第1話−2 


「落ち着いた?」


「……うん。ありがとう」


「いや、元はと言えばおれがムシンケーだったせいだし。逆にごめん。……でも、ほんとに信じらんねぇ。ブラザーが落ちたなんて……」


 ハンカチで拭いすぎて赤くなった目元を少し緩めて、スフェーンが力なく笑う。


 涙を拭うという仕事がなくなったガーネットは、手持ち無沙汰になったのか、部屋の中をうろうろと歩き回りながらひとりでブツブツと呟いていた。


「己惚れてたんだよ、きっと。私は、王都じゃ通用しないレベルだった」


「いやいやいや!んなわけ!お前が通用しないレベルなら、合格者なんか出ねぇよ!体術が受験科目に入ってるなら、まあ考えられなくはないけど……。でも、ニーアの受験科目って筆記と魔法の実技と面接だろ?まっじで落ちる要素ない」


「でも、実際私は不合格だった」


「……納得できない。おれの兄ちゃんの中に騎士やってるのも居るんだけどさ、ニーアの卒業生なんだよ。だから、だいたい学園のレベルは想像つく。その上で断言する!スフェーンが落ちるのはおかしい!」  


 スフェーンの肩を掴んだガーネットは、勢い良くそう断言した。よほど怒りで興奮しているのか、その口の端から火の粉が飛び散った。思わず、スフェーンは仰け反ってそれを避ける。 


 ガーネットは四大基礎魔法にも数えられる炎魔法が得意で、特に口から火を吹くのが彼の十八番である。しかし、魔法のコントロールが苦手なガーネットは、くしゃみをするときや驚いたとき、後は激怒したときなんかに無意識に火の粉を吹いてしまうのだ。


「服が焦げちゃう」


「あっ、ごめんごめん!それより、なんかおかしなことはなかったのか?例えば、面接官に失礼な態度とったとか〜、緊張していつもの実力出せなかったとか?」


「失礼な態度なんてとるわけない。シスター・オリヴィアが面接練習に付き合ってくれて、完璧だって言ってもらった。それに、緊張はしてたけど、普段通りできたハズだよ。だって私も、落ちると思ってなかったもの」


「だよなぁ。だったら余計おかし、」


「あっ!」


 ガーネットの言葉を、スフェーンの声が遮った。

 俯いたスフェーンは試験の日を思い出しているのか、しばらく黙ったままだった。厳冬の鋭い風が窓をノックする音だけが響く。


 ガーネットは、寒さのせいで目元だけではなく鼻先まで赤くなっているスフェーンの顔をじっと見ていた。我慢していないと、また火の粉を撒き散らしそうだった。


「変な、質問をされたの」


「変な質問?」


「うん。……たしか、『あなたの王子様はどんな素敵な人ですか』って」


「はあ?なんだそれ。王子様?セクハラか?」


「私も、田舎娘だから揶揄われてるのかと思って、恋人でしたらいませんって答えたの。そしたら、勘違いかもしれないけど………急に面接官の目が、冷たくなった気がした。その後実技だったから、そのことはすっかり忘れてたんだけど、思い返すと、やっぱり変な質問だよね?」


「う〜ん、質問の意図が意味不明だよな。たしかに恋人は大事、な……………………まさか」


 にわかに、ガーネットの時間が止まった。


 次の瞬間、ボッ、と彼の体のいたるところから炎が生まれ出る。ごうごうと燃える音がして、指先や髪、そして口から赤が揺れる。


 スフェーンが慌てて声をかけようとしたが、最後に大きく炎を吐き出したガーネットは、自身で怒りを鎮めたらしく、次第に炎は小さくなっていった。未だ煙の立ち上る口から、ふーっ、ふーっ、と深呼吸の音が聞こえる。


「ガーネットっ、大丈夫……?どうしたの、急に、そんなに怒って……」


「いや………おれ、わかったかも。スフェーンが落ちた理由!」


「え?今の話の流れで?」


 滅多に怒ることのないガーネットの憤怒に、スフェーンは目を見開いて、さっきまでの沈みきった気持ちも吹っ飛んでいくのを感じた。


 学園に入学できないことへの絶望や力が及ばなかった自分への失望、そして怒り、悲しみ───ありとあらゆる負の感情。それらはじくじくとスフェーンを蝕んだが、目の前で自分自身より怒りを爆発させている人間がいれば、一周回って冷静にもなる。


「貴族っていうのはさ、基本政略結婚なんだよ」


「う、うん?話には聞いたことあるけど……」


「お前にも関係ある話だよ!なんたって、ニーアは、この国で一番すごい学園だからな。貴族や金持ちはもちろん、もしかしたら王族なんかも同級生になる可能性があるんだぜ?」


「たしかに、試験会場もお金持ちそうな人ばっかりだった」


「だろ〜?つまり、チョーゼツ高貴ってわけ!だから、身分の低いやつはそもそも入れない。シンプルに教育を受けてなくて学力とか魔法の扱いのレベルが低いってだけじゃなくて………言いたくないけど、王族貴族なんてだいたい貧乏人を見下してる。『なんで高貴な私たちとゲセンな貧民が同じ学び舎に?』なんて言いかねないんだよ……」


 モデルとなった人物がいるのか、ガーネットはやけに具体的に予想を語る。不機嫌そうに歪んだ彼の唇から、口を開くたびに鋭い犬歯が見え隠れした。


「……だとしても、今までだって一般市民で合格した人もいた。それに、ニーア=イスカ学園は多国間・多種族間・多階級間交流をスローガンにしてるんだよ?学園規則には、学園内では身分の違いを理由に不利益な扱いはしないって書いてあるし」


「それは建前だよ。少なくとも、学園の全員がその理想に忠実なわけじゃない。身分の低いやつを差別してる学園関係者やつらなんて、たぶんいっぱいいるだろ。その証拠に、スフェーンは不合格。……んで、おれの知ってるスフェーンよりも大した事ない貴族の坊っちゃんは合格だ」


 スフェーンは口を噤んだ。ガーネットが彼女の合格を信じて疑わなかったのは、その他の合格者の実力を把握しているかららしい。


 彼の言葉が贔屓目なしの真実ならば、身分のせいで不合格になったという話もただの被害妄想で片付けられない。


「貴族は、家柄が大事だ。どの家に生まれるかで人生が決まる。だけど、女の子なら挽回のチャンスがある」


「───結婚?」


「うん。実家が下級貴族でも、なんなら貴族ですらなくたってスゴイ貴族と結婚できたら人生が変わる。もちろん、その親も利益を得る。だから、貴族は必死になって結婚相手を探すんだよ」


「………だったら『王子様』っていうのは、権力者のこと……?身分の高いヒトと結婚したら、私も学園にふさわしい身分になれるかもしれないから……?」


「詳しいことは知らないけど、一般市民から合格したヒトってのも、もしかすると心強い婚約者パトロンが付いてたのかもな」


 しん、と部屋に沈黙が満ちる。


 ガーネットが炎を出したおかげで部屋は暖かくなったのに、スフェーンの顔色はどんどんと悪くなっていく。ヒトは、覆しようのない理不尽に襲われたとき、言葉も思いつかない。


 鈍りきった思考回路を、なんとか動かす。ガーネットは、ただスフェーンの言葉を待っていた。


「じゃあ、はじめから……私が受かる可能性なんてなかったのか」


 穏やかな声が滑り落ちて、重たくふたりの心にのしかかった。



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