オレンジ色
余りりす
第1話
リカちゃんからの着信があったとき、私は自宅に近い墓地にいた。
空は曇っていて、昼間なのに寒かった。
敷地を区切る塀にもたれて、パーカーのフードを被り、好きな曲を聴いていた。
平日だし、お彼岸も過ぎていて、墓地にいるのは私だけだった。
冷たい風が、甘い香りを運んでくる。どこか近くに咲いている金木犀の花が秋の訪れを強く主張していた。
(秋だなぁ)
まんまと甘い罠にハマって、そんなことを思った。
ピアノの前奏が耳に流れてくる。澄んだ声が、雨の情景を歌っている。
目を閉じて、じっと耳を傾けているときだった。
電話がかかってきた。
リカちゃんは言った。
『イヤホンちゃん、今から会わない?』
いつも突然なのだ、彼女は。
私はなるべく渋っている声で答える。
「ごめん、いま忙しい」
『何してるの?』
「墓参り」
『また? ほんと好きだね』
「墓地は平日の昼間に限る」
『今から迎えに行くから、待ってて』
「いや、あのさ」
今からって。お金も持ってないし、パーカーにジーンズにスニーカーだし、線香の匂いだし。
『だいじょぶだいじょぶ』
「聞けよコラ」
『15分で行くからね』
電話が切れた。
リカちゃんの得意技だ。反論を聞かず断つ。
私は仕方なく待つことにした。墓地で名曲に浸るのは好きだが、長居しようと思っていたわけでもなかった。
15分。
一方的に区切られた1人の時間を、私はじっくり味わった。
ハロウィン。
田舎で暮らす、すれっからしのアラサー女には縁のない単語を、リカちゃんは繰り出してきた。
車高の低いスポーツカーのハンドルを切る彼女は、ゆるくウェーブのかかった栗色の髪を肩にかけ、目元も口元も嫌味のないメイクを施し、紺のウインドブレーカーにチェックの巻きスカート、黒のタイツにローヒールの靴という出立ちだ。よく似合っている。
「リカちゃん」というのは私がつけたあだ名だ。小柄で可愛い、某ロングセラーの着せ替え人形に似ているから。
対して彼女が私を呼ぶ「イヤホンちゃん」もあだ名だった。しょっちゅうイヤホンで音楽を聴いているかららしい。そんなに聴いているつもりはないのだが。
お互い今では本名も知っているし、勤め先やら生活圏やらも知っているが、その前から定着してしまったあだ名で呼び合っている。
「リカちゃん。ハロウィンは子供のためのイベントだよ」
助手席に収まった私は、シートベルトの内側でおとなしく連れ去られながら言った。
「私たちがやることと言ったら、親の用意した衣装着て、いい気になって訪ねてくるガキどもに駄菓子でも恵んでやるくらいじゃない」
だいたいこんなに世間に浸透したのはここ10年くらいのことだ。
しかも田舎。
ハロウィンに仮装パーティしようなんて、イカれた企業や学校や家庭はここらにはない。
せいぜい幼稚園くらいだ。
だからこその私の発言を、リカちゃんはまったく気にしなかった。
「イヤホンちゃん、楽しもうよ。パーティやろ。ビトーとウーロンも呼んでさ」
男友達2人の名前(もちろんあだ名)が挙がる。
「いや、あいつらもそんな暇じゃないでしょ」
「声かけとくね」
「あ、そう」
なんだか面倒くさくなってきた。リカちゃんが声をかければ、男どもは二つ返事で応じるはずだ。彼らがこの食わせ者の美女に気があるのはわかりきってる。
「で、いつやるの?」
「乗り気になってきた?」
「不本意ながら」
「イヤホンちゃん、相変わらずツンデレだね」
「なんていうか、外堀を埋められるってこういうことだね」
軽く肩をすくめてリカちゃんを見ると、会心の笑みを浮かべていた。
まぁ、なんだかんだ可愛い。
「そうねー、ハロウィン当日は混むだろうし、早めに予約しなきゃ」
「当日じゃなくても良くない?」
「せっかくだから仮装したいし、当日じゃないと変に浮きそうで嫌でしょ」
「は? 仮装すんの?」
集まって飲むだけじゃないの?
「当たり前でしょ。ハロウィンなんだから」
リカちゃんが語る計画によれば、県内のテーマパークの仮装イベントに参加したのち、そのままパーク内のホテルでパーティと洒落込む、ということらしい。
「で、これから衣装探しに行こうってわけ」
「そんなガッツリ行くつもりだとは思わなかったよ」
「あたし、イヤホンちゃんの本気の仮装、見てみたいし」
「ばっかじゃないの?」
呆れ返って窓にもたれる。こんな色気も素気もない人間に何を言うやら。ていうかむしろリカちゃんに私が言うべきことだろ、それは。
ついつい妄想する。リカちゃんが着るなら何がいいか。
黒猫や魔女などの定番もいい。
看護師、警官、スチュワーデスなど制服系。
フランケンシュタイン……ゾンビ……イエティ……。
だめだ、発想が貧困すぎる。
圧倒的にハロウィンの経験値がなさすぎた。
だいたい、今からざっくり服屋を回って調達できる衣装なんてたかが知れている。
行き当たりばったりに妥協した無難な仮装にまとまるに決まっていた。
「店で探すったって、限度があるでしょ。黒に紫にオレンジ色ってだけの平服になる予感しかしない」
「心配ご無用。あたし、いいお店知ってるの」
ふふっと笑ってリカちゃんが言う。
「心配だ……」
きっと怪しいところなんだろう。長い付き合いでもないけど、リカちゃんは見た目通りの可愛い女じゃない。スポーツカーを乗り回して、チンピラを蹴り倒して、タバコの煙を風に靡かせる、ハードボイルドな女なのだ。
いったいどんな魔窟に連れ込まれるやら。不安しかない。
「イヤホンちゃん、また妄想してる?」
「してる。私のライフワークだからね」
「素敵。いっぱいおしゃべりしましょ」
「ほどほどにお願います」
そんなに会話が得意でもないのだ。
とか言いつつ、やっぱり私もリカちゃんと過ごすのは満更でもなかった。男どもだけに彼女との時間を与えるのが嫌なくらいには。
この歳になってできた新しい友人が、なんで私みたいな人間といるのかよくわからない。
けれど、不思議の種は妄想の種。
もうしばらくは飾り棚に大切に置いておきたい。
目当ての店までは結構移動するらしい。
一度、リカちゃんの馴染みのカフェで一息入れようということになった。
車を降りると、甘い香りがする。
オレンジ色の花の姿を探して、私は駐車場を見まわした。
「あれ?」
「どしたの、イヤホンちゃん」
「金木犀かと思ったんだけど」
思い描いたオレンジ色は見当たらなかった。
「あれでしょ、あの白いの」
リカちゃんが指差す。ちんまりと佇むカフェの脇に、低い木が粟粒のような白い花を咲かせていた。
近寄って見ると、金木犀をそのまま白にしたような花だった。
「何これ、突然変異?」
「銀木犀だよ」
なるほど。
「割と単純なネーミングなんだね」
「金と銀だしね」
くだらないことを話しながら、店に入る。
あとはコーヒーの香りに包まれた。
香りだけでオレンジ色と判断しても違うように、目で見て触れてみないとわからないこともある。
リカちゃんが可愛いだけじゃないように。
ハロウィンだって、中に飛び込んでみないとわからないのかも。
そんな10月のある日だった。
オレンジ色 余りりす @ris_red
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