を脅かされて、おそらく潰えたであろう人間の生命に、アーリアはキツく歯ぎしりするしかできなかった。



◇◇◇



 痙攣しているウサギたちを討伐して、さらにゆるく沈んでいく通路を進む。


 迷彩服を着た数人が、力なくすすり泣く少女を守るように囲んでいる。


 彼らは警戒して銃を構えたが、一歩前に出た2本線の入った迷彩服の男が、銃口を制してすぐに下ろすように指示してくれた。


「佐藤氏か」


「久しいね。本庄」


「現在地……数匹逃走。減った数だ、また来るとは思えないが……」


「全部クビキリ?」


「ああ。確認できた限りは、だが」


〝クビキリ。迷宮の殺人狂いウサギか〟

〝うえっ……やっぱ、連中かよ〟


〝TDDでもクソ速いけど、あんな、見えないもんなの……? 〟

〝ウサギだ、画像加工してようやく見れてる……〟


〝センセ。クマ吉。配信止める準備はいつでも〟


「この先で?」


「この先だ。配信班がドローンで確認しているが、発見出来ていない……」


 真司の通信に、何度か骨伝導マイクを叩くだけで答える。


 アーリアの視線だけを下げる仕草で、本庄は短いやり取りで察して、答えてくれた。


「確認しても?」


「頼む」


 彼女は一馬に目配せすると、彼が頷き返すのを確認した。


 月蟲を指先に乗せると、あっという間に先に進んで、その場から居なくなった。


 一馬は居なくなった月蟲の変わりに、急いで照明を付けた。


「だ、だずけましょうよぉ! きっとまだ生きでぇ……!」


「それはっ……、沙耶さや……!」


 すがりながら泣きじゃくる少女に、本庄は手を振り上げかけて、肩に手を置いた。


「アーリア。……どう、だった?」


 すぐに帰ってきたアーリアは、一馬の問いに首を横に振るしかなかった。


 口を挟める空気でなく、禀はずっと黙って精霊ブタを強く抱きしめているしか、できない。


「私たちはこの下に向かうつもり。どうする?」


「遺憾ながら帰還する。もし見つけたら、保護してくれるか」


「うん。わかった」


「そんな! だって! 落ちた爛子らんこさんは!?」


「もう残弾もねえ。一刻も早く帰還して、彼女を助けなきゃ。だろ?」


 進行方向を警戒していた、髪の長い男が紗耶に笑いかけた。


 明らかに無理な笑いだが、張り詰めていた空気は、彼の一言で少しだけ弛緩しかんした。


「えっと、一刻も早くこの場を別れるべき。血の匂いを嗅ぎつけて、他の怪物が来るかもだよ」


「そうだな。よし、全員急いで移動する。戻って救助を願い出て、他のクランにも頭を下げる。幸運を祈る、佐藤氏」


「そっちもね、また会おう。一条さんも」


「ああ。また一緒にな!」


 納得の行かない顔の紗耶を引き連れて、ガン・ハンターズの配信チームは帰路についた。


 耳が万全の状態だった、アーリアだけは聞こえていた。


 去り際に沙耶の小さな声が、「ひどい」「私が落ちれば」「裏切り」「たすけて」と、ブツブツと聞こえた。


 アーリアは瞳を一度閉じて、自身の心ごと意識して、彼女の声に反応を返さなかった。


〝助けりゃばいいじゃん! 魔法でもなんでも使って! 〟


〝人の生命がかかってんだぞ!? 〟


〝あの樹の実を使えば、ワンチャン? 〟

〝安く言うな。滑落救助は一番過酷なんだぞ〟


〝失望しました。見るのやめます〟


〝まだウサギ残ってんだから、迂闊に救助できるわけねえだろ。落とされるぞ〟


〝エルフ先生の見立てで、無理なら、もう……〟


〝だから、ドローンで確認してる最中だろ、何言ってんだお前ら!? 〟


 一方的なコメントが、聖と真司の見つめるパソコンの画面上を通り過ぎる。


 真司はカッとなって反論をパソコンで打ち込もうとしたが、聖に腕を掴まれて止められた。


 当然、3人に声に出して、読んで伝える事はしなかった。


 アーリアは、それでも腕のスマホを見る余裕を作った。フェイク混じりでも、今は救助のために少しでも情報が欲しいと判断した。


 一馬も禀も、スマホを見るだけの余裕はなく、周囲を過剰に警戒している。


「もう目的地も近い。一度安全な場所を確保して、少し待機するよ」


「わかった」


「は、はい……」


「血痕がバラバラに残ってたの。手足や首筋に群がられて、そのまま一緒に落ちたんだと思う。大きめの石を落として確認したけど、私の耳でも音は確認できなかった」


〝ヒェ……〟

〝そんなに深いのか〟


〝あるいは、怪物の口と胃袋直行かもな〟

〝んなバカな〟


〝助けようぜ〟

〝見捨てるの……? 〟


「血痕も酷い。足跡から、まず足をやられて、その上で計画的に追い詰められて狩られてる。灯りがやられたのも、そのせいだと思う」


「生きてると、思う?」


「あの出血量じゃ、悪いけど……」


〝うへぇ〟

〝怖い〟


〝そんな知能高いのか〟

〝助けようよ〟


〝向こうのチャンネル。もう画面切ってるな〟

〝ドローンは、まだ上げてないみたい〟


「あのね。みんなにも言うべき事があるの。よく聞いて。まず、フェイク動画が出回ると思うから、心を強く持って気を付けて。辛いだろうけど、できれば救出に力添えを頂ければ、心強いの。それと……生き物が死ぬ。あるいは、殺す事について。終わった後で話すよ。2人共」


「殺、す……」


〝お気持ち表明? 〟

〝そんな事してる場合か? 〟


〝慌てるな、まだ時間はある。俺はフェイクを通報する〟

〝助けようぜ、なんのための魔法だよ〟


〝無理だって、もう……〟

〝助けようぜ! 魔法で! 〟


〝たすけて〟

〝たすけて! 〟

〝助けてくれ〟


 救助を指示するコメントは、次第に書いている本人が「たすけて」欲しいかのように、様変わりしていく。


 終わりの見えない呪詛そのものとしか思えず、禀と一馬は息を飲み、スマホから目をそらすことしか、できない。


「みんなは、遺書って書いた事ある?」


〝え? 〟

〝遺書? 〟


〝あるけど……〟

〝無いよ〟


〝今そんな事関係あるか? 〟

〝あるわけ無いじゃん〟


「誓って救助に全力を費やしてるけど。生き物が死ぬって事について、ちょっとだけでいいの、ちょっとだけ深呼吸をゆっくりしてから、考えてみて欲しいの。お願い」


 アーリアの一言に、反応は様々だった。


 緊急事態に何を呑気にと、憤慨する者。


 突きつけられた、遺書という避けられない死のイメージに沈黙する者。


 それでも、救助を求める者。自身が助かりたいかのように、狂乱しその場で叫ぶ者。


 そして、自分にできる事を探し、必死に抗おうとする者。


 アーリアはそれでも、無表情を貫いていて。

 一馬は長く息を吐き出して、ほほを叩いて。


 禀は何もできなかった自分を、いた。

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