第31話 迷宮本(4/9)

 ワニに似た全長8mの頭部と胴体。アーリアの胴回りの、4倍はあるかという太い腕が6本。


 3本指の先には、ゾロリと揃った、剣先より遥かに鋭く分厚い爪。


 更に腕よりも遥かに太い尾と、剣のようなトゲの生えた甲羅を背負っている。


 吐き出す息は濃紺なほどの毒性を帯びて、割り折った木を腐食させている。


 悪剣竜タラスクス。環境破壊汚染竜とまで謳われる。恐るべき竜が、ギロリと鋭い眼光を向けてきた。


「ぎぃやぁあああああああ!!?」


 可愛らしい悲鳴などでは決してない、今まで生きてきて、想像にすら出来る訳が無い怪物。


 迫り来る確実な暴虐と死に、禀は気絶寸前でへたり込み、生命の危機に呼気を乱し、深く絶叫するしか無かった。


「タ、タラスクスぅ!? な、なっ、なんでこんなとこに、るんや!?」


「ダンジョンから逃げ出した、小さいのが成長したのかな。まーたはた迷惑なぁ……」


 呆れるような呑気な言い草に、禀と真司がぎょっとして、アーリアの言動に反応した。


「アーリア」


「周囲の警戒をお願い。みんなもね。……一撃で、仕留めるから」


 一馬とアーリアと付き合いの長い聖は、彼女がかなり怒っている事を敏感に察した。


 何一つ我感せず、傲慢にこちらに向かってくるタラスクスに、早くも二人は少し同情し始めた。


 タラスクスはしめしめと目の前の柔い肉が、腰を抜かして動けないことを舌なめずりしている。


 あとは咆哮の1つも上げれば、面倒な輩は逃げて、柔い肉を堪能できると、口を大きく開け始める。


 ローブのはためきすら一切感知させず、水場の足音すら1つさせず、アーリアが踏み込む。


「ふぅんっ!!」


「ギィッ…………!?」


 何一つ気が付かなかったタラスクスの長い顎下にもぐり込むと、思いっきり鉄拳制裁でアッパーカットを食らわせた。


 周囲に地割れのような衝撃波が、駆け抜ける。


 不用意に舌を出していたのが最悪だった。


 喉元から長い上顎まで、ぽっかりと貫通して穴を開けるほどの一撃は、背中の堅牢で重い甲羅ごと彼をひっくり返す事に成功した。


 さらに強引に閉じられた口で、自ら舌を噛み切り、そのままバタバタと喉奥まで織り込んで呼吸すらできず。


「……、……、……っ……!?」


「ここは決して、そんな毒臭い息を吐いて良い場所じゃ無いの。罰として、君は教材と剥製にするからね?」


 一転間抜けな様子に、背中の剣のようなトゲのせいで、寝返りも満足に打てない。


 タラスクスは水辺の生き物にも関わらず、無様にも丘で呼吸困難になり、自らの短くなった舌で窒息死する事になった。


 水の熊たちが一斉に体当たりすると、窒息死したタラスクスの死骸は力なく地面に横たえた。


 大迫力の光景に、一馬や討伐された怪物を見慣れている聖でも、目を見張ることになった。


「うっは、本当に、死んどるやん……」


「こんな風に、大きくなりすぎた子はひっくり返しちゃえば、背中のトゲのせいで動けないんだよ」


 アーリアは手頃な植物のツタを切り取り、タラスクスの口を開かないように縛り付け、運ぶ準備をテキパキと行った。


「えっとね。禀さんは、怪物、見るの始めてじゃないよね?」


「今の、先生、ま、魔法っ、魔法だったんですか?」


「まさか、これくらいなら、佐久間さんの奇襲の方が、ずっと上手だよ?」


 一馬を除いて全員、場を和ます冗談だと思ったが、昨日の午後の訓練では、アーリアと佐久間プロだけは、誰にも捕まらなかった。


 更に言えば、アーリアは佐久間プロにタッチされたので、事実上敗北している。


 もっとも、アーリアは息1つ乱していなかったが、佐久間プロは大汗をかいていたのだが。


「厄落としにはちょうど良いかな。触ってみてよ、禀さん」


「えっ……えぇえ……?」


「大丈夫だよ禀。まだあったかいけど、完全に窒息死してるよ」


「良く触れるわね、一馬くん……」


「触るのは勘弁やぁ! 鱗だけで、大事なお手々が削れてまうぅ!」


「誰も真司には言って無いって……」


 真司のリアクションは少しオーバーだが、ガチガチに揃った鱗は、そう言われるだけの威圧を十分に放っている。


 冗談でもなんでもなく、触れればヤスリよりも荒々しく削れ、下手をすれば指が簡単に切り落ちかねない。


「うぅう〜……」


 勇気を振り絞って、禀は厚い手袋に包まれた指先だけで触れようとした。


「あうぅっ……」


 それだけでどっと疲れて、だが自分でも意味不明な笑みを二へへと浮かべて、触れる事に成功していた。


 満足気に頷くアーリアの後ろで、水の熊たちによってウォーターベッドに乗せられるように、タラスクスの死体は運ばれていく。


「じゃ、みんなで豚肉楽しいんで。またねー!」


 タラスクスを運び終えると、水の熊たちは挨拶をするように、アーリアの匂いを嗅ぐ仕草をしたあと、滝の方角へと帰って行った。



◇◇◇



 神社の裏手に帰ってすぐに、アーリアはタラスクスの死体を、魔法の氷で囲み保存した。


「じゃあ、思わず教材が手に入ったし、早めにお昼ごはんにして、……その前に着替えてから、配信じゅぎょう始めよっか」


 アーリアは自分の格好と、尻餅をついたせいで泥だらけの禀を見つめて、まず着替えようと提案した。


「そうね。私はタラスクスの討伐報告書類を纏めるわ。着替えも車内にあるから」


「あ、はい。……ありがとうございます」


「えっとね。シートを持ってくるから、先に虫干しを家の中で初めてて、それとこれ」


 アーリアはシートの脇に置いてあった、彼女と同じ杖を禀に手渡した。


「これは……?」


「熊骨の杖。タラスクスの解説をしたら、あの本のどれかのダンジョンに潜って、仮契約するよ」


 本のダンジョン。思いも寄らない言葉の取り合わせに、禀は不思議そうに目をパチクリとさせ、呆けながら開かれていく本たちを見つめていた。

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