貴方
喫茶店に入って、僕はコーヒーを注文する。
ここのマスターはとても美味しいコーヒーを作る、だから僕はよくこの店に訪れていた。
だが、最近それ以外の理由が生まれたのだ。
この喫茶店には、一人の常連がいる。
それはとてもとても美しいモノだった、それはとてもとても美しい人だった。
彼女は女性だ、彼女はいつも僕と同じようにコーヒーを注文し僕と違ってミルクと砂糖を入れていた。
彼女はトースターを頼み、バターをたっぷりと塗りこんで可愛らしく頬張っていた。
彼女は僕には理解もできない難しい小説を読んで、微笑んでいた。
彼女はいつも窓際の席でコーヒーを飲み、本を一章ずつ読んでいた。
彼女は本を読むと、そのままその席で眠っていた。
彼女はその席で眠り、夕陽が傾くまでそこにいた。
とても、可愛らしい女性だった。
ー2
僕は、彼女が好きだった。
僕は、彼女が好きだった。
僕は、彼女が大好きだった。
それはまるで初恋のようで、それはまるで呪いのよう。
僕の心を惑わせ、呪い拘束する。
僕は彼女のことを考えていた、だから僕は毎日喫茶店に訪れていた。
いつしか僕と彼女は、知り合いとなっていた。
声を掛けたのは彼女だった、彼女が僕に声を掛けていた。
理由は特に分からなかった、ただ僕が分かったのは彼女が僕に対して悪印象を持っていないことだけだ。
僕は彼女の名前を知った、僕は彼女に名前を知られた。
僕らは子供が指切りをするかのように、毎日あの喫茶店に訪れた。
そして、僕は彼女に殺された。
唐突で、無慈悲で、だけど新鮮だった。
臓物が引き抜かれ、肋骨を折られ。
為されるままに命を散らされた、僕はそれを受け入れた。
彼女に食べられるのならば、それで良いと思えた。
こんな人生の終わりも良いと、僕は思えた。
そして、約束を果たすようにまた喫茶店で彼女と出会った。
彼女は驚いていた、慌てふためいていた。
僕は彼女の前に座って、僕はゆっくりと口を開いた。
「美味しかったですか? 僕」
彼女は笑っていた、彼女は僕を見て笑っていた。
分かりきっていた事実として、彼女は吸血鬼だった。
分かりきっていた事実として、彼女は僕を殺していた。
分かりきっていた事実として、彼女にとって僕は獲物だった。
だけどその日から、僕と彼女の関係性は変わった。
夢のような、恋の終わりだった。
僕は彼女に何度も食べられた、何度も食べられた。
脳髄を抉り取られ、肝臓を切られ。
肋骨を折られ箸にされ、唾液をジュースのように啜られ。
胃液をドレッシングのように髪の毛と混ぜ込み、足の筋を刺身のようにして。
僕は食べられた、僕は食べられた。
僕は美味しく食べられた、僕は美味しく食べられた。
そうして食べられて、食べられて。
食べられて、食べられて。
僕はいつしか、彼女になっていた。
僕は、人間ではない。
彼女と同じく、人間ではない。
夜を生きる怪物、血が沸騰する血の怪物。
夜に生きる、夜の怪物。
僕は、紛うことない吸血鬼だ。
「美味しいですね、ここのコーヒー」
「ええ、美味しいね。ここのコーヒーは、貴方と一緒に食べたいぐらい」
僕と彼女(僕)は談笑する、微笑みながら語り合う。
初恋は実らなかった、僕は僕に食べられた。
また、僕は一人となった。
僕は影だ、虚わぬ影だ。
虚像であり、誰かであり、自分であり。
僕は、僕の心は。
此処こそが、僕の到達点だった。
此処こそが、僕の破滅点だった。
僕は、僕を食らって生きる醜い怪物だった。
「好きだ」
僕は、彼女(僕)に愛を囁いた。
「ええ、知ってる」
彼女(僕)は、僕に愛を囁いた。
「大好きだよ」
僕は、彼女に愛を囁いた。
「私も大好き」
彼女は、僕に愛を囁いた。
動く死体が喋っていた、動く骸が喋っていた。
もはやなんの意味も価値もない、動く体躯が喋っていた。
それこそが僕だ、僕だった、僕だったモノだ。
もはや、記憶の底に封じていた。
それこそが、僕だ。
僕、なんだ。
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