第3話 騎士の絶望

 アンドレアスが自らの決意を新たにして間もなく、遺跡の静寂を破るように馬の蹄の音が近づいて来る。彼の副官が息を切らしながら、険しい表情で口ごもっているように見えた。


「アンドレアス様、大変です! フロルベルナ村で……」

 副官の声は荒く、恐怖に満ちていた。

「村人が皆殺しにされたとの報告が入りました」


 その言葉は、冷たい水を浴びせかけられたようにアンドレアスの心に重く響いた。

 伝説の剣が抜かれたばかりなのに、なぜこんな惨事が起こるのか。彼は胸の奥で不安が大きく広がっていくのを感じた。

「詳細は?」

 アンドレアスは冷静さを保とうとしながらも、声に微かな震えが混じるのを止められなかった。

「目撃者によると、村は一晩のうちに壊滅。まるで天災です」

 副官の声は震え、明らかに何か恐ろしいものを目にしたかのようだった。


 アンドレアスの心臓は、不安と疑念で重くなり、嫌な動悸が胸を叩いた。

 伝説の剣が抜かれ、勇者が現れたはずのこのタイミングで、なぜそんな恐ろしい事件が起こるのか。剣を抜いた者が勇者であるならば、なぜ人々が守られるどころか、虐殺されているのか。

「すぐに案内しろ」アンドレアスは、心の中で湧き上がる不安を押し殺し、冷静に命じた。

「中央の調査が入る前に、我々で調査しなければならない」

 副官が頷くと、アンドレアスは剣を握りしめ、深く息を吸った。剣が抜かれたことは、人類にとって希望の兆しだと信じようとした自分の気持ちが、今や一抹の不安と恐怖に覆われていた。


 ――剣を抜いた者は、本当に勇者なのか?

 その疑問が彼の胸に重くのしかかり、嫌な動悸を引き起こしていた。剣がもたらす未来が、平和とは限らないことを暗示しているかのように。


 遺跡を後にし、副官と共に馬を走らせながら、アンドレアスの頭には一つの考えが浮かび上がった。伝説の剣――誰もが聖剣だと信じて疑わなかったその剣は、果たして本当に聖なるものであったのだろうか?


「もし」アンドレアスは、自分の考えを口にするのをためらいながらも、心の奥に湧き上がる疑念を押し殺せなかった。

「もし、この伝説がどこかで捏造されたものだったとしたら?」


 副官は一瞬、驚いた表情を見せたが、すぐに厳しい顔つきに戻った。

「それは……何をおっしゃりたいのですか?」

「聖剣ではなく……邪剣だったとしたらどうだ?」

 アンドレアスは馬を止め、深く考え込むように目を閉じた。

「もし、この剣が選んだのが勇者ではなく……悪魔だったとしたら?」

 その考えが頭に浮かんだ瞬間、アンドレアスは背筋が凍るような恐怖を感じた。

 もし剣が本来の目的とは逆のものであったなら、そしてそれを信じて守り続けてきた自分たちが実は恐ろしい力を解き放ってしまったとしたら。

「だとしたら、私たちは」副官が言葉を失い、顔を青ざめさせた。「一体どうすれば……」

「まずは村を確認しよう。そして、剣についてもっと調べる必要がある」

 アンドレアスは決然とした声で言い放った。

「もしこの剣が邪悪を選ぶ剣であったなら、私たちはその誤りを正すために戦わなければならない」

 伝説が捏造されたものである可能性に気づいた今、アンドレアスは、真実を明らかにするための決意を固めた。聖剣ではなく邪剣――その存在が、全てを変えてしまったのだと理解しながら。



 アンドレアスと副官は、村に近づくにつれて胸の奥で広がる不安が、冷たい現実となって押し寄せてくるのを感じた。

 空は重く曇り、風は冷たく、まるで自然そのものがこの場から何か不吉なものを排除しようとしているかのようだった。

 村の入り口が見えてきた。だが、その光景は、彼らがこれまで見たことのないほどの恐怖を感じさせるものだった。

「神よ」副官が馬上でつぶやいた。

 彼の視線の先には、地面に無造作に放置された小さな物体があった。

 近づいてよく見ると、それは、子供の腕の一部だった。血まみれで、無残に切り裂かれていた。

 副官が思わず短い悲鳴をあげたと同時に、アンドレアスの心臓が一瞬止まったように感じた。これがただの夢であればどれほど良かったか。しかし、現実は容赦なく、その不気味な光景を彼に突きつけてきた。


「うっ」アンドレアスは、胸の中にこみ上げてくる恐怖と嫌悪感に耐えきれず、馬から転がるように降りた。足元がふらつき、地面に手をついた瞬間、冷たい土の感触が彼をさらに現実に引き戻した。

 村の中からは、まだ見えないが、惨劇の余韻が漂っていた。

 何が起こったのかを知るためには、進まなければならないと分かっていたが、アンドレアスの心は今にも崩れ落ちそうだった。

 副官もまた、馬を降り、震える声で言った。

「隊長。これ……何が――」

「分からない。だが、調べねば」

 アンドレアスは、何とか立ち上がり、剣を握りしめた。その手は、冷たく汗ばんでいた。

 彼は、深呼吸をして心を落ち着けようとしたが、その努力も虚しく、再び動悸が激しくなるばかりだった。

「行こう」アンドレアスは、震える声を押し殺しながら命じた。

 二人は、足を引きずるようにして、村の中へと一歩一歩進んでいった。

 子供の体の一部が見えた時の衝撃が、まだ彼らの心を締め付けていたが、彼らは進むしかなかった。

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