第29話 憎しみや嫌悪、怒りだけでなく(2/9)
少々肥満体型の彼は、何気なく目立つアーリアの姿を探そうとして、どこにも居ないことに気付いた。
「お父さん、元気?」
心臓が飛び上がるかと思った。
すぐ隣からかけられた言葉に驚いて、彼は瞬時に振り向き驚いた。
「うおっ!? ……へっ、……あ、あんたがそういう事言うと、脅してるみたいだな?」
「もちろん脅しだよ。逆恨みしそうな子は、片っ端からしてる。人間は諦めが悪いからね」
「そうかい。おっかねえっ」
勇樹がその場を去ろうとすると、アーリアに服の裾を引っ張られた。
ムキになって歩こうとしても、服が伸びるだけで全然前に進めなかった。
「引っ張るな。服伸びんだろが」
「止めてるだけだよ。話し、聞いて欲しそうにしてたよ、君」
舌打ちして座って、彼は八つ当たり気味に話してやる事にした。
親父が病気で長い事、床にふせっていること。
家にカネが無くて、半グレのカネに手を出して、シルバーに助けられたこと。
シルバーに拾われて、アニキと慕って居ること。
クランのみんなにカンパしてもらって、バイトして暮らしてること。
カネの工面も上手くできない、ガッコにも行けない。
アーリアの教える「姿勢」とやらも自分だけできなくて、父親に申し訳なくて、情けないこと。
聞き上手なアーリアのせいで、洗いざらい胸の内を、彼は吐かされてしまっていた。
「2倍努力したって、アニキの足元にも及びやしない。どうせ、やるだけ無駄だ……」
「それはナメてるね、自分自身の価値と戦いを。世間に後ろ向くことに酔ってても、ろくな事無いよ?」
「あぁ? ……テメェに何が分かるんだよ」
「あのねぇ、そんなの分かるわけ無いじゃん、だって別の生き物だよ?」
「ハッ、そりゃそうだ。じゃあ、お偉いエルフ先生様は、いったいどんな素晴らしい教えを、ボクに授けてくれるんでぇ?」
「そだねぇ……」
座禅に勤しむシルバーを見つめて、長い耳の先を少しかいて、彼女は答えた。
「まず、3倍、4倍、5倍と努力すれば良いんだよ。別に同じ期間に積み重ねなきゃいけない、ってわけじゃ無いでしょ?」
「倍ねえ……言うだけは楽でいいな」
「それに、アーリアが君の立場でも、今すぐ勝てるよ。シルバーさんに」
「あぁん!? ……あーまあ、勝つ手段はあるな。確かに」
シルバーは暴言とも思われかねないアーリアの発言に、彼女が自分をニコニコ指差した時点で、どう方法があるかを察した。
「アニキ……?」
「それに気付けないのが、今の君の器だよ」
「うっさんくせーんスけど……?」
何度かシルバーとアーリアを勇樹は交互に見比べたが、彼には二人が何を考えているのか分からなかった。
「あとは、別に学校には行きたくないなら、行かなくて良いんじゃない?」
「ブフォッ!!?」
突然のアーリアの発言に、飲んでいた飲料水を勇樹は吐き出すしか無かった。
「いや、いやいやいや、仮にも先生名乗る奴が、それ言って良いのォ!?」
「え、だって、アーリアは入学って言うんだっけ? 1回もしたこと無いよ?」
「マジ? えっ……マジ、なん?」
「ん〜……あのね。たった150年にも満たないほとんど独立した、専門業種向けでもない初等学業機関に、どのぐらいの信頼性がそもそもあるかっていうか……?」
いつも少しオドオドしているか、ハキハキとしているかの両極端な彼女にしては、宙を見つめてしばらく考えこんで、スマホを取り出して思いついた。
「電話って、あるじゃない?」
「電話……?」
「これ最初って、座り込むような大きな機械のハンドルを回して、電話局の人に電話番号伝えて、5分で何千円もかかったの」
「え、マジ、そんな高くて面倒くさかったん?」
「しかも何十分も待って繋がれば良いほう。イギリスとか片田舎とか、村に1つあれば良い方でね」
くるくると細い女指で、自身のスマホを回しながら、アーリアは1つ1つ思い出すように語る。
「学校って、この80年くらいで全然根本的に進歩してないんでしょ。電話に比べれば。だから、実は思うほど重要な施設じゃないよ。病院とか刑務所とかのほうがずっと重要。むしろ……」
「最近は別の手段も多いね。僕も一時期検討したよ。まぁ「相当」って文字が付くから、結局止めたんだけど……」
後ろで話を聞いて、飲料水を受け取っていた一馬が、二人に私見を述べた。
親の居ない彼は、親身になってくれる孤児院の職員と、むしろ実際の親よりも話し合い、進路について幅広い知見を持ち合わせていた。
「カズマくんの言う通り、きっと重要じゃ無くて、大切な場所なんだよ」
「大切な、場所」
「だから、ちゃんとクビにしてもらってくれば、良いんじゃない?」
「は、はぁあ!? 何、言ってんだお前!?」
「ブハハハハ!! クビ、クビと来たか。そりゃ良いな!! もし、そうなったら、俺にゃ出来なかった事だ、時期副総長枠くれてやるぞ!!」
「良いなそりゃ! 俺も賛成!」
「アタシも!!」
「か、勘弁してくれよ、アニキ、みんな……」
「えっ、立派にお父さんしてる人も居るよ? フツーじゃ無いの?」
アーリアの一言に、茶化して笑っていた周囲の人間は、少しだけ引きつった笑みに変わった。
シルバーと一馬は、表情を笑みから変えることは無かった。
「まあそうですね。調べて見れば、著名な有名人とかでも結構居ます。割と普通で、人生最奥が馬ですよ」
聖と今後の計画を話し合っていた佐久間プロが、通りがけに勇樹の背を軽く叩いて、歩いていく。
「だってさ」
「そうかな……」
ポンポンと、勇樹の頭を撫でるアーリア。
犬か何かのように勇樹は唸ってやろうかと思ったが、嬉しそうなアーリアの顔に、唸ることはできなかった。
「がんばれ、男の子。人間たちが歩んできた。スマホを目指せるくらいに、ね」
「アタマ触んな、クソ先公……悪かったよ」
「え、許さないよ」
「この流れで!?」
「いぇひひ。アーリアは簡単には許してあげないよ、ずっーとっ!」
「そうかよ! ……そう、かい」
なんとなく、本当になんとなくだが。
彼女が過ちを犯す、人間を許さない理由。
そこには憎しみや、怒りだけではきっと無いのだと、勇樹はなんとなく思った。
いつか、彼女を見返す。そうできれば良いと、胸に秘めて。
勇樹はその日、いつもより少しだけ、訓練に対して努力する事にした。
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