転生トラック、郷愁を轢く その3

 ずっと帰りたかった。老人の言葉が、アズの心に染み渡った。

 仕事を掛け持ちしながら二人は老人を見守る形になった。ダブルスキルがなんだ、という依頼の後やってきた二人に、老人は花の蜜の味を教えた。老人はまだ味を感じられるようだった。

 帰社したアズは老人におにぎりを作った。妻の作った不恰好なおにぎりに似ている。そう言われた。最大限の褒め言葉だった。次の週アズがこしらえた大量のおにぎりはユカリがほとんど食べ尽くした。老人はユカリは孫に似ていると言った。ご飯粒を口の端につけたユカリのグッドサインに老人は微笑みを返した。

 それから三週間後。鑑定スキルがなんだ、という依頼は簡単だった。トラックのハンドルを握った後老人を訪ねると彼は二人に歌を教えてくれた。耳に残るその歌を会社で披露すると社長がアズを褒め、戦後間もない頃の歌だと教えてくれた。

 それから二ヶ月後。聖女がなんだ、という依頼は少し難しかった。通り魔の真似事はアズにとって辛いことだった。仕事を終わらせた後は老人と一緒に彼の好物だというスナック菓子を食べた。意外性にアズは驚くとともに、どこか遠い存在だった老人との距離が近くなった気がした。老人は味を感じられなくなっていた。悲しそうな背中は、あまり見たくない姿だった。

 それから五ヶ月後。勇者のハーレムがなんだ、という依頼は難航した。人を殺した。仕事だった。いつまで経っても慣れない。それでも老人の前では気丈に振る舞った。すっかりアズたちと老人は仲良くなっていた。季節の彩りを老人は二人に教えた。アズは季節など仕事に追われて気にしたこともなかった。山の色彩は季節の表れだということを、アズは初めて知った。

 それから四ヶ月後。気がつけば季節は一周していた。三人で俳句を読んだ。アズはうさぎについての俳句を読んだ。冬の雪うさぎは安直だとユカリに酷評された。雪が綺麗だった。

「あそこは綺麗な場所だけれど、どうしてそこまでここに固執するのかわからないゆ」

 アズは社長にそうこぼした。社長は新聞を見たまま言った。聞けばいいじゃねえか。アズは社長に従った。

「ここには思い出があるんです」

 アズが故郷にいる理由を尋ねると老人は目を閉じた。瞼の裏に映るのは何なのか、アズはわからなかった。思い出とやらかもしれない。そう思った。

「父さんに怒られてばかりだった幼少期。母さんに迷惑をかけた少年時代。色々なことを知った青年期。妻と息子と、ここで暮らした時期もありました」

「幸せなことばかりだったんですか」

アズの質問に、老人は目を細めた。まさか。笑う老人に、アズは首を傾げた。

「父さんの背中を見送ったこと。死んだ近所の友達。妻と生きた激動の時代。色んなことがありましたよ」

 でもね。老人は前を向いた。冬の風が窓を叩いている。

「父さん、母さんと食べたご飯。お金を貯めて買ったレコード。疲れた時に口に入れるキャラメル。新しい命。家族で歌った歌。そうだ、大きくなった息子の背中は父さんに似ていた」

 誰もいない場所。されど、誰かがいた場所。アズには誰かの笑顔が見えるような、そんな気がした。知らない誰かの、知らない記憶。温かい記憶。

「ここには思い出があるんです。ここにあった笑い声を、私は覚えている」

 老人の故郷は美しい。知らぬ間にユカリが泣いていた。泣いていない、という彼女の主張には少し無理があった。

「いつかあの頃の笑い声が戻ってくるといいなあ」

 誰もいなくなった場所を老人は見守っている。

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