第6話 禁術 2

 澄んだ水面に映る月が、ゆらゆらと揺れていた。

 森の奥深く、ひっそりと佇む湖で、一人の美女が静かに水浴びをしている。

 サンティナの長い髪が水の中で流れ、肌には淡い光が反射していた。水が彼女の体を包み込むたびに、ようやくその周囲から血の匂いが消え去っていく。


「やっと……」サンティナは静かに呟いた。

 血の匂いは、まるで彼女を追いかけるかのように長く纏わりついていたが、今、ようやくその不快感から解放されたように感じた。


 岸辺に置かれた衣服の近くには、一本のレイピアが横たわっていた。

 古びているが美しい装飾が施されたその剣は、ただの武器ではなかった。

 レイピアの刃には、かつて古の魔王が残した魔力が封じ込められていた。それは、かつて強欲の魔女オーケンが手にしていた、伝説の遺物だった。


 そのレイピアは持ち主の欲望に応じて力を発揮するが、同時にその欲望をさらに膨れ上がらせ、持ち主を堕落させると伝えられている。

 美女は水中でゆっくりと手を伸ばし、髪をかき上げると、岸に目を向けた。

 彼女の目は冷静でありながらも、何かを渇望するような光が宿っていた。レイピアが放つ微かな魔力の波動が、彼女の心に語りかけるようだった。

「強欲のレイピア……」

 彼女は小さく微笑み、再び水中に潜り込む。


 ☆☆☆


 背後から、木々が次々となぎ倒される音が聞こえ始めたが、彼女はその音に耳を傾けることもなく、嬉しそうに水の感触を楽しんでいた。

 空気が一変し、周囲の動物たちが一斉に逃げ惑い始めたかと思う暇なく、バタバタと倒れていく。

 森の奥深くから迫り来るその力は、自然の摂理さえも無視するかのようだった。禁術の魔力は、ただ近づいてくるだけで魔物たちさえも飲み込んでいく。

 地獄を率いて怨念の大魔法が迫る。


 しかし、サンティナはその様子に一切の動揺を見せることなく、悠然と湖の水に手を浸し、髪を撫でつけていた。その表情には、不安どころかむしろ楽しみと期待が垣間見えた。

 やがて、彼女が岸に置いていたレイピアが突然激しく震え出した。古の魔王の遺物であるその剣は、何かに反応するかのように共鳴し、音を立てて震えていた。

 禁術の魔力に対する警戒を示すように、レイピアはまるで命を持つかのごとく震え続けた。


 しかし、サンティナはその様子に微笑みを浮かべるだけで、慌てることもなかった。彼女は、そのすさまじい魔力を感じ取りながらも、悠然とした態度を崩さず、水浴びを続けた。

「虎の尾を踏んだみたいね」彼女は静かに呟いた。


「強欲のレイピアに命ずる」

 その声には、好奇心と興奮が入り混じったものが込められていた。近づいてくる禁術の力に対し、サンティナの心は昂ぶり、体は水でも冷めないほど熱を帯び始めていた。

「汝の主は誰であるか――さあ、来なさい」

 レイピアは光の速さで、魔女の手の中へおさまった。

 振動し、刀身は久方ぶりの戦いに歓喜しているかのようであった。

「地獄の門は開かれた」

 魔女は高笑いと共にレイピアを構える。

 地獄の禁呪が、魔女を喰らおうとしていた。

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